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台三線お茶のある風景 日治時代

台湾茶出来事メモ 日治時代(1895~1945年)

・1895年 ・・・木柵の茶師張迺妙が福建安渓から鉄観音を導入。後、文山茶業公司負責人張德明と張迺妙は安渓で3000株の鉄観音茶苗を購入して木柵区の茶農に分けた。文山茶業公司は鉄観音茶製茶技術を学ぶため茶師を招聘。

・1903年 ・・・台湾総督府民政部殖産局安平鎮製茶試験場成立、ジャクソン型揉捻機設置。初代所長藤江勝太郎

・1904年 ・・・小葉種紅茶葉で漢口式紅茶(紅磚茶)試作、1906年にロシアへ少量輸出、好感触。

・1911~20年 ・・・白毫烏龍(東方美人)の創製が客家によって行われる。1920年以降、東方美人は輸出茶の主力となる。

・1912年 ・・・福建安渓から移住した王水錦と魏静が南港に茶園を開き、自然の花香がある包種茶の製造に成功する。 →南港包種茶の起源

・1916年 ・・・包種茶産製研究中心設立、魏静が講師として招聘される。

・1925年 ・・・インドアッサム大葉種を導入。1926年に平鎮茶試所苗圃、台中州魚池庄蓮華池中央研究所試験地に植える。

・1928年 ・・・三井合名産物株式会社が台湾紅茶をFormosa Black Teaの名でロンドン、ニューヨークに売り出し、その品質はインド、セイロン紅茶に劣らないと高評価を得る。

・1936年 ・・・アッサム種の育種、栽培、製茶、普及を旨とする魚池紅茶試験支所設立。

・1939年 ・・・大稲埕福記茶行の王泰友と王德が南投県名間郷で安渓鉄観音式布球茶製造技術を伝授すると、1941年には凍頂に広まる。 →球形烏龍茶の前身

上の記事は台湾茶散歩中の記事です。他地域の物語も読んでいただけたら、幸いです🍀

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