人にNOと言われても、腐らずにいれば波長は変えられる
たまに自分の過去を振り返るのですが、一年ちょっと前に書いた記事を読んでみました。明るく前向きな内容にホッとしつつ、もしかして、ここが人生の転機だったのかも?
この時は登録販売者の試験に合格したこともあって、かなり自信に満ちていました。ところが、採用されたドラッグストアではこれまでにないほど派手に嫌われ、陰でボロクソ叩かれ。
過去記事にもたくさん書いてますが、攻撃されて散々でした。ただ、敵もいたけど理解してくれる人もいて、追い詰められたせいで潜在能力を発揮。
過去の感情を向き合い、自分を縛っている存在を切り離して。
言葉による攻撃に傷つかないための方法も色々実践してみたので、得るものはあったと思います。イメージを使って防御力を上げまくり、アニメで鍛えた妄想力がかなり役に立ったかも。
失敗にとらわれ私は劣等感の塊だった
実はその昔、20代の私は過食と拒食に悩まされ、摂食障害のために心も体もスタボロでした。その苦しかった心の痛みは何十年も消えることはなく、度々夢に出てくるほど。結果、歯科医を辞めて転職したので、人生を失敗したという劣等感から人付き合いも苦手になりました。
どこかオドオドしているし、自己評価は低い、大きな声を出されると萎縮してしまい、まるで保護犬のよう。
どうしてそこまで傷ついたのか。
それはおそらく、若い頃のメンタルは豆腐のようにもろく壊れやすいからでしょう。
若い頃の挫折のきっかけは様々ありますが、
大学入試の失敗、就職の失敗、恋の破局など、
特に、好きな人に拒絶されるダメージはかなりのものです。
自分のことを誰も好きになってくれない……
容姿に魅力がなくても内面を見てくれるなんて、そんな甘い現実は存在しない。
「あなたじゃダメ、NO」と言われて。
就活で「お祈りメール」が来ると胃にガツンとくるように、口では表現できないドン底に引きずり降ろされるような気持ちの悪さ。何度も生きるのを諦めたくなりました。
NOと言われることが多ければ、自己肯定感はどんどん下がっていくわけで。
「自分なんて一生独りかもしれない、誰にも受け入れてもらえないかもしれない」
その後、婚活をして結婚しましたが、その感覚はなかなか消えず、自分の感情に蓋をしたままやり過ごすように生きていました。
自信のなさが我慢する現実を引き寄せる
自分に自信が無い、
人に嫌われないかと不安
そういう感情が「我慢を必要とする現実を引き寄せる」のは間違いありません。
この世の中には目に見えないけれど色々な感情の波長が存在していて、明るい波長、暗い波長。
明るいだけでなく大活躍していくほど高い波長、どんどん悩みを深めていくのは低い波長。オカルトチックでスピリチュアルだけど、人の感情は伝播するので、電気的エネルギーが存在するのは確かです。
明るい波に乗れば、明るい未来につながる出来事が次々とやってきて、暗い波だとドン詰まる。
未来からやってくる流れに乗る
過去と未来をつなぐ時間の流れには色々な波長が集まっていて、どれに乗るかは自分次第。できれば、頑張って明るい波長に乗っていきたいものです。そのために必要なのは、自分の気持ちを下げないこと。
「気持ちが腐ったら負け」
これまで色々な経験をして、本気で死にたいと思ったことが何度もありますが、これがホントに大事で。「気持ちが腐れば人生は後ろ向きに進み始める」、つまり過去に引っ張られてしまいます。
後悔と恨み、みんな不幸になればいいという呪い。
人を呪わば穴二つ、というのはまさにこういう状態。
だからこそ、腐りそうだと思ったならばできるだけ自然の中に身を置くのが一番。自然は誰も傷つけないから。
生き物には本来「生きる力」が備わっていて、自分の中にある何かによって殺されかけていることに気づかせてくれます。
そう、私たちはみんな「無意識にある何かに支配されている」
そいつが責める、ダメ出しをする、あるべき理想と比べて否定する。
だからその自分を支配している存在を見つける必要があります。
自分の中に存在する親や世間やこれまでの環境によって植え付けられた価値観、物事の判断基準になる声的なもの。
そいつを見つけて切り離し、引っぺがして思いっきりぶっ飛ばす!
