名和晃平論
名和晃平は、この世界で一体何を作ろうとしているのか?
序
第1章 名和晃平という存在
1. どうしようもない世界
2. アートワールド
3. 名和晃平という存在
第2章 名和晃平のアート戦略
1. 私的表現の解体
2. バラバラになった個々の世界をつなぐもの
3. 「SANDWICH」
第3章 コンテンポラリーアートの交換様式
1. 高次元での回復
2. 価値的高次元
3. 意識的高次元
4. 時空的高次元
結
序
名和晃平+SANDWICH『CREVTIVE PLATFORM FOR COMTEMPORARY ART』から冒頭にある一文を引用する。
筆者はこの一文を読み、名和の企みに心を震わせた。名和の創作動機は、この世界の更新だ。あらゆるアートがそうだと言えなくもないが、名和だからこそ興奮する。名和には、世界を根底から覆せるだけの野望があるように見える。
1945年、第二次世界大戦が終戦した。日本はGHQに統治され、その後、急速な復興に成功し、世界経済のトップに躍り出た。しかし、一方で、人々は価値観までも統合させていき、規格を外れた個性は不良品のように扱われる時代となった。
マルクス経済学者宇野弘蔵(1897〜1977年)の方法論を継承し、2022年の「バーグルエン哲学・文化賞」を受賞した柄谷行人は、2015年に出版した『世界史の構造』で資本主義の闘争についてこのように語る。
柄谷は、猛威を振るう貨幣経済を抑制できないとは述べていない。一国家で抑え込もうとする事に問題があると言っている。貨幣は流動的であり、箱の中に閉じ込めても中で膨張し始めると強力な力で箱そのものを内側から破壊し、外と交流を始めてしまう。それは必然である。もともと貨幣は交換のための手段として生まれたからだ。柄谷は『力と交換様式』の中で、困窮した資本主義の世の中に新たな交換様式の形で光を当てた。交換様式Dによる経済だ。交換様式Dについては27頁を参照。
筆者は、交換様式Dが名和のコンテンポラリーアートに見てとれる点を見つけた。そこから導き出されたのは、コンテンポラリーアートが交換様式Dにより成り立つという仮説であった。
20世紀初頭から始まった産業経済が社会に及ぼした影響は、アート業界にも大きな影響を及ぼした。アーティスト達は、社会の変容を敏感に感じ取り、創作活動により形に残してきた。その活動の跡は、社会の変化を色濃く反映している。コンテンポラリーアートは、産業経済と同時に生まれた相関する双子のような存在とも言える。
資本主義末期、日本で生まれた名和は、日本人としてではなく、たんに日本で生まれただけの地球上の人間の一人として表現し、自身の作品を発表していくために戦略を考案した。それがどのような価値をもち、社会へ影響を与えていくのかという点について論じる。
2023年6月28日、名和のégalité(平等)はフランス、セーヌ川の中州、セガン島において公開された。これは、ポストコロナ後に誕生した世界における新たなシンボルである[iii]。アートと呼ばれる世界で日本人がこれほどまでの高い評価を受けていることを、多くの日本人は気づいていない。日本人は気がついていないかもしれないが、世界での名和の評価は、日本人の知らないところで、確実に世界のトップへと上り詰めている。
第1章 名和晃平という存在
1. どうしようもない世界
「どうしようもない世界だな、と」名和は目を伏せてそう呟いた。それは、高校時代の名和が抱いていた社会に対する不満や怒りに対する質問への回答だった。1975年に大阪府高槻市に生まれた。高槻には巨大なベッドタウンがある。名和が少年時代を過ごした当時は、まだ田園風景の名残もあったが、巨大な集合住宅の建設が加速し、地域の商店街は活気に満ち人で溢れかえっていた。家庭には電化製品が揃い、ビデオやテレビゲームが流行した。作っては捨てを繰り返す消費社会が、当時の人々を豊かにした。教育においても、競争は激化し学歴社会はピークを迎えていた。そんな時代に名和は、大阪でも超上位偏差値で有名な隣町の茨木高校へと進学した。そこで名和は数学研究部に所属していた。当時のことを名和は「数研は結構アンチ社会の集まりで、社会システムや社会制度、大衆のライフスタイルなんてもうばかばかしすぎるみたいなことを言ってみたり、みんなで大企業を目指す日本社会は気持ち悪いなんて話をしていました。結構秀才で生意気ばかり集まっていて、おもしろかったですよ。今の社会をどうしたらいいのだろうとか、日本はこのままいったら沈没するよなとか、かなり社会に対して斜に構えて、すごく批評的だった。」
名和の出身校に対しての評価は低い訳でもなかった。茨校の卒業生訪問というインタビューでこんなコメントも残している。
「おもしろい高校だったと思いますよ、すごいユニークで。管理しないっていうポリシーがあったと思います。学生が自分で考えるっていう校風があって。今の社会状況だと難しいと思いますが、私がいた時代は、旧校舎が新校舎に入れ替わる時期で、なんか茨高の輪郭がいろいろ変わってきていた時期だったと思うんですね。それもあって、先生側も生徒側も、輪郭に対する何か疑問を抱いていた時期だと思います。だからおもしろい時期だったのでしょうね。」
しかし、名和に心を開いた沢山の友達がいて、明るい高校生活を送っていたかといえば、そういう訳でもないコメントもある。「卒業式も出ず、終わる頃に行きましたね。今思うと、申し訳ないですが。ただ、みんな自分の主義で動いていて、干渉しない。お互いの価値観で議論はするけど、お互いに足をひっぱり合うわけではなくて、あくまで個人の考えを貫いていました。」
当時のメディアはまだ、新聞、テレビが主流だった。国民よりで、社会批判も多く騒がれていた。しかし、何を言ってみても確信はない。何が正しくて、何が間違っているのか、そんな問いを何度も繰り返す時代だった。世界でも類を見ない大量殺人事件となった地下鉄サリン事件もこの頃、1995年3月20日だ。この事件以降、宗教という単語の意味は、危険な集団へと変わった。資本主義は末路へ向かっているにも関わらず、自民党は圧倒的多数で勝利し、1990年は失われた10年とも呼ばれる時代となった。
名和が「どうしようもない世界」と言ったこの時代は「何が正しくて、何が間違っているかが、分からなくなった時代」であり、名和はこの時代を、自身の修士論文『感性と「表皮」― 現代彫刻における一方法論』で「バラバラになった個々の世界」と表現している。柄谷は世界経済を次のように語る。
日々再生産され続ける不均等により、生活に格差が生まれ、生活空間も断絶されていく。核家族化が進み、それまでの日本人の生活様式は一気に変化し、資本主義社会の一番の弊害である物象化が蔓延した。物象化とは、人と人の関係が物と物との関係としてあらわれるという事態を指す[x]。物象化の波は、日本だけではなく、ヨーロッパにおいて先んじて起きている。ロシアからパリへ移住したマルク・シャガールが鬱状態で描いた「窓から見たパリ」などはその時代を反映している作品だ。この物象化による社会への弊害が「どうしようもない世界」をもたらした要因である。この物象化の蔓延する世界に光を当てた交換様式Dがコンテンポラリーアートをドミナントとするアートワールドには既にある。一枚の絵が数百億円で売り買いされるアートワールドの世界は、未だ多くの人にとって不可解な存在である。その理由は、資本主義の中で生まれた最も主本主義的な交換様式であるにも関わらず、実はそうでなかった、という点に起因しているのだ。柄谷の交換様式は次の4つからなる。
A 互酬(贈与と返礼)
B 服従と保護
C 商品交換(貨幣と商品)
D Aの高次元での回復
