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移住と「教育をアウトソースしない」という選択

Impact HUB Tokyoで一緒に働いているチームの中で、「移住」テーマが頭をかすめよぎっているメンバーがいて、何が知りたいのかをいろいろ聞いてみたところ、次のお題が出てきた。

家族での移住の際に気になること
子どもの教育/保育園(保育園の数、距離、質、待機児童等、保活にどのくらいかかるか)
子どもがかかる病院
子育て支援、福祉
通勤(時間/費用)
支出入の変化(移住先でかかる追加費用、転職等による収入減など)

「これ移住じゃなくて普通に引越しの時に考える要件全部だよねー(笑)」と思いつつ、やはりそれが「都内・近郊」ではなく「長野」ってなると想像もつかないらしい。そこで自分たちが経たプロセスを少しだけ公開したい。上記のすべてはカバーできないけど、一部は答えられると思う。

私たちパートナーは、家族単位で思考の方向性が似ていて、何でも独学したいし、何でも自分流を見つけてしまいたい。そういう傾向が強い。だから、移住が向いていたと思う。今回は、「家族での移住の際に気になること」として挙げられた保育や教育について、自分たちの例をあげて、書いてみようと思う。

「アウトソース」「ヘルプ」などのセーフティーネットは確かに薄い

「移住に向いてない人はだれ」という話になる時、「何でもアウトソースしちゃいたい」という人には移住は難しいと思う。ある程度、「自分でDIYでもいいから作りたい」とか「自分でゼロからやってみたい」という人には向いているが、既存サービスを購入するので満足できる人には向いていない。

なぜならアウトソース先がそこまですぐに簡単に見つからないからだ。結局、アウトソースできる先や選択肢がふんだんな場所を探すと、それは都内、しかも都内の中心地であればあるほど豊かな選択肢に恵まれる。それは仕方ない。

正直、子どもが上2歳、下0歳の時は、ベビーシッターなどが見つけにくい長野の地(しかも山奥)で、本当にアウトソース先がなくて、「引っ越すんじゃなかった!」と涙目に後悔した。地域のコミュニティにお願いできる部分もあるが、2歳と0歳はそう簡単にママから離れてくれず、お願いできなかった。それと自分が助けが必要な時間帯は、周囲のママたちも忙しい時間帯だ。

ファミサポも「数年前までお住まいの地域に登録してた人もいましたけど、他界したかもしれなくて・・・」とか言われたし、掃除代行やベビーシッター、病児保育シッターに問い合わせても「山奥すぎて行きたがる人がいない」とか「雪の時の運転が怖くて無理」とか言われ、絶望的な冬を迎えそうなこともあった。


田舎は親戚がいる、だが移住者には親戚がいない

「なんでサービス、こんなに無いの!」って考えて、気づいたのは皆おじいちゃん・おばあちゃん・おばさん・おじさんに預けられるってこと。逆を言えば、移住者には、そうしたセーフティネットがない。東京にいれば当たり前のサービスが、手に入らない。(そして気づいたのは、結局都内も田舎からの移住者で埋め尽くされているから、あれらのサービスが豊富なだけ・・・。)

結果として、珍しく長野市で産後ドゥーラをしている女性と出会うことができた。彼女が、ワンオペで死にそうな時間帯に訪れてくれ、第3の家族のようになった。子どもをみたり、調理をしたり、私たちを支えてくれている。彼女に聞くと「家の中に第3者が入ってくるのを嫌う古風な人たちもいるんです」とのこと。特に田舎ではそれを「恥」とまで思うそうだ。私たちは全く気にしていないでお願いしている。親が3人いる感じだ。

画像1(子どもたちにはお父さん・お母さん・そして、このTさんが家族だと思う。)

私は親が高齢化しているので、都内であっても親のサポートはほぼ得られなかったと思う。だから「都内だったらおばあちゃんに預けられたのに」という後悔はあまりない。私たちは第三の家族を見つけられたから、もう満足している。むしろ、都内の豊富で世知辛いサービスの中では、絶対に見つけられなかった関係だと思う。


