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精神疾患は薬で治るのか
今から2年前のコロナの時、ちょうど更年期が重なり、不安から過呼吸になってしまったので心療内科の看板を掲げる専門医にかかりました。
市の「心の相談室」も担当している先生だったので期待して通ったのですが、カウンセリングはなく漢方薬を出されただけ。
その後、YouTubeをやっている精神科医のチャンネルを2件ほど登録してみたのですが、医者の言うことはみんな似たり寄ったりで、心の病は「薬物治療」がメインのようです。
もちろん、精神的な不安を感じるのは脳内物質のせいなので、それを安定させれば不安が消える、というのはわかります。
ただ、「結局は薬なんだ」と残念な気持ちになってしまうことも事実。
メンタルを病む人には思考のクセがありますよね。
何でも自分のせいだと思ってしまうとか。
人の表情が気になって自由に振舞えない。
緊張するとオドオドしてしまって、それが人に攻撃させやすくしてしまうのも原因だし、「考えすぎてしまう」せいで、まだ起こってないうちから不安になり、不安になるから「自信がなくなる」
それでも、本人にとってはそれが幸せだったりするので余計に厄介です。
不安を感じて苦しむことが快楽だったり、苦痛を感じると生きている気がするのでやめられません。
一方、カウンセラーの方々は、「自分のセミナーやセッションを受ければ、考え方のクセが根本から変わる」といいます。
自分も生きることが楽しくなったので、あなたも変われるはずだと。
生きることが「楽しい」と感じるのは、「楽しくない現実」を知っているからで、比較する対象があるから「楽しい」と思えるわけですが、それが当たり前になってしまったらどうなるのでしょう?
プールのついた大豪邸に住んだとして、最初の一か月は楽しいと思います。でも、そのうち必ず飽きてきます。人間は慣れてしまうと面白さを感じないので、「刺激」が欲しくなるのではないでしょうか。
たまには困難にぶつかってみたい、苦しんでみたい。
とてつもない壁にぶち当たり、それを乗り越えることで成長する主人公にりきって、少年マンガのような世界にどっぷりハマってみたくなるはずです。
となれば、苦労を取り除くのではなく、苦労を楽しめるようになることが人生を変えるのかもしれない
私もこれまで、精神的にギリギリのところで踏ん張った経験が何度もあります。ただ、冷静になってみると、そこまで追い詰めたのは他の誰でもない自分自身。
最初は確かに親に追い詰められたのがきっかけですが、その時に感じた苦しみが「生きている」ことを強烈に感じさせてくれることに興奮し、それが病みつきになってしまい、その後もなんどかそういう苦しみに自分を追い込んで酔いしれるようになりました。
たとえるなら、祭り。死に直面した時に爆発するエネルギーに血沸き肉躍る、まさにそういう感じです。
ランニングや筋トレのように、自分を追い込むことで得られる快感と同じで、メンタルも限界まで追い詰めるとハイになれます。
それをやめるのはなかなかに難しくて。
麻薬物質が出るらしいので、何度も繰り返してしまいます。
それで一度、ホントに死にかけたんですけど、まあ、運よく生還して。
こんなことを繰り返していたら体がボロボロになるので「これはマズイ」と考えて生き方を変えたのですが、その後の人生は平凡で怠惰な日常との闘いでした。
平和で何もない、同じ日々の繰り返しはつまらないものです。
変化が欲しい。
やりがいが欲しい。
それで、波風の無いところに波風を起こそうとパートに出てじたばたして。
動きのないのが嫌なので、とにかく動きまくりました。
ホントに次から次へとひょいひょいと。
いくら職場を変えても、既にその場を仕切っている人がいて、自分の思うようにはできないし、やりたい仕事は回って来ません。得意なことがかえって疎まれる原因になり、競争心を燃やす人に邪魔されて、
「自分はなんて運がないんだろう……」
そう思うことばかりでした。
ところが最近、ようやく自分のやりたかったことが、少しずつ実際に起こるようになってきたのです。
もう、こんな歳だから無理かもと思っていたのですが、流れが変わったというか、とても信じられないようなことが起こっています。
あんなに長いこと低迷して、どこへ行っても頭打ちで、夫などはあからさまに「はあ」みたいなため息をついて。それが後ろめたかったのに、夫は転勤で家にいないし、その影響を受けないせいなのか、ここへきて、信じられないほど「自分らしい自分」でいられるようになりました。
しかも、得意なことをやって、それが評価されてお金をもらえるという幸せ。まさか、この歳でそんなことが起こるとは思ってもみませんでした。
若い人には当たり前のことかもしれませんが、私にとっては奇跡です。
なので。
一つの扉が閉まっても、あきらめずに新しい扉を開いていく。
必死で歩き続けていれば、いつか花の咲く道を歩いている自分に気が付く、そんなことが実際に起こるのかもしれません。
自分を追い詰めて自己完結していた頃を思い出しながら、そういう生き方は頭の中にある意識の檻の中にいるのと同じなのかもしれないと思います。
意識を強くすると自分が孤立してしまうんですね。
周囲に溶け込まないというか、共存できないというか。
周囲との関りがなくなってしまう。
そうじゃなくて普通に振舞う。
自然体でいる。
森の中にいるような気持ちに近いかもしれません。
地面に足をつける、というのを以前にも書いたのですが、足に根っこがあって、それが地面の下で繋がっている感じ。
そういう気持ちでいると気負わないんですよ。
説明しにくいのですが、「周りからどう見えるかを意識しないように、気持ちを保つ」
人からどう見えるかを意識すると気持ちが縛られてしまい、不安から「嫌われないように」演じなければいけなくなって、それがストレスになります。
やっぱりやりたいことができるかどうかは運だと思うので。
運が巡ってくるまでギブアップせずに歩き続けることが大事なのだろうと思います。
それまではとにかく、周りから攻撃されても致命傷になる前にうまくかわす。周囲の人に気を使いながらも、自分の評価は気にしない。
傷つくこと、気になることは、自分の中に原因があるので、それを見つけて一つずつ手放していけば、過去の傷も少しずつ癒されて気持ちが自由になれるような気がします。