交換といえば、商品交換がただちに連想される。商品交換の様式が支配的であるような資本主義社会にいるかぎり、それは当然である。しかし、それとは異なるタイプの交換がある。第一に、贈与─お返しという互酬である。(中略)つぎに、交換様式Bもまた共同体の間で生じる。それは一つの共同体が他の共同体を略取することから始まる。略取はそれ自体交換ではない。では、略取がいかにして交換様式となるのか?継続的に略取しようとすれば、支配共同体はたんに略取するだけでなく、相手にも与えなければならない。つまり、支配共同体は、服従する被支配共同体を他の侵略者から保護し、灌漑などの公共事業によって育成するのである。それが国家の原型である。国家の本質は暴力の独占にある、とマックス・ウェーバーは述べている。しかし、それが意味するのは、たんに国家が暴力にもとづくということではない。国家は、国家以外の暴力を禁じることで、服従する者たちを暴力から保護する。つまり、国家が成立するのは、被支配者にとって、服従することによって安全や安寧を与えられるような一種の交換を意味するときである。それが交換様式Bである。(中略)つぎに、第三の交換様式C、すなわち、商品交換は相互の合意にもとづくものである。それは交換様式AやBつまり、贈与によって拘束したり、暴力によって強奪したりすることがないときに、成立するのである。つまり、商品交換は、互いに他を自由な存在として承認するときにのみ成立する。ゆえに、商品交換が発達するとき、それは、各個人を贈与原理にもとづく一次的な共同体の拘束から独立させるようになる。
言わずもがなだが、現代の資本主義経済は交換様式Cをドミナントとした社会形態をとっている。日本ではここしばらくの間、資本主義が一番よいとされてきたが、資本主義がピークを超え下り坂になると、名和が言った「どうしようもない世界」となり、そこで生きる人間たちを疲弊させる。柄谷はこの状況を、環境危機の原因を例に上げて、このように説く。
資本主義経済の原則に従い、国民は自らの労働力を商品とする。自然との関わり方も変わり、貨幣の収集に人生の大半を費やす。自然との関わり方の変化は、同じように人間同士の関わり方にも変化を及ぼす。自分以外の人間は自然の一部としての人間ではなく、物象化した人間へと変化していく。名和は高槻市というベッドタウンの急激な発展の中に身を置き、子供の頃からこの「どうしようもない世界」をじっと眺めていたのだ。高校生時代を振り返り名和は、「どうしようもない世界」をこう語る。
「かなり否定的に見ていましたね。本当にひどいなっていう、ひどい事がずっと続くんだなっていうことで、それに加担したくないっていう気持ちが強くて」
名和は、自分の人生を、今の世の中を作っている一部にはしないと決意した。それとは違う場所で生きたいと思った。そういう生き方の人間をアウトサイダーと呼ぶ。アウトサイダーはドロップアウトと似ているが、外れ方に異なりがある。ドロップアウトとは、社会に適合することができず離脱した人間のことを指す。アウトサイダーは、イギリスの小説家でもあり評論家であるコリン・ウィルソンにより、1956年に出版された評論のタイトルでもある。コリン・ウィルソンは実論主義的な危機という観点から、アウトサイダーについて論じた。
このようなアウトサイダー的立ち位置の人間は、当時の音楽業界で多く見られた。世界的に有名であったビートルズ、日本では伝説のミュージシャンとなった尾崎豊、突如パンクロックが流行ったりもした。当時の栄養ドリンクのCM「24時間働けますか?」という問いに対峙して、無気力な人間像を崇高な彫刻のように崇める傾向もあった。そして彼らの歌は確実に日本の若者の心を捉えていた。まるで社会自体が革命家を求めているようでもあった。社会構造に活力を与える存在として、アウトサイダー的な存在が必要とされていたのかもしれない。
しかし、アウトサイダーは、反実存主義者でもある。反実存主義者は、何かを感じ取り、もしくは知らない遠いところの情報を持ってくることで、まだ目の前に存在していない何かを新たにみんなに見えるようにする存在でもある[xiv]。よって、アウトサイダーは革命家にもなり得る。ところが、資本主義時代に革命は無意味である。革命が生み出すのは中央なるものに対する妬み、悩みであり、暴力を生み出し、勝者と敗者という二項対立を作る。名和は現代の二項対立構造について次のように語る。
「今の環境問題みたいなものは、自分が小学校の時から言われていて、結局それは人間同士の問題であって、解決できていないまま、何十年も続いてしまう訳ですよね。それって、本当にどうしようもないと思ってしまう。それに対して反抗するように作品を作ろうとは思わなかったです。今ある自分が本当に感じたことを残すというのが、後々表現として伝わることで、世界の見方とか感じ方の一つになればいいと思っていて、それを社会運動みたいに捉えようとするというのはなかったですね。企業とかもSDGsみたいなものをキャンペーンしているけど嘘くさくて。繰り返しにしか見えない。政治も結局、建前の中で政治的な判断が行われていて、真実とは違う事が次々決まってしまうように見える。思春期時代は、そういう感情が深かったのだと思います。だから、どこにも所属したくない、一流の会社に入ることや、それを目指して受験することにもとても違和感を感じて、それがまったくくないところに行きたいな、と思っていましたね。」
名和のこの考え方は制作に関しても一貫している。名和は当たり前のように大学へ進学し、就職活動をし、社会人になるという選択肢をしなかった。正義を振りかざし、社会に挑むこともそれと同等と見なした。それらは結局同じことの繰り返ししか起こさない。誰かが潰されて、他の誰かが漁夫の利を得て、結局また繰り返し昨日までと変わらない状況が続く。そんな茶番にうんざりしていた。名和は芸術を学び、高校卒業ののち京都市立芸術大学へと進学した。
2. アートワールド
「そうではない別の可能性をどうやって探し求めたらいいのか。その点で美術とかアートに可能性を感じました。最初に美大に行こうと決めた時は、そういう感情が働いていました。」
名和がアートを選んだのには家庭環境も影響していた。父は子ども向けのワークショップを仕事の一環で催していた。そのため家にはワークショップ向けの道具や素材が沢山あり、小さい頃から触れて育っていた。小学生ですでに芸術で使われる表現技法は、絵画、版画、彫刻など多くを体験し、年賀状なども木版やシルクスクリーン、多版刷りなどで制作し、写真も現像や引き伸ばしも自分でできた。落書きの延長線上でレタリングを行い、明朝体やレッグ体などの有名な書体は手描きできた。そのせいか何かを作るということに関して、特別な意識はなかったという。アーティストになってやるという意気込みがあったというより、普通のサラリーマンといわれる悲惨な社会の歯車になることを嫌っての選択だった。
京都市立芸大は総合基礎という授業が半年あり、その後にコースを選ぶ。当時の総合基礎は油絵、日本画といった美術だけではなく、工芸、デザインもあり、全生徒がそれらを一通り学ぶ。クラスに各教科の先生が来て課題を与えるのだが、名和は中でも彫刻コースの課題が面白かったと語る。
