問いかけること
吉田松陰は、数え方にもよるけどわずか1年あまりの短期間に、明治維新を実現する多数の人材を生んだことで知られる。その人材育成法は、私が思うにソクラテスの「産婆術」そのもののように思う。
そのコツは恐らく、牢獄の中でつかんたのではないかと思う。
松陰は11歳の時に藩主相手に講義するという天才ぶりを発揮した人物だし、全国を旅していろんな見聞を広め、読書も並大抵のものではなかったから、誰よりもたくさんの知識を持っていて、誰に対しても「教える」ことができた人。しかし。
野山獄では「教える」のではなく「教えてもらう」という姿勢を貫いた。正確には「共に学び合う」と言った方がよいか。牢獄に閉じ込められた囚人たち一人一人の長所を大切にし、それぞれを「先生」として、松陰自身も生徒として学ぶ姿勢をとった。すると牢番まで一緒に学ぶ教室になってしまったという。
松下村塾でも、野山獄でとった手法を採用した。自分一人が一方的に教えるのではなく、共に学び合う仲間として、一緒に学ぶ。この斬新な空気に魅了されて、多くの若者が集まり(と言っても短期間だったので百人足らず)、刺激を受け、維新の原動力を生んだ。
わずか百人足らずの、限られた地域の若者が集まっただけであることを考えると、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋などの維新や明治など、近代日本を形成する英傑たちが誕生したのは奇跡に思える。たまたま優れた素質の人間が、その場、その時代にいたからだろうか?答えは「否」だろう。
松陰の指導法である「産婆術」が、若者の能力を極限まで引き出し、大活躍する人材に育てたのだろう。そう考えると、「産婆術」は非常に魅力的な指導法であるように思う。
松陰は同時に「使命」を問う人でもあった。これに似た話が「子育ての大誤解」という本で紹介されている。「奇跡の教師」と呼ばれたその人に指導された子どもたちは大変意欲的で、大人になると社会的に活躍する人物を多数輩出したという。その教師が常に生徒に問いかけたのが「使命」だという。
あなた達一人一人に使命がある、それが何なのか、探し求めなさい、と、一人一人に語りかけた。子どもたちは「自分の使命とは何だろうか?」と考え続け、探し続け、努力を続ける人間になったらしい。
とある家族の例も紹介されている。その父親は平凡な人であったが、子どもたちに常に問いかけた。
「お前たち一人一人には特別な使命がある」と。でも、その使命が何なのかは本人が考えねばならなかった。その子どもたちは、どの子も国際的に活躍する人物に育ったという。
ソクラテスは「使命」は問わなかったようだが、若者に声をかけては「問いかける」ことを続けた。
若者はソクラテスの問われたことを必死になって考え、なんとかそれに応えようとした。すると、それまで考えたこともない思考をすることになり、若者は自分が賢くなったかのような感覚を覚える。このため、若者はその快感が忘れられず、ソクラテスのそばを離れなかったらしい。
ソクラテスはいろんな人と問答し、知識は大変なものだったろう。しかし無知な若者の言葉にも興味深く耳を傾け、その発言を面白がり、さらに問うということを続けた。この「問いかける」という行為こそ、新たな知を産む「産婆術」。
これは、ビジネスでいう「ヒジでつつく(ナッジ)」に似ているかもしれない。何も刺激を与えなければ、若者は思考を深めることができない。しかしソクラテスや吉田松陰らが問いかけることで、若者はそれまで考えようともしなかったことを考えるようになる。それが若者の脳を刺激し、高めたのだろう。
「使命を問う」というのは、その点、面白い手法ではある。自分の使命は何なのか分からない、それがどこにあるのか自ら探さねばならない。自然に、知らないことを知ろうとし、経験してないことを経験しようとするだろう。そうして自分の使命探しのためにアクティブに動き、試すようになるのでは。
まあ、ソクラテス自身は「使命を問う」を若者にはしてなかったようだから、それをする必要はないかもしれない。ただ、ソクラテスは「汝自身を知れ」という神殿の言葉を常に考えていたそうだから、弟子たちは自然にこれを「使命」としていたのかもしれない。
ソクラテスの弟子であるプラトン、その弟子であるアリストテレスは、それぞれの学園で「学び合う」ことをしていたらしい。互いに問いかけ、その問いを考え、教え合う。プラトンやアリストテレスらの師匠ばかりが講義してるスタイルではなかったようだ。師匠自らが教えてもらい、学ぶスタイル。
私達はいつの間にやら「教える」ということが必須だと思い込み、「問いかける」ことの効能を軽く見るようになっていたのではないか。
昨今、アクティブラーニングなど、互いに学び合う姿勢が生まれてきたから、変わってきたとは思う。ただ、「問いかける」ことはまだ少し意識化が足りない気が。
思考を促すための「ナッジ」としての「問いかける」。私達は次世代を育てる上で、ソクラテスが開発し、吉田松陰も(結果的に)採用したと思われる「産婆術」、つまり「問いかける」を、もっと意識化し、実践したほうがよいのではないだろうか。
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