![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/160372491/rectangle_large_type_2_46f556fff0ad7e359c7819035927be76.jpeg?width=1200)
バルカン半島を点々、郷土菓子を尋ねて<コソボ>
<コソボ>石畳の街をぶらぶら、プリズレン
中世商路として賑わった古都プリズレンは、モスク、シナゴーク、正教会、カソリック大聖堂、石橋など、中世を色濃く残す古都です。
一日の始まりは、世界遺産リュビィシャ生神女教会から。
![](https://assets.st-note.com/img/1730592489-5sqoYQ8ERMtrwD3POJGkzuyf.jpg?width=1200)
プリズレンを語るうえで、象徴的な世界遺産リュビィシャ生神女教会にはコソボ紛争※の爪痕(焼き打ちによる被害)が残っており、中に入ることが不可能になってしまいました。昨日から正教会のフレスコ画を見るのが楽しくなっていたので残念なことです。
私たちには聞き慣れない生神女とは、正教(東方教会)における聖母マリアの呼び方です。
リュビィシャ生神女教会は12世紀のセルビア正教会の聖堂をビザンツ様式を取り入れて増築拡張した教会で、オスマン帝国支配下の時代にはモスクにも転用されました。
20世紀に再び教会に戻りましたが、2004年3月の反セルビア人暴動以来、修復に至っていないのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1730592537-Q5LadJcDTvlezFgW6m28S0kN.jpg?width=1200)
ピストリッツァ川を挟んで、リェヴィシャの生神女教会がある北側と旧市街の中心となる南側に広がっています。モスクやセルビア正教の教会、ハマム(イスラム圏の公衆浴場)、カトリック教会など多くの寺院・教会があって、見どころは尽きません。
![](https://assets.st-note.com/img/1730592567-OAfxQgN8LmWlqKJceiznt97T.jpg?width=1200)
町のランドマーク、シナンパシャモスクは、1615年にスルタン・バヤズィットによって建てられました。
本日は金曜でなく土曜なので、静かです。一番大きなモスクを中心に飲食街は広がります。
![](https://assets.st-note.com/img/1730592703-CGTj2wlKUEcgFuvmhrfQ8BXP.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730592704-ufiMhxGtgSc7NFLWkq51KHms.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730592704-SP9XWHulZC08bpMzUyao7e25.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730592704-nFBpP5CNr01RHqzjiDuGml3M.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730592704-QNIK6gRpVBCWUaYvTbkj7elJ.jpg?width=1200)
ミナレットのあるシナンパシャモスクを拠点に石畳の道を歩いて、モスク横のチャイハナにてチャイとローズのロクム(ターキッシュデライト)(※1)、川沿いのレストランで食後のデザートにバグラバ(※2)とチャイ。どちらにもレモンが付いていました。
※1 ロクム(Lokum、Turkish delight)
北マケドニアにて。基本形はシンプルなサイコロ状の外観(長い棒状に成型したものを切り分けます)ですが、ピスタチオやアーモンド、クルミなどや、ジャムやクリームを巻き込んで艶やかにデコレートするロール状のロクムもあります。『ナルニア国物語』で、白い魔女が主役の一人次男エドマンドを誘惑するために使ったお菓子だというエピソードはターキッシュデライト(ロクム)をPRする際に語られる定番ネタです。バクラヴァ同様、オスマン帝国の拡大とともに周知されるようになりました。
※2 バクラヴァ(Baklava)
幾層にも重ねる薄いパイ生地にクルミ、ピスタチオ、ヘーゼルナッツなどのナッツ類をはさんで焼き上げた後、バターシロップに浸して仕上げるトルコ伝統菓子。中世からアラブ地域に同じ製法の菓子がありましたが、オスマン帝国発で中央アジアからロシアまで伝播しました。
![](https://assets.st-note.com/img/1730592818-yzlqCWi2EDXwkg3pmMUxnhSo.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730592840-z4NlHUaCk8j3QeDynqiu7cSV.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730592863-SQCKlNg2JkqjFa0emnWIGxDP.jpg?width=1200)
午後の散策は、セルビア正教会のある風景を歩きました。
再建されたセルビア正教会の聖ゲオルゲ教会の前を通り、聖ニコラ大聖堂(聖母大聖堂)では内部も見学できました。
![](https://assets.st-note.com/img/1730592964-W2zitweaohrqkyUxHcpGm5DO.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730592964-M8shAumELd02kOeYUlKzyPIQ.jpg?width=1200)
聖ニコラ大聖堂、起源は5世紀に遡り、2019年から2021年にかけて行われた発掘調査で、現在の建物の基礎部分に12世紀の壁が存在していることが明らかになっています。
建物はロマネスク様式のファサード、初期ゴシック様式の側廊及び窓、いくつもの複合ドームを持つビザンツ様式の混合が見られ、外壁窓にはダビデの星が刻まれ、ユダヤ教徒も利用していたことがうかがえます。
その歴史の長さを物語る旧市街地を堪能しました。
![](https://assets.st-note.com/img/1730593734-6VQwqefA7RtHUj2ZldbNuKi8.jpg?width=1200)
※コソボ紛争とは
ユーゴスラビア連邦セルビア共和国南部のコソボ自治州の独立を目ざすアルバニア系住民と、それを認めないセルビアとのの戦いを指します。
コソボでは、1968年と81年に、自治権拡大を求めるアルバニア人の暴動が起こりました。
1989年、アルバニア人側が独立宣言を発表。
1989年、ソビエト連邦崩壊、東欧の政権が非共産化。
1991年、クロアチアとスロベニアがユーゴスラビアから離脱。
コソボでは、1998年以来武力衝突が激化し、2000人以上が死亡、30~40万人の避難民が発生して国際問題となり、99年3月、北大西洋条約機構(NATO)が空爆などの軍事介入に踏み切りました。
相容れない宗教対立がモスクや教会への破壊行為を招いているのです。
上の記事はバルカン半島の郷土菓子を尋ねる旅の途中の記事です。
他地域の物語も読んでいただけたら、幸いです🍀