「野村仁さんが当時の先生で、光という課題を出して、それが一番面白かったです。それが私の彫刻を選んだきっかけです。その他の先生たちも彫刻の先生がたは全般的に、一番自分に合っていると思いました。表現の自由度が高く表現のフォーマットがあまり定まっていない。フォーマットから自分で考えなさい、という教え方だったので、オーソドックスな彫刻という概念に縛られない表現ができる。そこに魅力を感じました。その頃、コンセプチュアリズムとかミニマリズムとか、彫刻の分野も二つの主流に分かれているような時期だったのですが、その二つにも縛られていませんでした。もの派の流れもあり、コンセプチュアリズムの流れも汲みつつ、アメリカの現代彫刻とか、ヨーロッパの彫刻の歴史とかも踏まえて、もっと自由で独自のものを京都で考えようという気風がありました。野村先生は天体をモチーフに写真という手法を取り扱っていたし、その時点で音でも写真でも映像でもなんでも、彫刻という概念が拡張できるのだと。メディアに対する柔軟性が京芸彫刻の面白さでした。」
名和が師事した野村仁は「もの派」の作家として語られることが多い。「もの派」は1960年代半ば生まれた。西洋同様に日本でも、反近代が騒がれ始め、反芸術や芸術とは何か、また存在とは何かが改めて問い直される時代だった。日本概念派の中心人物であった高松次郎の助手であった関根伸夫と小清水漸、吉田克郎らが共同で制作した《位相−大地》が「もの派」の発端だ。《位相−大地》は、観念から実在へ、視覚から触覚へという大きな転換を日本の芸術界にもたらした。当時は、西洋的なコンセプチュアルなものが重要とされており、素材はできるだけニュートラルで人間を邪魔しないものであるという必要があった。しかし、その考え方に対して「もの派」とは、素材そのものを表現することだった。
「もの派」以降、既成の美術の制度や方法、価値などをラディカルなまでに問い直す作家たちが出現してきた。彼らは芸術にまで昇華されていない生の物質をそのまま表現の基盤に置き、それにかかわる人間の様々な問題(主体性、知覚、行為、意味等)や芸術が成り立つ場や空間そのものを明らかにしようと試みた。その根本的な問いの中には、西洋の美術に追従することへの懐疑と、日本や東洋の文化の位置付けに対する自覚があり、もの派がファインアートの世界に登場することで、その影響は日本の工芸にも及んだ。当時西洋の影響を受け、形や人為を重視する方向へ大きく舵を切っていた工芸が、日本の工芸本来の素材を意識するという元来のスタイルを取り戻すことにつながった。もの派は日本の美術史における偉大な活動と言える。
大学時代に名和が師事した教員には、福嶋敬恭、中原浩大、小清水漸などの先鋭的な作家が並ぶ。芸大はまさに名和の居場所であり、名和は、まるで水を得た魚のようにアートワールドへとのめり込んでいった。当時名和は野村仁の研究室に所属し「宇宙と彫刻」というテーマだったという。
「宇宙時代が来た時に、人間が必要なものしかもっていけない、その時、いつ芸術が必要になるか、という議論があって、例えば、絵画とか写真というのは天地が決まっていて、その視点から捉えたものが、絵画空間とか写真空間です。四角いフレームが決まったのは、重力があって、そこに人間が立ってみているという水平的な目の位置が前提になってできている。それが無重力になった時に何が前提になるかという議論でした。その上で彫刻というものをどう捉えるか。ものすごく長いスパンでこの概念がどういうふうになっていくかという議論がされていて、そこに加わるのは非常に面白かった。」
名和は捨てられていたテレビを拾ってきて、ブラウン管を解体し、ラジエーターみたいなものと繋ぎ合わせて内部の奥に洞窟構造を作り、奥にL E Dが光り、手前にレンズがある幻灯機に似た彫刻を作った。それを講師の野村仁は、一年全員の中でも特に面白いと褒めたという。名和の話ぶりはまるでその頃に戻ったかのように無邪気だった。
3. 名和晃平という存在
名和の初期の作品には《少年の膜》《男性の頭部》《少年と神獣》の三作品があった。ただ、これらの作品はもうこの世に存在しない。素材のみ残っているという。
《少年の膜》は塑像の少年像に樹皮の膜を被せた作品だ。名和はこの少年像を自分自身だと言う。興味深い点として大きさは大人のサイズで、手や足の長さなどの比率も大人と同じ比率だが、パーツの形が少年のパーツの形をしているところだ。まるで宇宙人のようなプロポーションをしている。鉄心に白縄を巻きつけて、水粘土を何層も乾かしながら重ねて作っていく。水粘土だけでできているため、水分を閉じ込める意味で最後樹皮を被せている。被せた樹脂を磨いて、透明のマット塗装をして完成だ。樹脂から中が透けて見え、生っぽい質感が出る。目、鼻、口はなんとなくあり、膜の中に閉じ込められているというより、ただ膜の中にいるという印象をもつ作品だ。
二作目の《男性の頭部》は男性の頭部を形どった水粘土が、膜に包まれているという作品だ。しかし、これは耳、鼻、目の部分だけ膜に覆われておらず、穴が空いている。そこから中の水粘土の水分が蒸発し、数ヶ月かけて乾燥していくという作品だ。外皮の膜はそのまま形を保っているが、時間の経過により中の粘土は縮んでいく。膜と粘土の間に空気が入って、そこから粘土が乾燥し白っぽくなっていくのを楽しむことができる。少年と膜に続いて、多少不気味な印象があるが、どれも名和の心情を表しているのだと推測できる。《少年と膜》には、大人の大きさまで成長した肉体が、中身が子供であるがゆえに、表面の形状が子供のままであるという気持ち悪さがある。希薄な人間関係への批判に思われる。《男性の頭部》には穴の空いた部分から入ってくる外気により、朽ちていくという外と内との関係性に気持ち悪さがある。表皮自体は形状を維持しているにもかかわらず、中身だけが変化する点に異常性がある。どちらの作品も覆っている膜と、存在であるはずの内の状態のアンバランスさにより、違和感を感じる面白い表現だ。
《少年と神獣》の神獣は名和が飼っていた愛犬が神格化されたモチーフだ。名和は愛犬の死と、死んだ後に残った愛犬の毛皮について語った。
「その犬がすごく好きで、その犬だけに心開いていたというか、少年時代家族と一切喋らない時代があって、その犬だけが心の拠り所だったのかすごく好きでした。」
死んだ犬の横に立っている名和を想像したが、名和には悲しさを作品にしたいという気持ちはなかった。名和は愛犬の毛を少し自分の手元に残した。毛にはDNAが残り、何百年と保存される場合もあると調べて知っていた。名和が毛に興味をもち始めたのは、大学院時代のバイトで、知り合いの美容室の美容師たちに美術を教えていた時からだ。名和はデッサンなどを教えながら、ヘアスタイルに合わせたコスチュームなどを一緒に作ったりもしていた。名和は髪型やウィッグにも興味をもち始め、ヨーロッパ研修の時もウィッグの写真ばかりを撮影したという。また、美容師たちとインスタレーションなども作っていた。その時に髪の毛とガラスビーズとウリ坊のインスタレーションを展示した。
「髪の毛は腐りにくい、死体でも髪の毛だけが残っていたりして、髪の毛に対する崇拝とか、その存在がなにかメッセージを発しているように見えたから、いろいろな世界中の祭りとか、民族的な造形の中にも特別な存在として扱われているんじゃなかいとか、たまに民家にも飾られているいろいろな部族が作る仮面でも、毛がついていたり、毛が何かを守るという意味とか、もののけとかも繋がっていて、そういうものをモチーフとして扱えないかと考えていました。」
名和はアニミズムへの関心があり、神獣は依代を意味している。神獣の首が落ちて、神獣の中から出てきた目に見えない何かが少年に降りてきたような、そんなイメージをもってもらえるように制作した。神獣の中身は空洞にしている。依代も中は何もない。この点を、名和は日本らしさだと強調した。
第2章 名和晃平のアート戦略
1. 私的表現の解体