コロナ禍の保育園に通ったのは、うちの子だけ

久々に4月から6月のことを思い出していたが、実は周囲のお母さんたちが「自粛」を徹底されたので、コロナ禍の時期に保育園に行っていたのは、うちの子だけ、という時期が1ヶ月半ほどあったのを思い出した。0歳児と2歳児のうちの子に対して、3人の保育士の先生が一緒に遊んでくれていた、という贅沢な時期があったのだ。2人はとっても満足そうだった。(そりゃそうだ)

うちの山には、保育園は一つ。山の下まで行けばもちろんたくさん選択肢があるし、実際引っ越したばかりの時は空きがなくて、降りていた時期もあった。だけど、雲海の上に浮かぶ、この保育園の園庭をみた時、子どもは山の下の保育園のことはもう忘れていた。次の瞬間には、「この保育園にいく!」。その一言で、あっさりと転園を決める。

画像2(この風景は感動した。コロナの時期の4月の桜まっさかりの、うちの保育園。写真は、パートナーのポチエ真悟 :インスタ https://www.instagram.com/spdlm/)

定員は80名のために全盛期に作られた古い保育園だが、過疎化が進んだおかげで、現在の定員は20名弱。保活とか、待機児童という言葉はほぼ無縁。施設は大きく、園庭も広く、三密という言葉からかけ離れている。そのうえ、コロナの時期は、この広さにうちの子2名と保育士の先生たちだけ!!

「豪華な対応になっちゃって、ごめんなさい。自粛できなくて、ごめんなさい。」と保育士の先生たちに謝ると、「いいのよ、仕事なんだから、謝ることないよ」と言ってくれた。そして、若い先生がそっと耳打ちしてくれた。「お二人が休むと、私、有給とらなくちゃいけなくなるんです。こんなコロナで有給つかっちゃいたくないし、むしろ2人に癒されてます。ありがとうございます。」心がそっと緩んだ。

決して教育熱心とか最先端とかの保育園ではなくても、毎日毎日、心が通った会話ができる。その基本のキが、本当に嬉しい。都内の保育園で殺伐したやりとりがされた話を何度も耳にするたびに、胸が痛んだ。


自粛期間中でも自然の中なら子どもにとっては天国

コロナになってからも、一度もマスクをしたことがない2人。うがい・手洗いはもちろんするけれど、基本的に土を食べているし、気がついたら犬とキスをしているし、バイ菌だらけの中で過ごしている。雨が降っても水溜りが友達で、風が吹いたら吹き飛ばされる葉っぱやたんぽぽを追いかける。どろんこ万歳である。

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コロナの時期に出張が規制されて、両親はワンオペにならずにいるし、観光地的な近所のおもしろい場所はガラガラだったし、多分、2人にとっては天国だったのではないだろうか。なんとも皮肉なことである。

でも、この時期にたくさんの自然をみて、大人と一緒に道具を使ってDIYをして、という生活をしたおかげで、どうやら上の子3歳は、保育園で「ものしりさん」という位置づけになったようだ。3歳になったばかりなのに花や鳥や虫や木の名前をたくさん知ってるし、タネの植え方や育て方も経験した。チェーンソーや運搬機のエンジンのかけ方も知っている。

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アウトソース先は「自然」が一番

未就園児であるうちの子たちには、現状では自然が一番の友達だ。これから小学校くらいになっても、多分、それは変わらないのだと思う。英語やアートやSTEM的なものなどは、必要ないとか思わないが、なければ無いで、やはりアウトソース先は自然だと思う。あとは子どもの選択に任せたい。

