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親に知って欲しい「とあるPBL学習者は受験をどう捉えるか」

こちら前編・中編と記載した最後の回。「PBLで育ち、受験を経験し、独学に躊躇がない自分が子の学びにどう取り組むか」と言う記事連載のなかで、本当ならこの回は「後編」になる予定でした。

前置き

この「後編」では、最終的に私が、2021年10月段階で至った、とある仮説(そしてその仮説からの今至っている結論)について、書いていきたいと思います。だけど、ちょっとタイトルに単に「後編」とつけるだけではない戸惑いがありました。

それで、映画The Hunger Gameの「Final」なのに3時間の映画が2作あるみたいな形になっちゃいますが、後編Part 1と後編Part2として、Part1では「受験」というものをどう捉えるか、Part2では私が取り組んでいく方向性を書き切りたいと思います。

なぜかというと、前二編は、タイトルの中に「受験」という言葉があったこともあり、「中受」とよばれる中学受験戦争で悩まれている方々にも多く読まれたようで、正直予想外のところからの様々なフォローやコメントを数多くいただきました。「ああ、中学受験は今こんな世界になってるのね」と様々な意味で、30年ぶりに状況をアップデートされた感じです。

なので後半Part1では、受験と紐づいて数多く寄せられた問いと連結することを書こうと思います。実は私の個人的なtwitterのDMに、相当数の質問をいただきました。これから中学受験に臨む方、これから幼稚園を選ぼうとしている方、今いる小学校で悩んでいる方。皆「PBLをしてきて受験はどうなるの」という問いがほとんどでした。

ちなみに前記事を書いた後にたまたま不思議な機会があり、「大学受験のために家庭教師として東大生を派遣する」という事業をしている方に対して、自然の中で行われるPBLについて問答をする機会がありました。ですが、その方の考え方や姿勢に「この理解だと厳しいな」と考えさせられる発見があったのです。また、テレビでPBLを紹介しているのをたまたま病院の待合室でみて、お茶の間での理解も知りました。それも含めて、今回は書いて行こうと思います。

とにかく、たくさんの方から「これからもnoteを書いてね!」と言ってくださっておりまして、一生懸命届けたいことを書いてみました。たくさんの方が悩んでいること、知りたいこと。それは受験のことだということも理解できたので、書いてみようと思います。

PBL学習者にとって、受験とはなんなんだろう?

とあるTwitterでのDMなどのやりとりの中で、ある方とやりとりしていて、「PBLで学習した自分の子どもは、どうやら受験を必要悪だと捉えているようだ」という単語が出てきて、なるほどなと思いました。

多分、親はPBL学習者ではないことが多い。だけど子どもにはPBL学習を経験させてみたい。なぜなら自分の受けた教育では満足しなかったから。
でも、いざ受けさせてみると、全然自分と違う考え方をしている子に育ってきて、その子にとっては本当にこれでいいのか?どう思っているのか?その子にはどう見えているのか?などが分からなくて、不安いっぱいになる。

そこで出てきた概念として、むちゃくちゃ共感したのが「必要悪」という単語でした。手段の一つでしかないので、目的の達成のためにやるしかない。これはPBL学習者たちが「現在、まだPBLがメジャーになってないがゆえに、PBL的理解プロセスをする人が少ない社会に対して、最低限適応するために必要なノウハウ」だったんだと思います。

受験の攻略分析は、PBL学習者である私にとっては「ゲーム」でしかありませんでした。それより上の目的(自分が得たい機会)に到達するために、または社会に適合したように見せるため(他者を納得させるため・他者評価をとりあえず得るため)に、やらざるを得ないこと。だからさっさと終わらせて、「本当にやりたいことをやる時間」や「本当にやりたいことをやれる機会」を作ることが目的でした。

