短所を見るな、長所を伸ばせ

父はよく「短所を見るな、長所を見ろ、長所と短所は表裏一体、長所を伸ばせば短所は隠れる、長所を伸ばせ」と言っていた。
弟たちは成績優秀で、特に上の弟は美術、技術がオール5、下の弟は体育がオール5。かたや私はどれもパッとしない。オール3、時々2。

才能では全く恵まれていなかったと思う。そんな三兄弟のそれぞれの長所を、父はどう評していたかというと、「信の粘り、次男のひらめき、三男の集中力」と繰り返していた。次男は小さな頃から確かにひらめきがあり、木のスプーンなんか見たこともないのに板から削り出したりして、家族を驚かせた。

三男は野球が大好きで、野球がうまくなるにはどうしたらよいか?と尋ねたとき、「素振りを千本振ればいい」と聞いて、まだ幼稚園にも通わない小さな頃に実践、手のひらの肉がえぐれていても千本振るまでやめなかった。ものすごい集中力。

私は次男のようなひらめきが全然なかった。かつて見たことのあるもの、聞いたことのあるものしか思いつかず、創造力というのが見事に欠落していた。
私は三男のような集中力は全くなく、嫌になるとすぐにやめてしまう。球技全般が苦手で、足も速いわけじゃない。とう考えてもいいとこなし。

ただ、私には「粘り」がある、と父は評した。とはいえ、父も表現には苦労したらしい。私は一つのことを粘り強く続ける力があるわけではなかった。すでに述べたように、嫌になるとさっさと放り出してしまう。ただ、私が独特なのは、完全に嫌になったかと思うと、忘れた頃に再開していること。

「もしかしたら、今ならできるかも?」と思うと、再開してみる。それでもやはりダメだと思うと、さっさとやめてしまう。でも頭のどこかで覚えていて、何かヒントを得て「今ならできるかも」と思ったら再開。それが年単位、場合によっては10年単位で起きる。悪くいうとしつこい。

父が「信独特の粘り」と評した特徴は、言語化されたことで余計に意識され、伸ばされた感がある。自分のひらめきのなさを痛感していた私は、「なんとかして、私みたいな創造性のない人間でも創造性を発揮するコツみたいなのを開発できないか?」と、しつこく40年近く考えていた。

それが結実したのが3冊目の本「ひらめかない人のためのイノベーションの技法」。ひらめきのある人は特に何もしなくても「降りてくる」のかもしれないけど、私みたいにひらめかない人間は、そうした天才を模倣するコツが必要。鳥のように羽ばたいて飛べないなら、プロペラ機で飛べばよい。
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創造性のなさに苦しんできた私は、三十歳を超えたあたりから「創造性がある」と評されるようになった。なんだか不思議な思いがしたけど。
創造性の高い人を観察し、鈍い私が同じ場面で同じアイディアを見つけるにはどこに着眼したらマネできるのか、それを何十年もしつこく考え続けた結果、

「このシチュエーションならここに着眼すれば創造できる」というのが蓄積した。私の「粘り」が、欠落してした創造性を補うことになった。

すでに述べたように、私は球技をはじめとするスポーツ全般が苦手だった。スポーツ万能の弟を観察して、どうにか私にも模倣できないかと考え続けていた。

大学生になってヒントをつかんだ。その本はスポーツとは何にも関係のない中国古典「荘子」。その中に包丁の語源ともなった伝説的料理人、庖丁(ほうてい)が出てきた。庖丁は王様の前で一頭の牛の解体ショーを見せた。踊るが如く、音楽のリズムに乗るが如くにスパスパ解体されていくのに王様仰天。

王様は「さぞかしよく切れる包丁なのだろうな」と聞いたが、庖丁は「私は切りません」と不思議なことを言う。「普通の料理人は切ろうとします。そのために刃先がスジや骨に当たり、刃が欠けます。私はよく観察します。するとスジとスジの隙間が見えてきます。その隙間に刃を差し入れると、

肉はハラリと離れます。私は切らないから刃が欠けることなく、もう何年も研いでいませんが、ますます切れ味を増しています」と答えた。
私はこの話に感じ入るところがあった。私は自分の体を完全にコントロールしようとしていた。「切ろうとしていた」。

しかし、完全にコントロールしようとするあまり、体の動きがぎこちなくなることに気がついた。体が動きたいように動くのに委ねた方がよいのでは?と気がついた。それから間もなく、ガルウェイ「新インナーゲーム」を読んだ。それには、不器用な人間の原因が言語化されていた。

不器用な人間は、意識で身体の動きを完全にコントロールしようとする。しかし意識は操縦が不器用。一度に一つのことしかできない上に、操作も下手。だから動きがぎこちなくなってしまう。他方、無意識は同時並行で複数の動きを調整するのが得意。器用。

そうか、無意識に操作を委ねるコツをつかめばいいのか。それからは、意識が操縦権を握ろうとするのをいかにそらし、無意識に操縦を委ねるか、そのコツを集めるようになった。それが結実したのが4冊目の本「思考の枠を超える」。
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私は今は、スポーツにさほどの苦手意識は持っていない。そんなにうまい方でもないが、無意識に心身の操縦を委ねるようになって、昔と比べたらはるかに柔軟にこなせるようになった。「粘り」が、苦手な運動も時間をかけて克服した感じ。

本当なら子どもの頃にそれらができるとよかったのだけど、数々の事故が私の心身を萎縮させ、それが不必要に不器用にさせていたのだろう、と今は思う。私はその反省に立ち、子どもたちと接する際、その着眼点に驚き、失敗の観察を共に楽しむように心がけた。そのためか。

子どもたちは私ほど不器用でもない様子だし、創造性はかなり高い。創造性のなさ、身体の不器用さはどうやらリンクしていて、後天的な呪縛の面もかなりあるなあ、という印象を持っている。もちろん、卓抜した身体能力のある人にはそもそも太刀打ちできないかもしれない。しかし。

本来ならそんなところで足踏みがなくてもよい場所で足踏みしてしまってるケースが少なくないように思う。後天的な環境や関係性のために囚われた「呪縛」により、私達は創造性や身体能力を低下させているのかもしれない。

鈍才を天才に変えることができるかはわからない。しかし極めて鈍才で凡才だった私が、「粘り」という自分の唯一の長所を伸ばすことで、足踏みしていた場所から遥かに前に踏み出すことができたのは事実。そしてそのコツは、恐らく多くの人にも有効なように思う。今よりも前、に進むことは可能だと思う。

人によっては、それで才能が開花することもあるだろう。天才を凌駕することもあるだろう。才能を伸ばす裾野が広がれば、母数が増え、天才と呼ぶにふさわしい人達の出現率も高まるだろう。天才の育て方を私は知らないが、その基礎となる「底上げ」なら、私は可能だと考えている。

私の最大にして唯一の長所、「粘り」が、欠点を補完してくれただけでなく、できない人間だったからこそ、できないなりの底上げの方法を見つけることができたように思う。天才が天才を誇り、凡才を見下すのはシャクに触る。凡才侮りがたし、という世の中にするのが私の夢。それが私の使命、なのかも。

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