農家と都市住民の人口逆転と食料安全保障
「食糧危機が来たら困るのは都会の人たちだ、農家の俺たちは食うに困らない。なぜなら戦後の食糧難の時だって」という話を、年配の農家の方々から何度もうかがったことがある。当時、都会の人たちが着物や宝飾品を食料と交換してもらうため、電車に乗って、田舎まで歩いてきたという。
しかし、昔と今とでは事情が大きく異なる。食糧危機が起きたら、困るのは農家だろう。戦後の食糧難と現代とでは、大きく異なる事情が二つある。交通手段と、人口だ。
戦後まもなくは汽車があるだけだった。駅からはるばる徒歩で歩かないと農村にたどり着けなかった。
また、戦後間もなくの頃は、恐らく国民の半分以上が田舎にいて(1950年でも45%ほどが農家)、都会に住む人たちの方が少数派だった。農家は、少数派である都会の人たちに強気で交渉することができた。しかし、現代は。
農業従事者はわずか152万人。非農家は1億2千4百万人。農家1人に都会人80人超。多勢に無勢。しかも現代の日本人は自動車を大量に保有している。もし食糧危機が来たとしたら、100人の都会人が自動車で一斉にやってきて、農家の目の前で稲刈りし、全部さらって行ってしまうことも可能だろう。
大規模農業をしているところは、当然人件費を抑えるために人を減らしている。もし都会人が多数襲来したら、手も足も出ない。目の前ですべて収穫されていくのを、黙ってみているしかないだろう。防ぎようがない。
食料危機が来たとしても田畑を守れるよう、「味方」を増やしておくことも重要になるだろう。普段から消費者との交流を意識し、味方になってくれる人、仲間になってくれる人を増やし、いざとなれば一緒になって田畑を守ってくれる消費者を見つけておくことも重要かもしれない。
「戸別食料安全保障」という視点も、大切かもしれない。食糧難などの時には、農家は、味方になってくれる消費者に必ず食料を届ける約束をする。その代わり、消費者は平時には少し高めの価格で農産物を購入し、農家の生活が安定するようにする。そして、いざというときは交代で一緒に田畑を守る。
都市住民の食料安全保障と、農家の食料安全保障をともに実現する「戸別食料安全保障」の契約を消費者と農家が結び、互いにウィンウィンな関係を築いて、食糧難が起きても田畑と食料を守れるようにする、という知恵も必要かもしれない。
「食糧難になったら都市住民が大挙して食料を奪いに来るかもしれない」というリスクに対し、少人数で広大な面積を耕そうとする大規模農業は、脆弱だろう。北海道を除く日本の土地は、アメリカと違って狭い。クルマを飛ばせば簡単に田舎にたどり着くことができる。
食糧難が起きるようなときには、ガソリンなどの燃料も乏しい可能性があるが、背に腹かえられない。ガソリンを持ち寄って、協力して都市住民が押し寄せる可能性だってある。
戦後間もなくの食糧難と事情が異なるのは、このように、交通手段と人口構成比が大きく異なる点が大きい。
実のところ、農業の素人である都市住民が稲刈りをして持ち去ったとしても、ムダが大量に発生するだろう。脱穀をどうするのか、コメの水分調整はどうするのか、適切な保管方法は?こうしたことが分かっていない人たちが食糧を奪うことで、大量の食料が無駄になる恐れがある。
頭の中で考えたことというのは、たいがいうまくいかない。第一次大戦のドイツで訪れた「カブラの冬」と呼ばれる食糧難でも、「豚などの家畜を飼っているから人間の食料の分け前が減るんだ、肉にして食べてしまい、穀物を人間に回そう」とした。しかし。
一気に大量に豚を殺してしまったため、適切な肉処理ができずに腐った肉が大量に発生した。それでいて、豚が食べていたジャガイモが人間の口に入ったのはわずか。豚がいなくなると肉の提供がなくなり、タンパク質が不足し、栄養失調がひどくなった。結果、大量の餓死者が現れた。
戦争が起きた時や、海外から食料を十分輸入できなくなった時、農業生産をどう守るか、というのも、大切な食料安全保障の観点。戦後まもなくの食糧難だった時とは状況が全く異なることを頭にしっかり入れて、対策を考える必要があるだろう。