大学院の卒業制作である《アニマズモ》が完成した時に、初期三作品の持つ少年や神獣というモチーフが堅持するストーリーは終着となった。《アニマズモ》には私的表現は含まれていない。アニマズモ以前の作品は解体し、この時点で作品に自己を投影するのを止めた。この行為は、以降のアーティスト名和晃平の作品との分断かに見える。《アニマズモ》以降の作品には、共通する新たなアート戦略が明らかに存在する。名和は自身の大学院卒業論文『感性と「表皮」― 現代彫刻における一方法論』でこのような仮説を立てている。
名和は調査のため1998年から99年にかけ渡英し、Royal College of Art Sculpture courseに交換留学生として在籍した。名和は、イギリスでの経験が自分の問題意識に強く影響与えたと語っている。
イギリスでの経験による影響は現在の作品からも見て取れる。「生命の表面に無数のサイコロを集積したもの」を「素材が一つの単位として表皮のすべてを覆っていること」という点で解釈している点は「Pixcell」で表現されている。「彫刻の表面に無数の穴を開け、彫刻空間の「内」と「外」を意識化させるものがあるように」ここは、名和の立体作品の多くが当てはまるだろう。美術評論家の椹木野衣は名和をこのように評している。
名和はなぜ彫刻をこのように粒子的なものの集まりとして捉え始めたのだろうか。シュタイナーはオーストリア出身の哲学者、神秘思想家、教育者であり、また建築家でもある。名和は偶発的に生まれた結果を再構築するという技法を得意としている。それはウリ坊の毛にクリスタルビーズを付けたり、《少年と神獣》から剥製をレディーメイドとして使用するようになったりと、随所に見て取れる。これが意味するところは、名和がどんなアートを作るかではなく、どうやってアートを作り続けていくかという技法に注力して戦略を立てたことだ。技法における戦略の重要性は、ジャクソン・ポロックの絵画が近年274億円で落札された事件からもうかがえる。ポロックの手法は誰でも真似できるように見える。実際に多くの画家が簡単にそれを自身の作品に取り入れている。しかし、それで良いのだ。その方がよいとされるようになったのだ。理由は、類似品が増えることにより、さらに作品の価値が上がるようになったからだ。似た作品がある方が、社会全体への影響力の重要性において勝る。このことは、シュタイナーの『神秘学概論』の一文や名和の全体性についての考えからも分かる。
名和も自身の哲学を次のように展開している。
「人間が自然の一部だと言えば、人間の営みも全部自然ですから、今、人間が環境破壊と呼んでいるものも、地球上の物質が組み換えられて何かが起こっているだけで、全部を自然だと見れば、自然の範囲内なのかなと思いますし、知的な生命体が生まれるのも、宇宙の物質のパズルの中でそれが生まれるという現象が地球で起こっただけで、自然なのかもしれないですね。その知的な存在自体が戦争をしたり、何か別の機械生命みたいなのを生み出したりするのも自然の流れなのかもしれないですし、だから人工物と自然というのをそこまではっきり分け切らなくてもいいのかなと。動物が巣を作るのと同じように、それの複雑なものが人工物なのかなと思いますね。」
二人が共通するのは人間や人間の営みすべてを地球(自然)の一部だと見做している点だ。一部は一部で孤立するものではなく、全体の一部分としての一部であるから、全体が全体として成り立つという哲学だ。これをゲーテの自然科学からの考え方である。椹木が名和の作品から感じる「実体があるようで、視線は容易に対象をすり抜けてしまう。あるいは名和の作り出す空間が何か場のようなもので満たされているかに感じられる」は、量子力学の原理であるかもしれないが、元はシュタイナーの哲学やゲーテの自然科学が先行して生まれている、と考えるべきだ。名和はイギリスにいた時のことを、京都市立大学の卒業生インタビューでこう答えている。
名和の制作意欲は突然格段に上がった。内にあったものが外とつながり、噴出しているかのような状況がうかがえる。次に挙げるシュタイナーの一文から、名和の内にあったものがつながった先は、壮大な自然界であると見られる。1897年刊行された『ゲーテの世界観』において、芸術についてのシュタイナーの考え方がまとめられた一文がある。
シュタイナーは芸術作品を真理そのものであるとしている。真理は名和の「私的表現を続けることは果たして可能か。」という疑問への回答である。名和にとっての私的表現は、手放したものではなく、自然の理念の現実化の一部となったと考えた方が適切だろう。自然の理念の現実化について、名和はそれをどのようにしてアートへ取り入れたのだろうか。
2. バラバラになった個々の世界をつなぐもの
名和は『感性と「表皮」― 現代彫刻における一方法論』の一章の冒頭で、ドイツの哲学者ヴォルフガング・ヴェルシュ(1946年-)の『感性の思考―美的リアリティの変容』を引用している。
名和は『感性と「表皮」― 現代彫刻における一方法論』で、「感性的に」真理を表現するという手法について大きく分けて四段階に順を追って述べている。
① 感性の働きとフィルター
② 感性と無感性
③ 像
④ 感性の思考
一つ目の「感性の働きフィルター」について、感性は人間の理性、悟性、知性とともに人間が物事を認識するために用いられている性質の一つだ。人間が外界と接する第一の界面として重要な役割を持ち、人間の現実感覚の認識・認知一般の形成において不可欠だと言われている。
この感性はしばしばフィルターに例えられ、われわれがある対象を認識する時、「実体」そのものではなく、感性という固有のフィルターを通したものを「実感」しているとされる。このフィルターの特徴の一つとして、心の中に広がる現実感、それをその前段階で色付けし、言葉にできないような質感や現実味を帯びさせる働きがある。リアリティーやクオリティーの実感させる働きだ。
名和は、次にヴェルシュがやったように感性を理解するため、感性、それに対して無感性という二つのシステムに分けて捉えた。無感性をヴェルシュはこう説明する。
情報過多の現代において、多くの情報を個々が取捨選択する上で、抹消されてしまっている情報が多分にある。このことは表現者の側にとって非常に切実な問題である。アート作品はシュタイナーが言うように「自然物の理念的な内容の感性化」の実践であるため「感性化の無感性化への転換」が起こる事は、リアルとヴァーチャルの間を刻々とシフトし続ける感覚や感性の振幅をいかに受け入れ、現実をいかに捉えるのかということが現代の表現者に問われる。「感性化の無感性化への転換」とは、名和の言う「バラバラになった個々の世界そのもの」を指している表現でもある。
「感性化の無感性化への転換」が起きている世界において、まず名和は養老孟司の『人間科学』で述べられていた「世界とはすなわち脳である」というアプローチから考察を始める。この養老孟司の考え方は形而上の世界こそがこの世界であり、形而下に実存論的世界は存在するが、一人ひとりが捉えている世界と現実は別ものだと考えている。この考えと、感性において「無感性化」が起きているという二つの論拠が並んだ時、現実を捉えるということについて、より複雑な行為が必要となってくる。名和はここでわれわれが捉えている現実は、「像」にすぎないという考えを展開する。これは養老孟司が引用したイギリスの哲学者カール・ポパー(1902-)が「三つの世界」として論じた内容である。
世界1とは実存論的な現実、世界2は普段われわれが現実と呼んでいる知覚し自己との関わりにおいて認識する「リアリティーの世界」、世界3は世界2において自分が感じたことや考えたこと、その時点では他人にとってはまったく存在しないのと同じ世界を感性化させ表現により他者に持ち込むことで共有可能となる世界だ。
