「待つ・任せる」技術、ユマニチュード

ユマニチュードはケアの技術として知られているけど、「待つ」「任せる」をきちんと技術に落とし込んだ、非常に応用範囲の広い考え方だと思う。大島寿美子「『絆』を築くケア技法 ユマニチュード」を読んで、その感を深くした。ジャーナリストの大島さんだからこその視点で描かれていて興味深い。

本書を読んで、「あ、子育てもユマニチュードだよな」と思い出したエピソードを一つ。
娘に離乳食を与えていたんだけど、あさっての方向ばかり見てちっとも食べるのに集中してくれない。向こうを向いてる娘の口はこの辺か?とアタリをつけてスプーンを突っ込むと、口を閉じてて床にバラバラと。

そこで私は腹をくくった。「こっちのペースで食べさせるのを諦めよう、娘が食べたくなるまで待とう」と、スプーンを、娘が正面向いたらの位置に空中停止して、ひたすら待った。
よそ見ばかりしていた娘は、ふと食べ物が口に運ばれてこないことに気がつき、私の方を向いた。そしたらスプーンに気がつき

口をパカッと開けた。しかしその瞬間、「ここで気を許してスプーンを口の中に突っ込めば、またよそ見する気マンマンだな」と感じた私は、スプーンを近づけずに、空中停止させたままにした。すると、近づいてこないスプーンにじれた娘は、口を次第に伸ばし始めた。私はその能動性の発生に驚いた。

何しろここのところ、ずっとよそ見ばかりで、自分から食べようとするなんて、初めて見るから。私は思わず応援した。「そうだ!その調子だ!届くか?頑張れ!」
娘は首を伸ばし、何とかスプーンに自らパクついた。私は「やったー!」と快哉を叫んだ。これは面白いと思い次の離乳食も、

スプーンを娘の口の中に突っ込むのではなく、むしろさっきよりも少し娘から遠ざけて空中停止した。すると娘は身を乗り出して首を伸ばし、スプーンにパクついた。私はその能動性に驚きの声を上げ、「やるじゃーん!」と喜んだ。娘もすっかりこのゲームが気に入ったようで、よそ見せずに食べきった。

それまでの私は「待たなかった」し、「任せなかった」。スプーンに離乳食をすくったら娘の口の中にまで突っ込んでいた。この間、娘はひたすら受動的。まさに「食べさせられている」感だったろう。赤ちゃんといえど、いや赤ちゃんだからこそ、能動性を発揮できない食事はつまらなかったのだろう。

よそ見は、娘が能動性を発揮できるフロンティアだったのだろう。離乳食を食べさせられるという受動性の状態から逃れるための。どうやら赤ん坊の頃から、人間は受動的な状態を嫌い、能動性を発揮できるものを探す性質があるらしい。

ところが私がスプーンを娘から少し離して空中停止すると、娘が能動的になれる余地が生まれた。しかも首を伸ばして何とか届くかどうかというチャレンジングな距離。うまく達成すれば父親が驚き、歓声を上げるというゲーム設定。何の気なしのよそ見より、はるかに課題が明確で娘は面白かったらしい。

私の側は、スプーンに離乳食を盛ったら空中停止して「待つ」、そして娘が能動的に食べに来るに「任せる」、ということに気をつけるだけ。いつ娘がこっちを向く気になるのかも、いつ食べる気になるのかも全て娘に委ね、ひたすら待った。この「待つ」「任せる」が能動性の発生には重要らしい。

ケアの現場でも、ユマニチュードでは「待つ」「任せる」を決定的に重視している。ユマニチュードでは、手を触るにも「手を触っていいですか?」と必ず声をかけ、反応を待つ。触ってよいかどうかの判断をケアする側が決めてしまうのではなく、患者に任せる。委ねる。この姿勢が徹底してるから、

患者は、自分の意志を尊重してもらえてると感じ、能動性が回復していく。もう1年以上も口をきかず、寝たきりという患者が、ジネスト氏(ユマニチュードの創設者)にかかると、話し始めたり立ち上がったりすることが少なくないのは、この「待つ」「任せる」という姿勢が徹底しているからだろう。

私は、子育てにしろ、部下育成にしろ、老人介護にしろ、人間関係のあらゆる場面でこの「待つ」「任せる」が重要に思う。人間は動物である以上、能動的でありたいという欲求を捨てきれない生き物なのだと思う。しかし待たない・任せないという環境に置かれると、人は心を潰されてしまう。

ユマニチュードは、この「待つ」「任せる」という要素を、技術にまで高めている点で非常にユニークだと思う。ユマニチュードは認知症の人に合わせて開発されたものだから、健常者相手の場合はアレンジしなければならないが、その精神はあらゆる話面で通じるように思う。

もっとこの「待つ」「任せる」ということの重要性を、いろんな分野で認知されるといいなあ、と思う。
それで思い出したエピソードをもう一つ。実家に帰ると、近くの公園から若者たちが花火で騒いでるのが聞こえた。私も父も、まだ夜も早いし、と気にしてなかったが、