前の記事で、私は「知識のインプット⇄アウトプット」という世間的には標準化されてしまっている行為について書きました。試験に受かりやすくするために、私たちは定型化しやすい経験のフォーマット(教科書・授業)で、知識を「インプット」する。そして、インプットを受けた時、脳内で広がる様々な知覚・感覚・感情をシャットアウトして、短時間で他者がわかりやすいようにアウトプットをすることに長けるようになる。これが受験勉強をしている1ー2年の間に脳内で起きていることだと思っています。

なので、「PBL学習者はどんなことを考えながら受験をしているのか」を親が知ることで安心できるだろう、と思ったので、自分がどんな受験勉強をしたのかを、少しこちらに書いておこう、と思います。

私の中学受験:SAPIXは反復学習スタートアップだった 

日本で「受験」を経験したのは中学受験(5年秋〜受験まで)と大学受験(高校〜浪人1年まで)の二回だけ。それは母親がすでに受験が必要悪であると考えている人だったので、「人生で受験の機会を極限に減らしたい」と考えて、そのように設計してくれたのだと思います。
ちなみにうちの母・父の起業家精神や反骨精神には今更ながら呆れかえりますが、いろいろとチョイスが特殊です。なので、参考になるかわかりません。(ちなみに、よほど素晴らしい親とか教育者かと思われているかもしれませんが、常に「体制には反対して生きろ!」「親に反抗する暇あったら社会に反抗しろ!」とかいう極端な人たちです 笑)

当時、私はSAPIXに通っていました。霜山先生・吉原先生・奥田先生・神田先生という個性爆発な4名によって運営されたスタートアップに通っていました。設立が1989年、私が入ったのは1990-91年ごろなので、本当に「出来立てほやほや」です。(SAPIXの経緯は詳しい記事はこちら。当時私たちを教えていた頃の先生たちの心境が非常によくわかります。)

父が創業していた会社のすぐ近くの人形町でSAPIXが建物を確保したということもあり、私は千葉大附属小学校の授業が終わると午後に週に1ー2回、千葉から人形町に通い、帰りは父と帰る、ということをしていました。これは今考えると「教育ママも激しすぎ!」と思うほど極端すぎて私なら絶対やらないな〜、とか思いますが、多分その当時は父と母の価値観からすると最適と判断した選択肢だったのかもしれません。

手近にある日能研でもなく、わざわざ「個性が強い面白い先生たちが、古い体制の塾に反旗を翻して設立した新しい塾だから」という理由で片道45分通わせていたというわけです。「体制なんて大っ嫌い!」と毎日日常の中で口にしていた母のことですから、SAPIXが体制的で古臭くなった大手TAPから劇的なスピンアウトをし、その先生たちがどんな仕打ちをTAPで受けていたかを知りつつ、それを応援する意味だったのではないか、と思います。いわゆる「クラファン的」通塾・・・。子ども的には「まじか」って感じですけど。今となっては、そういう黎明期ならではの熱量とスタートアップ感があったからこそ、ここにいるんだな、と思います。(ちなみに当時のSAPIX同級生の幾人かはスタートアップ業界や起業家やそれぞれの分野でかなり成功していて、やはり変人の気質をもっていた人たちが集まっていたんだな、なるほど・・・と思うこと多々あります)

ですが、私は、当時反骨精神がみなぎっていた、普通の塾とは大違いのSAPIXは好きでした。(多分今のSAPIXと大違いの様子なので、そっちは知りません。別の塾と思ってもらった方がいいかも。)そこで学んだのは「反復学習」。SAPIXの霜山氏たちが作り出した新たな受験に対する新規ノウハウだったはずです。いまでこそSAPIXが作り出したノウハウを真似た学習法は多々でていると思いますが、その当時は他の塾ではSAPIXのような反復はやってませんでした。

