完璧じゃなく「ほどよい」存在でいてあげるということ
誰かをサポートする側に立つことはありますよね。
子どもにとっての親、職場の上司など。
完璧でいなければいけない、完璧にいろいろやってあげなければいけない、と思うとうまくいかないものです。
「ほどよい」存在でいてあげるということが、実はサポート相手にとって必要なのです。
多少は出来が良くなくて、多少は失敗をするくらいの存在であるほうが、相手の成長にとっては良いのです。
今回は、「ほどよい」存在とはどういうことかについて説明します。
精神分析家で小児科医であったウィニコットがこのようなことを言っていました。
子どもにとっての養育者である母親には、
「対象としての母親」と
「環境としての母親」の2つがある。
母親というと、すぐに心に思い浮かぶのが、「対象としての母親」の方です。
一人の人物としての母親の姿が思い浮かびますよね。
対象として見える形で存在しています。
一方、「環境としての母親」は、私たちに意識されずに存在しています。
見えない形の母親。
どういうことかというと、子どもの頃、
家の中や自分の部屋はいつもきれいになっていた、
朝起きていつも朝食を摂る、
いつも洗濯済みの服を着て出かける。
これらは、自分の知らないところで母親がやってくれていたからです。
いちいち「お母さんがやってくれているな」なんて考えずにいられたのではないでしょうか。
ありがたさや感謝を常に持ち続ける子どもは少ないと思います。
イメージしやすいように環境インフラで例えると、電気や水道が通っている状態です。
蛇口をひねれば水が出るのが当たり前で、水道のありがたさがわかるのは、水道管などに何らかの障害が起きたり、水道代を払えずに水を止められたりするときです。
「環境としての母親」も普段は気づかれませんが、失敗したときだけ気づかれます。
そのときに「対象としての母親」として認識されます。
いつものように朝食が用意されていなかったときに、
「お母さんどうしたのかな」
「具合でも悪いのかな」
というように。
うまくいっているときは忘れられ、うまくいっていないと思い出され。
ウィニコットは「ほどよい母親 Good enough mother」によって、良い子育てがなされると言っています。
完璧な母親ではなく、Good enough(ほどよい)母親です。
完璧な「環境としての母親」であり続けることで、子どもは母親の存在に気づかずに何もせず万能感に浸っていられます。
この状態はよろしくないということです。
「環境としての母親」がたまに失敗してくれるから、「対象としての母親」を意識して、親に庇護されていたことに気づくのです。
子どもが大人に成長していくには、そのことに気づかせる完璧ではなく「ほどよい母親」の存在が必要なのです。
このことは、私のような人をサポートする対人援助職においても言えることです。
やってあげすぎは相談者の成長を妨げます。
職場内でも上司や先輩が完璧でサポートをしすぎると、これもまた社員の成長を妨げます。
完璧じゃなく「ほどよい」存在でいてあげましょう。
今回は、ウィニコットの「ほどよい母親 Good enough mother」から、誰かをサポートする立場なら、完璧ではなく、「ほどよい」存在を目指しましょうという話をさせていただきました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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小林いさむ|公認心理師