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特別な場所にアウトソースしてやらなくても、私たちが実際に生活の中でやり続ければ、子どもも自分たちも豊かになる。私たちが家で英語を話し、工具を使い、日常の中でDIYをし、科学・化学の知識を使った生活をし、プログラミングを一緒に学び、音楽を練習したり聞いたりし、馬に乗ったり、スキーや海でのスポーツを練習するのだ。

コロナにおける大人との接点を持つ子どもをみて、そういう在り方が向いているのでは、と確信した。高度な教育になってきたら、英語とオンラインへの接続さえあれば、世界中の全てのコンテンツにアクセスできる。それをサポート伴走することができる知識を周囲が身に着けるだけ、なんじゃないだろうか。

親だけでなく地域が育ててくれそうな地域

私たちが飯綱高原を選んだ理由は、移住先として新しいエリアだからだ。歩いて5分くらいのところに、プロジェクトベースドラーニングの学校があり、珍しく一条校である。日本で最初にオルタナティブ教育が生まれた頃の、一群の一つだ。その頃は規制が緩くて一条校になれた、というのもあるし、初期の黎明期を支えたコミュニティは皆移住してきているが、かなりユニークで個性的でおもしろい親たちと思える。都内にいた時も地域の自主保育に関わっていた人もいる。

基本的には子どもがどんな風に育つのかをみながら、この小さな人たちが没入する何かに沿って、選べるようにしたいと思っている。だから、オルタナティブも選択できるし、山の下の公立も選択できるという状況は、とても納得している。ホームスクーリング的な要素と共にコンテンツや環境設定が補足されていくように考えて、子どもが没入しやすくて、私たちが伴走しやすい環境を整えられればいい。

学校自体は運営主体が変わったり、時と共に変わっていってしまうだろうと思う。だけど、そのような環境や学校や教育のあり方を支えたい、と思って集まってきたコミュニティだ、ということが、とても重要だと思っている。この山の学校がお金がなく財政難であったころから、支えてきた人たちだ。地域みんなで、育て合うことができる感触があることは、とても幸せだ。学校のコンテンツやカリキュラムに注目するのではなくて、それをサポートする周囲のコミュニティという観点で考えてみたら、飯綱高原になっただけのことだ。

飯綱高原に来てみたら、実は引っ越してきたけどその学校周りには通ってない、という人もたくさんいる。だけど、そういうオルタナティブに通おうがそうでなかろうが、この地域に住む人たちは、「自主保育」的な意味を理解しあっているし、友達としてコミュニティが融合している感がある。どっちでもいいじゃん、という形。その緩やかさが私たちにはいいな、と思えている。まだ子どもが小さいので、これからそれを味わっていくことになるのだと思う。

(またここは、新たに色々な経験をしてきているので、後々もっと詳しく書きたいところです・・・)

悩みは、親の自己研鑽とゆるやかさのバランス

都内にいると「保活」や「待機」ということに頭が締め付けられるくらい、大きなプレッシャーになり、仕事と育児の両立が本当に困難に感じられる。でも、山の奥にくると、悩みは全然違う次元のものになる。

ここに住んでいてのプレッシャーは、「親が彼らの学びについていけるか?」である。15年後の高校のあり方は大きく変わっているだろう。オンラインと英語さえできれば、世界は広い。その中で、親は彼らの見ている景色についていけるだろうか?良き相談相手となり、共に歩むことができるだろうか?日々、私は、知識ではなくて、感覚やセンスのアップデートを試されていると感じることがある。

だけどあまりキリキリと考えたく無い。緩やかに、自然にまかせながら、なるようになる方向で。結局、小さな人たちは自分たちで選んでいくから、私はあくまで横を一緒に走ったり歩いたりしゃがんだりする、伴走者であればそれでいい。そんな塩梅のマインドセットのバランスをとり続けるのが難しくても、結局のところ、親が自分らしく人生を選択して胸を張っていれば、それでいい、ということだと思う。

次は、「都会のコミュニティと地方のコミュニティを行き来する」ことの価値について、書こうと思います!お楽しみに〜。

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