これを体験を持って理解した経験だと言っても過言ではなく、受験で受かったこととかどうでもよかったと思います。(もうそれ自体が体験学習化していますが 笑)
なぜなら、これが後に私にはとても大きな影響を与えるからです。自分の脳を「知識のインプット⇄アウトプット」をさせるためにコントロールするには、脳科学的な意味での「記憶の定着法」を知るべきであり、それを使えば大体の必要悪系のプロセスはクリアできる、ということを経験によって知りました。社会的に通用する・適応するようになるための手段でしかない「受験という必要悪」を最短、最速で通過し効果をあげるための一つのノウハウだったのです。

ただ、その「定着」はかなり短期であり、「感情や情緒を伴う記憶のプロセス」とは大違いだったので、自分なりに新たに体得する必要がありました。ですが、受験のたびに、そういう別の脳味噌を用意して、真剣に取り組めば大体の場合数ヶ月で用意ができるということも知りました。創業したばかりで、大手からスピンアウトしたばかりのSAPIXの先生たちも、そのノウハウの効果の証明のために全エネルギーを投入していましたから、授業が白熱していました。(一種の「記憶力の競争」の狂気な感じの時も多く、怖いなあ、と幼心で思った、というのを前記事で書きました。まあ、好きだけど、それなりに白けて見ていた、ということですね...)

いまやこの脳味噌トレーニングは「詰め込み式」と言われ、探究とは真逆の方向性です。ただ、私は現在かなり記憶力が良い方で「Photographic memory(映像記憶)があるんじゃないか」とパートナーに言われているのですが、もともとの気質に加え、この受験プロセスを通じて相当な記憶力のトレーニングを行ったからなのではないか、という気がしています。

私の試験対策:「試験当日だけ勝てばいい」

中学受験は5年秋か6年頭くらいから積極的に通うことにし、新しい東京に住む子たちや全く違う所得層の家庭の価値観を観察できて面白いと思ったし、学び方が違うのでゲーム感覚で楽しみました。本格的な「詰め込み」をしたことがなく、その未知さが楽しかったわけです。
ですが、新しいだけが楽しみだったので、6年の秋にいい加減、飽きてきてどうでも良くなってきていて、点数というものがガタ落ちします。ズルとかもしていたと思いますし、点数を取らねばならない意味がよくわかってなかった。とにかく、意味を見出せなかった。

その時に先生と親が「試験日の2月1日に成績のピークがくればいいので、とりあえず休みましょう」と言って1-2ヶ月受験というものから離れて遊ばせるという決断をしました。その間、自分の好きなことに没頭していました。鼻歌を歌いながら自分の部屋で一人でずっと何かに没頭している「前の詩野が戻ってきた」と、当時母が言っていたのを思い出します。母は自分の選択が子どもを苦しめたんじゃなかろうかと、結構心配をしていたと思います。やはり身体的にもメンタル的にもきていました。

そして冬の12月にまた受験に戻りました。確か戻ってすぐの受験直前の1月の成績は塾全体で10位以内とかに上り詰めました。自分的には過去最高の一番良い成績で、先生の予想通り、成績のピークをそこに持ってきただけ。常に成績優秀みたいな秀才を目指すことなく、「試験日だけうまくいきゃいい」っていう考え方です。

なので2月1日の受験では難関を合格したが、合格がわかったとたんどうでもよくなり、2月3日の押さえの試験は落ちました。母は「わかりやすい」と笑ってましたが、小学6年生の時点で「常に誰からも認められる優秀でいたい」とか思ってなかったということです。「あ、落ちたなー、やっぱ」と自分でもわかってて、必要悪プロセスが終わって自分を解放しています。もう次のことに頭が向かっています。

この受験での私の学びは、「自分が本当に意味を見出し没入すれば、普通にいい点を取れるのがわかっている」という揺るぎない自信が根底にあるので、「没入する流れができるまでは焦らない」ということと、「インプット・アウトプットの手法だけ手に入れておけ」+「成績のピークが試験当日に来るようにタイミングを調整して没入する流れを作ればいい」ということでした。PBL学習者の受験の難しさは時間軸。タイムラインとやる気のピーク・タイミングのコントロールだけです。一方、強みというか他の学習者よりも有利な点は、「自分は没入すればできる」という自信です。そして、受験そのものも研究プロジェクト化し客体化できます。興味さえ沸けば、意味さえ見出せれば、です。

