ユマニチュードを哺乳と離乳食に応用する

ユマニチュードは高齢者向けの介護や看護の技術だと思われているけれど、子育てにも非常に応用が効く技術だと考えている。
息子が赤ちゃんだった頃、私がミルクを与えると嫌がる素振りをよく見せた。もっと飲めよ、と突っ込むのだけれど、そうすると顔を背けて哺乳瓶から口を離そうとする。

あるいは、すぐウトウトと眠り始めてミルクを飲むのをやめてしまう。どうやったらもっとたくさんミルクを飲んでもらえるだろう?と私は考えた。すると、ふと「押してダメなら引いてみな」という言葉が思い浮かんだ。それまでは哺乳瓶を押し付けていたのだけれど、わざと引き気味にしてみた。

すると、なんと、赤ちゃんは 哺乳瓶に向かって食らいついてきた!油断すると口元から離れようとする哺乳瓶を逃すまいと、 吸うことで哺乳瓶を引き寄せた。腹が膨れて眠気が襲ってきても、「ええんやな?もうええんやな?」と引き気味にすると、赤ちゃんは再び目をカッと見開いて勢いよく吸い始めた。

どうやらそれまでの私のやり方は、赤ちゃんにもっと飲めよ という気持ちが先走りすぎて、口に向かって哺乳瓶を突っ込みすぎていた。そのため、赤ちゃんはミルクに溺れるような感じになってしまったらしい。それが苦しくて顔を背けたりする反応を見せたようだ。

また、赤ちゃんが大してミルクを飲んでないのに眠り始めるのは、やはり「何もしなくてもミルクが来る」という受け身な状態に置かれて、能動的にどうこうしようというのを諦めてしまうかららしかった。私の押しつけが赤ちゃんの能動性を奪ってしまっていた。

逆に、哺乳瓶を引き気味にする場合、油断すると口元から乳首が離れてしまう。そうはさせじと意地になるところが赤ちゃんにもあるらしく、強く吸うことで哺乳瓶を逃すまい、と能動性を引き出せるようだった。ほんとうにお腹いっぱいになれば、口から離す自由も担保されてるし。

でも過去の私は、赤ちゃんの口に哺乳瓶を突っ込んでいたから、赤ちゃんは自分の意志で哺乳瓶から逃れる自由がかなり損なわれている状態だった。だから顔を背け、「自分で吸うかどうかは選択させてくれ!能動的になるゆとりをくれ!」という反発を受けたのだろう。

次のお話。
娘に離乳食を食べさせていたのだけど、ちっともこちらを向いてくれず、よそ見ばかり。なんなら私とは逆の方向ばかり顔を向けてしまう。仕方がないので「このへんかな?」と見当つけてスプーンを突っ込んだら口を閉じていて、床にバラバラと。

ともかくよそ見ばかりで全然食事が進まず、床にばらまいてばかり。どうしようかな、と考えて、やはり「押してダメなら引いてみな」と考えを切り替えてみた。
娘の口元までスプーンを運ぶのをやめ、スプーンを娘から少し離して空中停止した。娘はキョロキョロよそ見ばかり。

でも、一向に口元にスプーンが来ないのに気が付き、私の方を久しぶりに見た。するとスプーンの存在に気がつき、口をパカッと開けた。
でもここで喜んでスプーンを突っ込んだらまた元の木阿弥になると感じた私は、娘が頑張れば届く位置にスプーンを空中停止させたままにした。

すると娘は首を伸ばしてスプーンにパクつこうとし始めた!私はその能動性の発生に驚き、「おお!頑張れ!もう少し!」と声援を送った。みごとパクつけたとき、「やったー!」と私が歓声を上げると、娘は誇らしげで嬉しそう。
私は「さあ、次はここだ!届くかな?」と、さっきとは別の位置に空中停止。

こうして、娘は脇目も振らずに離乳食を平らげた。
なぜそれまでの私のやり方では離乳食を食べようとしなかったのだろう?それは、スプーンを口の中にまで押し込むようなことをするから、能動的になる余地を娘から奪い去っていたからだろう。

娘は能動性を取り戻すため、よそ見をするというフロンティアの方に行ってしまった。私が「食べる」という行為の中に、娘の能動性の余地を残さなかったから、娘は能動性を別分野で取り戻すしかなくなってしまったのだろう。

でも私がスプーンを空中停止し、娘から口を近づけない限り食べられない、と、娘から能動的になる余地を残したことで、「食べる」という行為は、一種挑戦的なゲームに変わったのだろう。その途中では私が声援を送り、やり遂げると「やったー!」と私が驚き、喜ぶから余計にゲーム性が増したのだろう。

子育てにおけるユマニチュードのコツ、それは、
①子どもが能動的になれる部分まで奪わないこと
②必ず本人が能動的になれる余地を残し、本人が動き出すまで待つこと
③能動的になったらそれに驚き、声援を送ること
④やり遂げたら歓声を上げ、驚くこと
だと思う。

どれだけ能動的になってもやり遂げられる見込みがない場合、赤ちゃんでも諦め、能動性を失ってしまう。しかし赤ちゃんがどうしようもない部分は親がアシストし、本人がやり遂げられそうな部分は残しておくと、赤ちゃんでも「これならやれそう!」と思い、挑戦しようとする。こうして能動性は発生する。

私達はついつい、よかれと思って、大人ができる部分をぜんぶやってしまう。しかしそれは子どもからしたら「能動性の強奪」。自分が能動的に挑戦する余地を全部奪われて、面白くない。だからよそ見したりそっぽ向いたりするのだろう。能動的になれる余地を求めて。

何もできないように見える赤ちゃんでさえ、挑戦すればやり遂げられそうなことには挑戦せずにいられない能動性がある。その能動性を発揮する余地を奪わない。それが子育てでユマニチュードを応用するコツなのではないかと思う。

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