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バルカン半島を点々、郷土菓子を尋ねて<北マケドニア>
<北マケドニア>古代ローマ都市ストピ
紀元前2世紀、マケドニア王フィリッポス5世が現在の北マケドニアほぼ中央に位置する地に築いた街がストビです。
街はアドリア海沿岸のデュラキウム(アルバニアのドゥラス)を起点にテッサロニキでエーゲ海に達し、ビザンティウム(コンスタンティノープル)に到達するエグナティア街道の重要拠点として繁栄を誇ったと言います。
ところが、6世紀の大地震で街は放棄され、土に埋もれて19世紀に発掘されるまでその存在が顧みられることはありませんでした。
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見学は遺跡ガイドの後について説明を聞きながら、遺跡地図の番号にそって以下のように巡りました。
①→②→聖なる道(ヴィア・サクラ)を通って居住区へ→⑥→⑨→⑪→⑫→⑬→⑭→⑮→⑯→⑲
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①劇場・円形闘技場(Theater)
収容人数約7600人。かつて地下にネメシス女神神殿があり、礼拝をしてから闘技や演劇が行われていたと考えられています。
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②初期キリスト教会のバシリカと洗礼堂(Episcopal Basilica and Baptistery)
中央の大きな洗礼池は大人用、右上の小さな白い甕が赤ん坊用です。周りを囲む床に描かれているモザイクの孔雀はキリスト教において、不死・復活・救済を表すとともに、蛇を食べることから破邪の象徴とされました。孔雀のモザイクは10マケドニア紙幣のデザインとして用いられています。
③半円形広場(Semicircular Court)
④住宅・商業地区(Residential and Commercial Quarter )
⑤食堂付きの家House with a Triclinium
⑥ドムス邸(Domus Fullonica)
紫貝の色素(紫を使うことができるのは、当時皇帝か司教のみ)が見つかったことから高級衣料店だったと考えられる3世紀の邸宅。
⑦司教館(Episcopal Residence)
⑧牢獄(Prison)
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⑨テオドシウス宮殿(Theodosian Palace)
392年にキリスト教を国教と定めた皇帝テオドシウスがこの地を訪れた時に泊まった邸宅です。7つの壁龕(画像奥)には、アフロディテ・アポロンといったギリシャ神像が飾られていました。ユーゴスラビア時代に発掘されたため、出土物はベオグラードの博物館所蔵となっています。
⑩パルテニウス邸(House of Parthenius)
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⑪ペリステリア邸(House of Peristeria)
街で最も部屋数(計46)が多い邸宅で、使用人を含め50人ほどが暮らしていたと考えられるペリストリア邸には、家族のレリーフが施されたプール、魚やタコなどのモザイクも。
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⑫公共水(City Fountain)
大浴場の向かい側。7㎞離れた水源(クレベ山)から水を引き込んでいました。
⑬大浴場(Large Bath)
男性用。壁3面にベンチが並んでいました。更衣室床下から3世紀初頭の柱廊と2体の彫刻が発見されました。
⑭ポリカルモス邸(House of Polycharmos)
商業で栄える街には必ず存在したユダヤ商人の邸宅。
⑮ユダヤ教会堂シナゴーグ(Synagogue Basilice)
ユダヤ教信者集会所。ユダヤ人居住地に設けられ教会の役割も果たしました。シナゴーグの東側廊で見つかった巨大なモザイク画には、ゾウのほかにも、アレキサンダー大王と思われる人物も描かれていました。ヘブライ語の聖書にゾウは登場しません。聖書に書かれていない事物が古代のシナゴーグから見つかった最初の事例であり、アレキサンダー大王が宗教も人種をも問わない不滅の象徴であることの証と言えます。また、アレキサンダー大王とエルサレムのユダヤ教大祭司との伝説的な会談を描いたという説のあるモザイク画も発見されています。この街を訪れたテオドシウス帝はキリスト教を国教と定めると同時にキリスト教以外の異教を禁止しました。このシナゴーグがどのような歴史をたどったのか非常に興味があります。
⑯小浴場(Small Bath)
女性用。
⑰市民聖堂(Civil Basilica)
⑱北聖堂(North Basilica)
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⑲図書館(Building with Arches “Library”)
公文書館。パピルスに記した街の歴史を書架の壁に収めていたと考えられ、大理石が敷かれた閲覧室もありました。
⑳ローマ人の家(Casa Romana)
㉑カジノ(Casino)
㉒イシス神殿(Isis Temple)
㉓要塞(Fortifications)
㉔墓地(Cemetery Basilica)
㉕エクストラムロス聖堂(Basilica Extra Muros)
㉖トルコ橋(Turkish Bridge)
ポンペイを思い出します。ヴェスヴィオ火山の噴火によって時が止まり古代ローマ時代の町には、例えば紀元1世紀に貼られた選挙ポスター、Welcomeとモザイクされた玄関マット、パン屋が窯で焼いて切り分けカウンターに置いたパン、時を止めた生き生きしていた古代人の日常を垣間見ることができます。
全体の大部分80%がまだ土の中で光があたるのを待っているストビ遺跡は、近い将来ポンペイのように整備公開されれば大観光地になることでしょう。
夕刻、ストビ遺跡を後にして、次の目的地である古都オフリドへ。
国境を越えてから歩き続けた長い一日、食後のデザート名物オフリドケーキにこれから続く旅の期待が高まります。
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チョコレート・クルミ・ラム酒をたっぷり使用したオフリド名物オフリドケーキ。濃厚なので薄切りにしていただきます。
上の記事はバルカン半島の郷土菓子を尋ねる旅の途中の記事です。
他地域の物語も読んでいただけたら、幸いです🍀