私の受験体験記:受験は自分の能力を試す仮説検証の場の一つでしかない

大学受験の時も同じでした。さすがに大学受験は「ゲーム」という遊びだけでは到達できないレベルがあり、秀才や天才がうじゃうじゃいるので、自分ができるレベルやできることを模索します。そこで自分の能力を試す1つの仮説検証が行われました。高校2年の数学の期末試験で、17点しか取れなかった私が「理系」を選択します。先生も親も「文系なら一発で合格できるのは自明なのに、なぜ・・・」と言い、困惑を示します。ですが、だれも何も言いません。「でも槌屋さんは言っても無駄。浪人だろうな。」って諦めていました。

自分的には「建築か映画しか興味がないが、映画は芸術系に強くないと無理だが芸術大学に行かないと撮影できないわけでもない(映画の脚本を作るには人生の引き出しが必要だし、撮影技術は海外で勉強した方が身に付く)ので、まずアカデミックで体系だった知識が必要となる建築を理系で受けてみる」と仮説検証し、理系選択と建築系デッサンを含んだ受験方針を選択します。(高校生ってほんと生意気笑)
周囲の多くの女子校の同級生たちは親の心配などを気にして「浪人しない安全な選択」を選びましたが、私には全く浪人が嫌というのがなかったです。

私はさすがに見事に理系の試験は落ちましたが、デッサンが課せられている私大の建築は合格。そこで進学するかどうかを考えます。「自分の能力は大体この程度まではできると分かってしまったのと、学費が高そうなのと、受験中にいろいろ考えていたらそれ以外の方が向いている気がしてきた」という理由で、せっかく受かったのに浪人します。これも周囲の人には「?」だったと思います。

浪人からは文系に転じます。理由は「もう1年同じ勉強をするのは面白くないから」。もう1年楽しんで、副産物として合格もできればいいんじゃないか、的な感じです。
親も「そうだよね、つまんないだろうから、もう一年は新しいことやったらいいんじゃない」と言ってました。そこで、化学と物理の頭だった脳味噌に歴史や地理を注入し、映画館に行きまくりながら、駿台の自習室で新しい知識が必要な箇所だけ勉強していたのを覚えています。

今この状態の若者を見たら、多くの大人は「自分探ししている」とか「ふらふらしている」とか言うんじゃないかな、と思います。でも、本人的にはふらふらしてる感ゼロで、自分のやりたいことまっしぐらだし、全てに仮説がうっすら用意されていてそれをうっすら検証している感じです。

夏以降ちょっと飽きてきたら成績もがんがん下がってきて、そしたら勝手に自分で休んで、それでまた受験前の冬に復活しています。中学受験の時と同じパターンです。ですが、確か受験直前の1月の東大全国模試は全国で6位で、自分でも「あ、文系だったら、そんな上までいけるのか、なるほど。だから先生は理系じゃなくて文系にしてみたら、と言ったのか(笑)」と妙に納得したことは覚えています。

後悔があるとすれば海外が選択肢になかったこと

大学に入ってからしばらくして、自分の母校の高校から私の1個下の子がMITに直接入学したのを知りました。それを知った時、「あーーー!その手があったか!」と声に出したのを覚えています。海外の選択肢を考慮にいれるのを完全に忘れていたのです。

当時、私の兄はアメリカへ音楽留学、私の姉はカナダへ環境の研究で留学していました。なので海外という選択肢が家庭になかったわけではないのですが、上二人の留学にお金がかかっていました。浪人するに至ったもう一つの大きな理由は、私立有名大に4年行くコストよりも浪人して国立である東大に行くコストの方が安かったからです。一番家から近くて一番安い大学で、面白い教授がいそうなのが東大だったから選択した、というわけです。行きたい海外大学はあったのですが、大学に行ってから大学院で奨学金を得てからにしよう、という判断をしていました。

