変化のない感覚や思考は「打ち消し」

子どもの頃、とても不思議だったこと。「なんで自分でくすぐってもくすぐったくないんだろう?」他人に触られたらくすぐったくて仕方ないのに、自分で脇をくすぐろうが足の裏をくすぐろうが、くすぐったくないのが不思議で仕方なかった。

少し高齢の人と仕事することになって。すると、耳鳴りがひどいという。その人によると「耳鳴りは血の流れとか、自分の体内の音を拾ってるらしい」。へえ!そういえば、耳の中にも血液は流れているはず。鼓動が聞こえてもよさそうなものなのに聞こえない。ところが耳鳴りの時は聞こえるという。

耳鳴りの治療法は「気にしない」ことだとその人は言った。「不思議なことに、気にすると気になって仕方ないくらいやかましいのに、何かに集中して作業してると耳鳴りがしなくなるんです」。へえ!気にすると耳鳴りが聞こえるのに、気にしないと聞こえない。なぜだろう?

中学校で12色相環というのを習った。たとえば赤い色紙をジッと見つめてそれをすっと視界から消して白いものを見ると、色紙の形に緑色が浮かぶ。補色といって、12色相環の逆側の色が浮かぶ現象。なぜこんな現象が起きるのだろう?

今やどのスマホにも「方位磁石」が入ってる。小さな電子部品なのだけど、そもそもスマホは電子部品だらけで、電気が流れれば磁力が発生しまくる。磁力線だらけの中で、南北を指す微弱な地磁気を検出するのは至難のワザ。どうやって地磁気を検出するのだろう?

うまく南北を指せてないと、人はスマホを自然と振ってしまう。すると、スマホの中の磁力線は動かないのに、地磁気だけ大きく動く。動かない磁力線のデータは打ち消して、動く地磁気だけを検出する。打ち消し(キャリブレーション)処理をすることで、電子コンパスは地磁気だけを拾うことに成功した。

人間の五感でも、この「打ち消し」はとても大切な処理であるらしい。臭いな、と思っていても、ずっとその臭いをかいでいると鼻が慣れてしまう現象がある。では鈍くなったかというとさにあらず。新しい臭いには敏感に反応する。どうやら「打ち消し」をすることにより、臭いの変化に敏感になるらしい。

冒頭の、自分をくすぐってもくすぐったくないのは、「いま触ったのは自分だから危険はない」と分かるように脳が「打ち消し」処理するかららしい。自分の鼓動の音を普段聞こえずに済むのは、脳が「これは自分の心臓の音だ」ということで「打ち消し」処理してるかららしい。

視覚も、動かない景色はひそかに補色で塗りつぶして「打ち消し」、動くもの、新たに出現したものに敏感に反応するための仕組みなのかも。臭いも、「鼻が慣れる」というのは、ずっと感じる臭いは「打ち消し」、新しい臭いに敏感になることで危険を察知するための仕組みなのかも。

子どもは見るもの聞くものすべて新鮮で、驚きに満ちあふれている。ところが大人になると、道端の石ころは見慣れた景色の一つになり、「路傍の石」化して、気にも留めなくなる。これも、変化に敏感になるための「打ち消し」処理の一つなのかもしれない。

しかし裏返すと、「打ち消し」処理されてしまうと認識できなくなってしまうことを意味する。観察しようとしても、感じてるのに感じない、ということになりかねない。「当たり前だ」という意識を持つと、観察しようにも観察できなくなってしまう。五感が「打ち消し」てしまうから。

しかしここで、「耳鳴り」がヒントになるように思う。耳鳴りはふとした拍子に体内音に敏感になってしまい、「なんだこの音は?」と注意深く耳を傾けた結果、体内音にますます敏感になり、その音ばかり拾ってしまう現象であるらしい。うるさい居酒屋で友人の声だけ聞き分けるのと同じように。

トマト栽培の名人は何を見てるのか、視線を追うことができる映像を見たことがある。何かに集中して見つめてる時、意外と眼球が細かく揺れているらしく、視線を示す点が細かく揺れる。これはもしかしたら、補色で塗りつぶされないよう、無意識のうちに眼球を細かく動かしているのかも。

いつも見慣れたものであっても、普段と違うアプローチで観察すると、新鮮な気持ち、驚きで観察することができる。「実験」や「工夫」には、そうした効果があるらしい。今まで通りのアプローチだと「打ち消し」が起きてしまうけど、アプローチを工夫すると新鮮さが出て、五感が敏感に働く。

私はよく「虚心坦懐に観察する」と言うけれど、見慣れたもの、感じ慣れたものを五感が勝手に「打ち消し」(キャリブレーション)してしまうと、見えるものも見えず、聞こえるものも聞こえず、感じるものも感じなくなってしまう。これでは観察しても観察できない。だから。

工夫、実験が大切。これまでと違うアプローチをすることで五感に新鮮さを取り戻し、五感が敏感に働くようにすること。こうすることで、「打ち消し」によって鈍っていた五感を再度リフレッシュすることができるのだと思う。

他方。人間は「耳鳴り」と同じように、注目しなくてもよいことに注目してしまうことがある。被害妄想と呼ばれる状態では、他人のやることなすこと、自分に危害を与えようとしてるのではないか、悪口を言ってるのではないか、と、そっちにばかり敏感になる。自分の考えを補強する証拠集めをする。

そして、人が何気なく見せてくれた優しさとか思いやりは当たり前のものとして「打ち消し」(キャリブレーション)てしまい、自分は不幸だ、みんな敵だ、と感じてしまうらしい。精神的な耳鳴りのようなものなのかもしれない。

人間の感覚や思考にはどうやら、「打ち消し」(キャリブレーション)という仕組みがあるらしい。感じているのに感じない、見てるのに見えないということが起き、逆に気になることはそればかり見え、感じてしまう。そうした偏りがあるものだと認識した上で、五感をリフレッシュすることが大切。

五感をリフレッシュする方法、それが工夫や実験だと思う。日常ではやったことのないアプローチを試してみる。するとどんな結果になるのか、自然と気になる。その時五感はリフレッシュされ、敏感になる。その時感じたものは否定しない。当たり前視しない。そうして「打ち消し」が起きにくいようにする。

観察すると言っても、こうした「打ち消し」(キャリブレーション)の問題を把握した上でやるのとやらないのでは、得られる情報が格段に違ってくるように思う。
いろんな工夫、実験をして、様々な日常を当たり前と思わず、観察して楽しんでいきたい。

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