現実がどのように現実とされていくのか、その過程を考えた時、世界2だけでは現実化されるとは言い難い。現実とは誰かと共有されなければ、それを証明できない。そういう意味では、名和は夢や妄想だったとしても、社会に影響する強烈さをもっているなら、それは「現実」の一部であると言う。
感性が表現された時点で、作家の世界は現実化する。現実化した作品は世界3に現れ地球上の人や物がこの世に存在するのと同じように、複雑に繋がるネットワークの一つのハブとなり、過去や未来を往来しながらこの世界に織り交ぜられ、その存在をこの地球上の確たるものとする。最後に感性の思考について、名和はヴェルシュを引用し、次のように述べてまとめている。
名和はここで、感性的なものは、思考そのものの核心に関わるものでなければならない、それが感性的思考だと述べ、「バラバラになった個々の世界をつなぐもの」とは、感性的思考を発動させるものであるべきだと結んでいる。名和は後の制作活動について次のように語る。
ここで名和はイメージの飛躍によって、素材を変容させることで作品を制作していると述べている。これは偶発的に生まれた結果を再構築して作品にする技法であり、「感性的に」構成されたシュタイナーの真理である。しかし、これは同時に、名和が日本で影響をうけた「もの派」の考え方に通じる。「もの派」は、ものに対する概念をはぎ取り、その物質そのものに新たな意味と関係性を作り出すことで、単なる石でも石ではなく、他の物質とへ変容させる。例えば「Pixcell」はクリスタルビーズを付着させることにより、剥製を剥製ではないものにし、「VELVET」は絨毛を付着させることで、ものの元々の意味を消し去ることに成功している。名和の創作スタイルは「もの派」と西欧哲学が融合することで生まれたハイブリッド型理論で構成されている戦略である。
3. 「SANDWICH」
名和は京都市伏見区にあるサンドイッチ工場をリノベーションし工房をつくった。彫刻のアーティストだけでなく、建築家から大学生、ジャンルや世代を超えた人々が集まる。制作時に名和は「個を超えたスケールでものをつくること」に可能性を感じた[xxxi]という。SANDWICHの特殊性は他と一線を画す。名和は学生時代マドリッドのSUTUDIO BANANAを訪ねた。「合理的でクリエイションを楽しんでいる。プロジェクトを進める度に、それに合った役割を演じる仲間同士がパーティーを組み、互いの経験を活かしながらものをつくりあげていくやり方が、自分達の世代に合った理想的なかたちだと感じた。」
実際に現地にてスタッフに案内してもらうと、SANDWICHの印象は変わった。合理的という名和の言葉を、改めて何に対して合理的なのか考えた。当然、制作に対して合理的なのだが、SANDWICHのアーティストたちから感じられる雰囲気は、いわゆる日本の会社の合理的な雰囲気とは違う。
SANDWICHの社員食堂は、簡素だがテクノロジーが取り入れられ、デジタル通貨を使って自動販売機で購入する仕組みが出来上がっていた。陳列されている商品はメンバーが自分たちで選んだ物が置かれている。単なる販売とは意図して変えている印象が伝わってくる。個と個の貨幣を媒介とした商品交換ではなく、会社を一つの世界とした全体性を考慮に入れ、互いの作業効率が最大限に高まるための仕組みになっている。
パソコンが並んだオフィスにも全体性は優先されている。個々の机はあるが、広い空間に整然と並び、一人一人が全体を見渡せる作りだ。資料は縦に並べられているのではなく、傾斜のついた本棚に書籍が斜めに傾いた状態で並んでいる。この作りだと誰がどれだけ本を抜いても、誰かが整理しなければならないという責任は発生しない。これらは名和一人が設計したのではなく、そこにいるメンバーみんなで組み立て作り出したという。名和自体もアーティストたちが自由に動きやすいよう組織作りをしている。が、名和はこれを直感でやってきたら自然とやりやすい形になっていたと語る。
名和はSANDWICHを自身でこう語る。
PCでの制作の場を離れ、物理的な制作現場はさらに不思議な感覚だった。アートの工房というよりは、植物を培養している研究所のような雰囲気だ。まるで作品たちが、そこで生殖を繰り返しているような印象を受ける。一つの素材が取り入れられると、それは何パターンかの他の素材と組み合わされ、広い机の上にパターンごとに並べられる。組み合わせの違いにより、一つの素材が違った変化を起こし、それはまた何度も繰り返されることにより更に違った素材を生み出す。一つの細胞をさまざまな培養液で増殖させる実験工程で、芸術という生き物を繁殖させている。商品の不良部分を改善させていくという進歩ではなくのではなく、感性を進化させているのが見て取れる。スタジオ・マネージャーの森貴之氏はSANDWICHについてこのように語っている。
SANDWICHは単なるスタジオやプロダクションというよりは、プラットフォームだと言う。生産しているのではなく、アーティストの感性が相互反応することで作品が生まれる場所である。これを積み重ねることで名和はSANDWICHという場所に名和晃平を移植しようとしているのかもしれない。名和の理念が成長し発展する場だ。名和の作品は私的表現から、自然の理念の現実化としての表現へと移行したが、それを制作する側もまた自然の一部として存在するという構図ができあがっている。序章の一文「コンテンポラリーアートが美術館やギャラリーなどの枠を飛び越え、日常の世界の中に佇み、溶け込んでいけば、作り手と受け手が密接につながり、思考の変化や発展を促すことになるだろう[xxxvii]。」名和の野望は、アーティストとしての成功ではない。名和の野望は、ここSANDWICHから出発している。
第3章 コンテンポラリーアートの交換様式
1. 高次元での回復
ここまで名和の作品制作の方法がどのようにして生まれてきたのかということについて述べてきた。この章では、高次元での回復とはどのようなものであるか、ということを考察しながら、コンテンポラリーアートがなぜ、交換様式D(交換様式A 互酬の高次元での回復)を引き起こしているのかという点について名和の作品を通じて見ていきたい。
この二つの図が示すのは、Xである交換様式Dと、交換様式Dによって出来上がる生態は他の交換様式に比べて自由で平等であるという特徴をもつということだ。だが、Xは作り出すものではなく、到来するものであると柄谷は繰返す。
交換様式Dがより自由で平等であるにもかかわらず、人間が願望し、あるいは企画することによって実現されない、というのは、とても残念だとしか言いようがない。だとすると、人間には何もできない。しかし、柄谷は、繰り返し実際に過去に何度も起きていることであると言い、しきりに資本主義を揚棄することを勧めている。
資本主義を揚棄し、国家を揚棄することが「ミニ世界システムを高次元で回復すること」である。SANDWICHは生産共同組合と共通した一つのミニ世界システムである。そして、SANDWICHは名和の制作方法の一つでもある。高次元での回復を国家や資本主義という大きな範囲で捉えるよりもまず、アート作品という最小単位のものを観察することで、世界単位で起きる高次元での回復についての考察を試みたい。名和の作品から見て取れる高次元の回復を3点挙げてみた。
① 価値的高次元
② 意識的高次元
③ 時空的高次元