傷付けられれば悲しい、一人だと寂しい、と思うのは自然なことです。
嫌なことを嫌だと感じられるようになって「人間的」になって。
クールなのが大人なのではなく、感情を素直に出しても動じないのが強さ
涙がでそうなほど傷ついたなら、その傷を自分でふさぐのが最強スキルのヒーリング。ここまで行ったら達人でしょう。
このnoteでも傷つくことはたくさんあるよね
このnoteでもよく目にするのが、
「続けることの大変さ」
途中で書くことを止めてしまう人がたくさんいるというのは、なるほど納得。私もしょっちゅう書くのを止めてしまいます。
「スキ」がつかない、
フォロワーが増えない、
ぜんぜん読んでもらえてない
自分では有益な情報を発信してると思うのに……
まあ、そもそも何かを成し遂げるには膨大な努力が必要ですから、自分に文章力を上げるような才能はないかも。
実は他のSNSで沢山の人に読んでもらえる経験をしたことがあるんですが、その時にショックだったのは、応援してくれる人だけでなく、傷つける人も寄ってくることでした。
どんなにたくさんの「素敵な言葉」をもらっても、アンチな一言の方が強く胸に突き刺さる。たった数人の攻撃で全てがぶち壊される。
中にはわざわざダイレクトメールをくれる人もいて、そういう人とは気が合うというより「こちらを強く意識している」と感じることの方が多く、意見されることにモヤモヤを感じてしまいました。
ちょっといい気になって、顔も名前も知らない相手に傷つけられて。
思い知ったのは、自分が未熟だということ。
出る杭は打たれる、出すぎた杭は打たれない、
ゆるぎないメンタルを得るにはめちゃくちゃな努力が必要だということです。
大した努力もしてないのに注目されるから意見したくなる、叩いてみたくもなる。そうならない為にはもっともっと努力して高めて、何も言えないレベルにまで引き上げなければいけません。
ちゃんみなさんが言うように、
「突き抜けなきゃダメ」
「実力を極めろっ」
それ以来、多くの人に読まれたい、フォロワーを増やしたいという夢は諦めました。少々の努力じゃ報われないし努力できないから。なので、今はもう一人の自分に向かって、未来の自分に残すために書いています。
今もこうして一年前に書いた記事を読み返しながら書いているのですが、自分の人生が変わるきっかけがこんなところにあったんだなあとか、当時の出来事や気持ち、考えたこと。忘れていることも多いので、読み直して感心したり……
大きなモチベはないけど、とりあえずnoteを書くことで自分の気持ちに気づき、向き合うことを続けられたのは事実です。現実も少しずつですが変わってきて。
そもそも仕事の内容が、工場の単純労働から教育関係へとシフトしてきました。勉強することしかやってこなかった、それを馬鹿にされる環境から、当たり前と思われる人間関係へ。
価値観が違うだけで「仲間として扱われない」世界は実際に存在します。
外国人には親切なのに同族に冷たいのが日本人というか、老後に地方の田舎に移住したら仲間外れにされたり、同郷や知り合いばかりで職場を固めたがったり。
そういうことで悩んだ人も少なくないのでは?
なので、ちょっと欲を出すなら、同じ悩みを抱えた人に届いて欲しいかな。
今の時代、外見より脳力を評価されたい女性が増えていることもあって、嫉妬や確執がより深刻になってる気がします。
もしこの記事を誰かがふと目にして何かを感じるとしたら、それはご縁があったということで、こんな嬉しいことはありません。
生きることは決して楽ではないし不安だらけで、それを消すことはできないけれど、みんなで明るい波長に乗って行けたらなと思います。