ご近所の方がえらい剣幕で若者たちを怒鳴りつけてる声が聞こえた。すると、しばらくしてさらに騒ぎがひどくなった。それでも私や父は「若い頃は騒ぎたいよなあ」としばらく放置。
さて、夜もふけ、22時になろうかという頃、父が公園に向かった。するとピタリと静かになった。

戻ってきた父に「若者にどんな話をしたの?」と尋ねると、次のように話しかけたらしい。
「お楽しみのところ悪いな。あそこ、病院があるやろ。消灯が10時で、その時間になったら入院してる人は嫌でも寝なあかんねん。10時になったら、少し声を抑えてやってくれるか。悪いな」と。

そしたら「わかりました」と素直に返事してくれ、すぐに音の鳴る花火はやめて、手に持つタイプの花火に切り替えてくれたという。声もヒソヒソ声で。父が戻ってきてしばらくしたら、若者たちは解散したらしかった。
同じ注意するのでも、なぜご近所の人と父とで若者たちの反応が違ったのだろう?

恐らくご近所の方は、若者達に判断力があるとはみなしていなかった。「騒いじゃいけないなんてことも思いの至らない愚か者たち」と断じていることを、若者たちは感じ取ったことだろう。そして、すぐに花火をやめる以外の選択肢を若者たちに許さなかった。待たなかったし、任せなかった。

他方、父は、病院が夜10時に消灯する情報を伝え、声を抑える依頼はしたものの、花火をどうするかまでは若者に判断を任せた。10時になるまでは構わない、と「待つ」姿勢もあった。これらによって、若者は、大きな音の花火をやめようとか、自ら判断し、行動する能動的な余地を確保できた。

若者が自主的にそれらの判断を下し、実行する様子に「せっかく楽しんでるのに、水をさして悪いなあ」と父が声をかけるものだから、よけいに若者は「能動的に自分たちが選択したことだ」という感覚(能動感)を持ちやすかっただろう。

これに対し、もし、ご近所の怒鳴り声に従う形になったら。若者を黙らせ、花火を即座にやめさせたのは自分の勇気ある怒鳴り声のおかげだ、と、自分の功績にしてしまい、若者たちの従順さをも「愚か者たちめ、勇者のオレにひれ伏すがいい」と見下した形になってしまう。若者はそれに反発したのだろう。

父のアプローチは「待つ」、そして「任せる」ものだったから、若者は自分で判断し、自分たちで決断した、という能動感を味わう余地があったのだろう。だから音の鳴る花火をやめる、声を落とすということにも素直に移行できたのだろう。

ケアする人に対し、暴力的で反発ばかりする患者に手を焼いていたら、ユマニチュードのアプローチをすると素直にケアを受け入れ、喜んでくれる確率がグンと上がるという。これも、ユマニチュードが「待つ」「任せる」を重視し、患者が能動性を発揮できる余地を必ず確保するようにしているからだろう。

指導する立場の人、あるいはケアする側の立場の人は特にこの「待つ」「任せる」を心がけ、相手が能動性を発揮する余地を確保する、ということを重視する必要があるように思う。人間は能動的に動けない、その余地がないなら、そこから逃げたくなる、あるいは反発したくなる生き物のようだ。

必ず相手に、能動的に選択し、行動できる余地を残す。そのために「待つ」、「任せる」。これを心がけると、今まで全く動かなかった事態が、意外にスムーズに動くようになる確率(しかも結構な確率)を増やすことになるように思う。お試しあれ。

ケアの初心者、素人だった大島さんだからこそ、ユマニチュードの「待つ」「任せる」という姿勢が明確に浮き彫りになっているように思う。本書、お勧め。

大島寿美子「絆」を築くケア技法 ユマニチュード
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E7%B5%86%E3%80%8D%E3%82%92%E7%AF%89%E3%81%8F%E3%82%B1%E3%82%A2%E6%8A%80%E6%B3%95-%E3%83%A6%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%89-%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%82%B1%E3%82%A2%E3%81%8B%E3%82%89%E9%96%A2%E4%BF%82%E6%80%A7%E3%81%AE%E3%82%B1%E3%82%A2%E3%81%B8-%E5%A4%A7%E5%B3%B6-%E5%AF%BF%E7%BE%8E%E5%AD%90/dp/4416619758/ref=sr_1_1?dib=eyJ2IjoiMSJ9.E_-Me8HOkcefS6LZbRz0tG5X9nMYH5xWFO-df3U7gNt8AhLipySHYC6zrBz2oOWqQWrQRWm2LXVVciaeW91h2KBkFl0NvO7udRu131393IdD8yGnUM7bNmyW0kEFUCyO5UflVGYNVIOuAkafkmUexg.IRzQ_8i8gpfM1DeKorx7jaxq-hNq_Tvn7Y9-zqIoadI&dib_tag=se&qid=1733452199&s=books&sr=1-1&text=%E5%A4%A7%E5%B3%B6+%E5%AF%BF%E7%BE%8E%E5%AD%90

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