コンテンポラリーアートの面白さは、アーティストが敏感に社会に反応し、自由に自分の感性を形にしてきたことにある。新しいアートが生まれた時は、同時代に生きている人間には不可解なものとして映るが、しばらく時間をおいてみると、そのアートがまるで社会の鏡であったかのようにその時代を反映している事が分かる。それと同時に、コンテンポラリーアートは、その時代を反映するだけでなく、その時代の問題への解決策への糸口も提示する。崩壊する資本主義の中で生まれ育ち、ハイブリッド化されたコンテンポラリーアーティストである名和の作品から、資本主義揚棄のためのいとぐちが見つかるかもしれない。
2. 価値的高次元
現在、一部のコンテンポラリーアートは信じられないような高額な金額で取引されている。その金額を決定しているのはある特定の人間であり、特定とはまさしくそれを購入した本人でしかない。その作品の購入者はその作品を売買するつもりがあるか否かは別として、それは他の誰かにとっても、それに近しい金額、もしくはそれ以上の価値があると思い込んでいる。これが価格の高騰を引き起こす転売の仕組みである。しかし、なぜ購入者は次も価格が上がると予測するのだろうか。転売は単なる貨幣と作品との交換である交換様式Cのように見えるが、その裏には共同体の存在がある。
柄谷は、価値を物に付着した何かをフェティシュ(物神)だと述べている。この時点では四つのそれぞれの交換様式においての差異は求めていない。マルクスがフェティシュという概念を取り入れたのは、1842年にシャルル・ド・ブロスの『フェティシュ諸神の崇拝』を読んだときである。フェティッシュという概念は、ド・ブロスが最初に定式化したものであるが、元来、アフリカの住民の間で行われていた護符・呪物崇拝を意味していた。このフェティシュについて柄谷はマルクスを引用して次のように解説する。
ここでいう“超感覚的”な力とは、マルクスがよく冗談めかして使った物神、亡霊、幽霊などという霊的なものだ。これは、共産主義という霊から、神、国家、貨幣・資本、人間などの霊にも及ぶとされている[xliv]。要するに、貨幣を商品と交換する際に、人がその商品を購入した後に得られるメリットや作り出す世界がその商品の価値だという考え方である。柄谷はここで偶像崇拝とフェティシズムの違いについて述べる。
筆者が、コンテンポラリーアートが交換様式Dであるという理由はここにある。コンテンポラリーアートの転売は、交換様式BやCにもとづく偶像崇拝的ではない。交換様式BとCに付着する霊について柄谷は次のように解説している。
ここで、交換様式BやCにもとづく偶像崇拝は個人にもとづくものであることが分かる。交換様式Dは共同体に帰属すると柄谷は言う。
コンテンポラリーアートの売買が交換様式Dであるという点もここにある。コンテンポラリーアートにはコンテクストが存在している。コンテクストは受け手の理解により初めて力をもつ。また、コンテンポラリーアートはハイコンテクストである故に一般化されない。一般化されないが故にフェティシュ(物神)は高い価値を維持し続ける。
名和の「Pixcell」を後藤繁雄は偉大な発明だと言った。これは「Pixcell」にアートワールドが保管しているコンテクストという宝物が綺麗に詰め込まれていることを意味している。
まず、「Pixcell」に使用される剥製はインターネット上散らばっているものを探すところから始まる。それは単にネットワークのオークションで販売されているものの中から、良さそうなのを選ぶという行為なのだが、意味することはそれだけではない。剥製の制作者からの購入でもなく、猟師が撃った動物を自分たちで剥製にするのとも違う。名和自身は、死んだ動物の毛を触るのは気持ち悪くて好きではないと言う。この行為は、いわゆるゴミの再利用だ。名和はそのゴミを復活させている。そして、剥製は元々飾られる物として活用されていた。動物としての「死」、剥製としての「死」に、もう一度「生」を与え再生させている。この行為はコンテンポラリーアートでは有名なレディーメイドという手法である。
そして、この作品は一般的に見ると一見彫刻には見えないが、彫刻なのである。先述したが、名和はイギリスでトニー・クラッグ(1949-)[xlviii]の作品と出会っている。クラッグと名和の作品との共通点は生命体を思わせる有機的形態の造形である。クラッグのサイコロは分子の意味性もあるが、サイコロは一つの単位として表皮のすべてを覆っている。名和はそれをサイコロではなく、クリスタルビーズで表皮のすべてを覆った。これは、過去の名和のウリ坊にクリスタルビーズを付けた経験を反映したものだと想像できる。クリスタルビーズがサイコロよりも優れている点は、クリスタルビーズの効果により、視覚と過去の触覚の経験という感覚の時間差を同時に体験させられるところにある。われわれはまず、過去の経験と類似した被写体に遭遇した時、自分の記憶から対象を判断しようとする。仮にそれが鹿だとした場合、過去触れた経験はなくとも毛の質感などから、例えば犬に触れた記憶から鹿に触れる感覚を想像する。通常、脳で起きる感覚的思考は意識されないため、目の前の鹿にも鹿らしい感触があるのだろうと一般化される。しかし、目前にクリスタルビーズがある事で、それは意識されるものへと変わる。鑑賞者と剥製の接触を阻む存在としてのクリスタルビーズは、執拗なまでに鹿の感触を確かめたい欲求を起こさせる。円形のクリスタルビーズと鹿の剥製との接点により、その感覚的思考が増幅されるためだ。クリスタルビーズと剥製との接点は、剥製本体の表面積の10パーセント程度だろう。それにも関わらずその10パーセントは拡散され目の前で鹿を表している。見えているようで見えていないという事実と、過去の触覚の経験が頭の中で交錯しあい、ジレンマに似た不思議な感覚に陥り、感性的思考が発動し、自分の知っている鹿の手触りは、過去の触覚の経験によるものだと意識される。自分はクリスタルビーズに覆われた鹿の剥製を目の前で見ただけであり、本物の鹿を触った訳ではないのだということがはっきりと分かる。初期の三作品にも見られる名和らしいユーモアだ。コンテンポラリーアートの価値は、単に見た目に依存したものではない。見た目ではなく、鑑賞者が作品に対峙し、経験することで得られる影響にとっての価値だ。
イマヌエル・カント(1724-1804)は『道徳形而上学言論』で価値について語る。
ここでカントが言う尊厳とは何か。
コンテンポラリーアートは、資本主義と同時に生まれた相関する双子のような存在である。なぜなら、アーティストたちが、社会の変化を敏感に感じ取り、イメージが飛躍するまで素材に対し命を費やし形づくった「情熱の塊」であり「熱い命の烙印」だからである。作品はその熟練度やプロセスを理解できる者にとっては、強烈に愛されるものとしての力を備える。個を超え、アートワールドという共同体に働きかけるだけの力をもつものとなる。その時、等価物を測る物差しは喪失し、価値ではなく尊厳となり、同時に他の共同体とも相互に目的として用いられる存在となる。“向こうから”来るのだ。価値が高次元で回復する時、そこには尊厳が生まれる。
3. 意識的高次元
意識的高次元は、名和の《Metamorphosis Garden》に見受けられる。名和は《Metamorphosis Garden》を互いに補完し合う生態系と解説している。この作品は名和晃平本人において、自らのアート作品を貫く重要なビジョンであり、方法論であると発表している作品でもある[lii]。ここではまず、前段として2013年に瀬戸内海の犬島「F邸」に収められた《Biota (Fauna/Flora)》から見ることにする。「Fauna」は「動物相」、「Flora」は「植物相」を意味する。ゲーテの著書『動物のメタモルフォーゼ』『植物のメタモルフォーゼ』から発想を得ていると推測できる作品だ。ゲーテはメタモルフォーゼについてこう述べる。
