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レトロモダン上海建物探訪散歩 12/70
海関税務司住居 (丁貴堂住宅)
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汾陽路45号
アヘン戦争後、平等ではない“南京条約”によって、中国人は税関の自主権を喪失したばかりか、輸入品に対する税率だけでなく、行政権さえイギリス人の手にわたっていました。税務司はイギリス人が担当し、さらに権力を行使する部門にはすべて外国人に握られてしまいます。中国の税関は四十余年の間、中国の力の及ばないところにあったのです。
当時、税関は収入が高く、失業の心配がない職でした。 しかしそれでも中国人の俸給は外人高等職員と比較すると数倍から数十倍も差がありました。汾陽路に建つ税務司用の住宅を見ただけで分かります。
この洋館は、1932年に税関が税務司のため建築した官邸で、その時この職を担当するのはすべて外国人でした。
1940年代、丁貴堂が中国人の税務司としてこの邸宅に居住しました。 丁貴堂は愛国人士で、日本統治時憲兵隊に情報工作の罪で逮捕され、この邸宅で監視されていたのを、税関職員の助けで封鎖線を越えた経験を持っていました。
戦後、丁貴堂は財政部特派員、税関副総税務司の身分で税関を取り戻しました。
接収後、総税務司の任についたのはアメリカ人でした。 国民党は丁貴堂に台湾に行くように通知しましたが、丁貴堂は受け入れず、税関を守ったといいます。
この洋館は有名な建築家ヒューデックの設計でスペイン式の三階建て、敷地面積は8000㎡、バランスのとれた素晴らしい建築物です。
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