シュタイナーはゲーテについて、「生命体の本質という彼の理念こそ、生物学における最も根源的で中心的な発見と言える」と称賛する。また、《生体を死物と同じに観ることはできないし、生体が非生命的自然の諸以上のものを持つことはゲーテにとって初めから明らかだった》と語る。シュタイナーはメフィストフェレスに対して判決を下させた一文を用いて解説する。
シュタイナーがゲーテを讃えたのは、ゲーテが生命を動かすシステムではなく、生命そのものに着目している点だった。名和のインタビューで印象的な内容がある。
「すべての物が重力によって、下に落ちるじゃないですか。でも命だけが、上に上がろうとしているんです。鳥はもちろんですけど、他の動物も、植物なんかは特に分かりやすいと思います」
名和が「生命」に対して深い見識があることは間違いない。《Biota (Fauna/Flora)》や《Metamorphosis Garden》に見る世界は、「生命」そのものである。並んだ作品一つ一つの形状には「生命」の物語がある。その作品群にはまた、地球の小さな物語がある。その小さな物語は、未来永劫続く大きな物語の一部となっている。《Metamorphosis Garden》におけるステートメントを引用する。
《Metamorphosis Garden》に登場する島々は、日本神話における「国生み神話」などからイメージされたものだ。《Biota》はこれよりも昔とも取れるし、今よりずっと遠い未来とも連想できる。そして、まさに今だと感じることもできる。われわれの起源的な場所なのか、いつか帰る場所なのか、いのちが帰趨するどこかのような印象を受ける。このような場所をシュタイナーはゲーテを通じて語る。
《Metamorphosis Garden》で名和が求めたのは、ゲーテの言う自然を動かす偉大な両輪である対極と高進という概念だ。《Metamorphosis Garden》のステートメントにある「人間はどこへ行こうとしているのだろう。」という疑問句は「不断の上昇」により表現されている。「不断の上昇」は自然の一部である人間世界にも存在する。この現代もまさに「不断の上昇」の真っ只中にあると言っていい。名和の《Metamorphosis Garden》の世界を「不断の上昇の世界」で言い換えるなら、植物も動物も最高次へ向かって高進する事で「変容」が起こり、高次元で対極のバランスを保つ存在同士が共鳴し合い《Metamorphosis Garden》を形成する。このことは前節の「情熱の魂」を内包する継続的な「変容」によって、高次元の価値である尊厳が生まれることも同時に意味する。
「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う」という道徳法則とは、現時点での人間の最も意識の高い状態を指す。すべての他人を自分と同等に重要な存在として認識することができれば、人間同士は、例え傷つけ合ったとしても、それは変容のための経過でしかなくなる。名和の貫く重要なビジョンであり、方法論である不断の上昇を続ける《Metamorphosis Garden》は、まさにカントの「永遠平和」へと通ずるものであり、柄谷の見る交換様式D再来のポテンシャルでもある。全人類が生存し続けるという目的のために高進することで生まれる関係性が「世界共和国」へと向かう人類の《Metamorphosis Garden》でもある。
4. 時空的高次元
黄金の《Throne》は名和を世界で飛躍させた作品の一つでもある。2018年ルーブル美術館のジャポニズム展で美術館正面のピラミッド中央に浮遊した黄金の玉座は、デジタルワールドと人間社会が融合する世界だ。実態不在の王位の存在の不気味さに脅威を感じるとともに、威風堂々とした王座の周りを漂うすがすがしさからは、おとずれる未来の力強い可能性も同時に予感させる。
《Throne》の原型は、様相は大きく違うが《アニマズモ》だ。《アニマズモ》は初期の三作品を解体したきっかけとなったある意味での名和の最初の作品でもある。2000年の大学院の卒業制作の作品だが、この制作方法の作品は後に《SCUM》=(灰汁)と呼ばれるようになる。《SCUM》を形成する発泡ポリウレタンはポリオール成分とイソシアネート成分の2液が化学反応して形成される樹脂であり、液体から個体に変化していく過程で30倍以上膨らむ。膨張した形態にモチーフや記号的な要素は無く、ただ意味性、ストーリー性の欠落した「ボリューム」だけがそこにある作品だ。この作品は都会で膨らみ続ける資本主義の様相を表しているとも言われているが、流動的で、閉じ込めても中で膨張し、強力な力で内側から破壊してしまう点は貨幣経済の様相そのものであり、資本主義揚棄の困難さと同様の性質を持っている。《Throne》が《SCUM》を積み重ねた結果生まれた作品だというもの因果であり、また《SCUM》が《アニマズモ》の原型だというのも因果だ。私的表現であった三作品(人間性)を失った《アニマズモ》は膨らみ続け《SCUM》となり、その《SCUM》の作る塊の頂点に君臨するのが《Throne》である。柄谷が述べる交換様式Aから交換様式Cへと拡大する共同体の広がり方、成層的に形成する原理と同様だ。
ここからは、共同体が互酬により成層的に存在し、形成されていく社会の反復的な段階を見ていきたい。まずは、交換様式AからCへのスケーラビリティの拡張であり、それを第一段階とする。部族間の交流における贈与、国家間の交流における略奪と再分配、資本主義経済における貨幣と商品の交換の順でのスケーラビリティは急進的に拡張した。柄谷はこの過程で起きた現象の裏側を次で説明している。
グルーバル化した社会において交換様式Cは地球上において実存的に最大のスケーラビリティとなったが、そうさせた資本主義の崩壊も同時に始まっている。資本主義は形が定まらないため気づきにくいが、コロナウィルスの出現により崩壊の輪郭は見えてきた。貨幣の価値はすでに情報により駆逐されていたのだ。閉ざされた3年の間に、溢れていた情報はふるいにかけられ、価値ある情報だけが炙り出された。情報網の地球網羅は、貨幣の世界網による一神教化への速度よりもずっと急進的であり、いつの間にかインターネットにより、世界中の情報が手に入ると信じられていた。しかし、コロナに関して多くの人が手に入れられる情報は、コロナの感染者数を除くと、個人の所管や感情の類の範疇から逸脱することはなかった。
また、マスマディアに関しても、マスメディア自身が自分達の情報の信憑性に自信を失うこととなった。マスメディアの情報は、コロナ間において、局地的な情報が散々となり、不安ばかりが煽られ、不確かさに意識が集中させられ、過去に積み重ねたデータに関してまでも信頼性を失いかけた。
結果、われわれは些細なことでも自分自身にとって本当に信頼できる情報を探すようになり始めた。それは、自身の経験や直感と言われるものの力の回復となった。神秘主義や、スピリチュアルも、以前は宗教と一括され排除されたが、コロナ以降は平然と個々が咀嚼して解釈するようになった。資本主義でのアニミズム消失はコロナ以降回復の方向へとベクトルを変えている。これを成層的な共同体のスケーラビリティに反復だと捉える。
名和の《Throne》もこれと同様のストーリーを描いている。黄金の《Throne》に関しては、王座は不在だ。これは一つ、宗教や王族の時代は終わり、民主主義の時代に王座に座る者はいない、そこに座るのは人間ではなく情報だという解釈だ[lxiii]。しかし、《Throne》の王座に子供が座るパターンのものがある。子供は「素直な感性」を象徴するアニミズム的思想だ。「情報」と「子供」、どちらも王座に座る相応しい存在であるが、確実性に欠ける点がいなめない。だからこそ、二つのパターンが存在するのかもしれない。情報の信頼度が下がれば国家の信頼度も下がる。その時、アニミズムの力が回復する。交換様式BとCの力の低下は、交換様式Aであるアニミズムの力を回復させるのだ。アニミズムの回復は呪術の回復であり、互酬交換における物神の回復でもある。この反復により現れる物神の中に、交換様式Dは存在している。
結
第三章では、名和の三作品のみを取り上げたが、名和の作品はどれも価値、意識、時空が三位一体となり高次元で回復している。それは世界において日本の異種性や、違和感がもたらす特別性を上手く緩和し、自然に世界へと溶け込んでいることが一つの要因である。ここまでの内容をまとめると以下のようになる。
名和は資本主義社会の真っただ中に生まれ落ちた感度の高い子供だった
日本の学校教育の中で、異物のまま成長した
芸術大学に入学する事で、水を得た魚のようになり芸術の世界へ没頭していく
名和は「バラバラになった個々の世界」でのアート戦略について模索する
イギリスに留学し、自分のアート戦略を見出しハイブリッドな存在となる
名和のアート戦略は、世界的に高次元で価値交換をもたらす存在として確立される
制作プラットフォームSANDWICHを設立することで量産制作を可能とした
産業経済の中で、高次元で製品を量産する仕組みを形成することは、非常に困難であった。しかし、名和はこれをSANDWICHというプラットフォームを作ることで可能にした。これを可能にした名和の一方法論は、類を見ない力を秘めた制作戦略だ。まさにアートが日常の世界の中に佇み、溶け込んでいく、新しいアートの在り方をリードする戦略だと言えるだろう。
最後に交換様式Dを意識することが、今後大きな力になるという内容について解説することで、この論文を終えたい。世界を意図的に交換様式Dにする事は不可能だが、柄谷の言うように交換様式Dは様々な場所に点在している。例えば、フェラーリは、さまざまな点で交換様式Dと言える。それは、フェラーリにはコミュニティがあり、購入価格より高額で転売される。また、誰もがフェラーリの価値を認めたくなくても認めざるを得ない。その価値は世界中どこへ行っても保持されている。
また、個人的には、日本の伝統工芸に高次元での回復を望む。まだ多くの日本の伝統工芸は、完全に高次元にあると言えないが、一部ではそれが変わってきている。茶筒の「開花堂」や西陣織の「細尾」をメンバーとする伝統工芸グループ「GO ON」の取り組みは、まさに高次元での回復を実現する活動である。日本の伝統工芸は、鎖国時代の日本においては氏族的共同体同士によって交換様式Dが成り立っていた。江戸時代は参勤交代が情報の交通網となり、日本中どこへ行っても共通のフェティッシュが存在し、そのモノの尊厳が理解された。分かりやすい例を挙げると一見さんお断りなどは、共同体と共同体の間で起きていたフェティシュの相互贈与でもあった。しかし、資本主義社会において氏族社会の繋がりは薄れ、交換様式Cの延長として扱われるようになった。当時は高次元であったにもかかわらず、境界が曖昧であったため崩壊していき、物象化の蔓延により尊厳の喪失が起きたのだ。
筆者は、日本の伝統工芸において時空的に高次元である状況を作ることができれば、価値的にも、意識的にも高次元の回復は可能であると考える。端的に言えば日本の伝統工芸のファンが世界中に増えれば、それは可能になる。現在では、Web3.0による時空的な高次元の回復が可能になるからだ。Web3.0は柄谷のいう生産協同組合のような、各所でそれを実践する存在ではなく、ネットワークにより世界を網羅する共同体の広がり方を、成層的に形成する原理で成り立つシステムである。ネットワーク上では、交換が時空を隔てることなく可能なものとなる。Web3.0上には共通の価値に集合する共同体が無数に存在し、利用者はさまざまな共同体を縦横無尽に行き来できる。そして、そこでは共同体の持つ価値が、他の共同体においても有効な価値と認められることができれば、時空的高次元の回復が存在するようになる。
これは概念上ではあるが、世界共和国の始まりのように捉えることもできないだろうか。作品や作家の魅力に引き寄せられ生まれる共同体が、成層的に折り重なっているアートワールドであれ、同様にミュージックワールドであれ、そこに集まる人間たちがその共同体のもつ価値をそこで最大限に引き延ばしているのも、これと同様のシステムである。すべての共同体が他の共同体と接続しその尊厳を受け入れることで高次元の回復が可能となるはずだ。捉えようとしても捉えらない存在こそが交換様式Dなのである。
筆者は、庭に灯籠のように設置された《Ether》と名付けられた物体をぼんやり眺めていた。すると、空から《Ether》ほどの巨大な一滴の水滴が垂直に落ちてきた。その水滴は、太陽の光りを我が物にして輝いている。それは、まるで生きているようにも、呼吸しているようにも見える。筆者は、このたった一滴の水滴によろめいた。すると、空からのこの水滴が、いくつも降ってきた。これはまぎれもなく雨だ。この物体は雨に違いない。森羅万象生命の雨だ。そう思った瞬間、生命の雨は一つ残らず目の前から消えた。光輝く生命の一滴が、ぽつんともとの場所にあるだけだった。
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OIL/美術手帖HPこの時代にしかできない創作を(2019.04.15)
https://oil.bijutsutecho.com/special/6
Burart HP、時を超える−美の基準(2019.09.05)
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FINDERS HP、アートワールドに提出された、「Throne」という名の「空座」の問い。|彫刻家・名和晃平【連載】ビジョナリーズ1
https://finders.me/articles.php?id=387
TECTURE MAG HP、名和晃平 個展「Oracle」表参道[GYRE GALLERY] ,(2020.12.07).
https://mag.tecture.jp/event/20201207-17719/
Hanako HP 吹き抜けに現れた生命と物質、その境界にある曖昧なものが共存する世界。
彫刻家 名和晃平による『Metamorphosis Garden(変容の庭)』の展示が〈GINZA SIX〉でスタート。(2021.04.22)
https://hanako.tokyo/learn/225752/#heading-3
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PRTIMES HP アジア初 日本の哲学者 柄谷行人氏、2022年バーグルエン哲学・文化賞を受賞(2022.12.08)
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美術解説するぞー ビジュラジオ HP 李禹煥と「もの派」解説!岩を置いただけがアートに!?
https://www.youtube.com/watch?v=-PLxT2lTu14
現代京都藝苑2021シンポジウム①「もの派の帰趨――小清水漸の芸術を中心に」
https://www.youtube.com/watch?v=jIqaOeXeWLQ&t=509s