ですが、多分、最初から海外大学も視野にいれた大学選択をしていたら、大学受験というのは全く違う設計になっていたと思います。当時情報はなく、ネットもなかったので(大学1年時に家にネットが開通)、紙ベースの情報収集。そこには海外の大学情報や奨学金情報を得るのには相当な限界があったのも事実でした。

なぜ後悔しているかというと、大学受験という2-3年の期間を私は様々な仮説検証に使ったのですが、結局「海外の大学に受験できるか」というプロセスでしか検証できないことを、検証できませんでした。もしその選択肢があったら、中学・高校の選択肢の時点から変わったし、英語やその他の専門性(Major)に対する向き合い方も変わっていたでしょう。また、詰め込みによる受験体験で自分の仮説検証をする必要性は下がり、その代わりエッセイや自分を主語にした文章をどう書くか、また自分をどうアピールして交渉するか、という分野に、能力開発のための時間を使ったでしょう。さらには、「学費を安く抑える」ではなく、「自分のやりたいことに親以外から資金調達を行ってスポンサーをつける」という手段への発想転換も早々に身についたかもしれません。

後に、大学3年の時に交換留学という形で、スカラシップを獲得して、自分でどうにかしていくわけですが、やらないよりやった方が良かったです。が、今でも、自分が高校時代にもっと情報があったら何をしていただろうか、というのは思いを馳せることがよくあります。

PBLでと決めたら迷わないで、こどもの力を信じ切ってあげてほしい

PBLと受験という意味でいえば、今の教育のほとんどが、「親のエゴ」「親の不安」「親の期待」が主語になっているものに対して、「こどもの自分軸」「こどもの選択」「こどもの期待」が主語になるものへと復権だ、という気がしています。

近所にあるPBLの学校の周辺でも、PBL的学習を進める他の学校周りでも、在校生の親、これから入りたいと思う人たちや入れさせたくないと思う人たちの中で、「受験はどうするのか」「社会に適用できないのではないか」「高校から普通へ適合させるのがかわいそう」という、未来を心配する言葉をよく聞きます。だけど本人たちから言わせれば、「なんで?」って感じだと思います。上の私の受験に対する選択を読んでいただくとわかると思いますが、12歳や18歳にして完全に受験を舐めきってるのですが、そのスタンスがとれるのは自分軸があるからです。(よく「生意気」と言われます。大人に生意気と言われるくらいがちょうどいい、と私は今は思います。)

PBL教育に行きついて、知ろうとする・選択しようとする親の多くは、ご自身が「この社会、息苦しい」と思っているケースがほとんど。なんらかの形で、疑問を抱いたから、このキーワードにたどり着いています。多くの方がHSP(Hyper Sensitive Person)的な要素や発達に関しての「普通」ではない要素を少しでも持っていて、「普通」を要求される環境を苦しく感じられる方が多いと思います。そして遺伝と後天的な家庭の文化として、子どももそのような性質を持っていることが多いと思います。または、「自分は自分軸を獲得するのが遅くなり、自己肯定感の低さで苦労した。このような苦労ではなく、ぜひ自分軸を早くから持って欲しい」という願いや、「今の学校がどう見ても子どもを締め付けている。子どもを解放させてあげたい」という想いを持っているかもしれません。

ただ、ご自身が「PBL的な教育をうけてこなかった自分にはわからない」という変な不安や揺らぎが発生し、考え方や行動の仕方が違いすぎて、戸惑っていることがあるように思います。ですが、PBL的体験や探究は生活の随所に転がっていて、PBL的教育機関に通わなくても、PBL的な体験をし続けてきている、と思うのです。私たちの人生は、ほぼほぼ、その連続です。教科書を開いてレクチャーを受けて知識を詰め込んでいる時間の方が短いのです。1日の24時間のうち、レクチャー的に知識を詰め込んで「勉強した」時間と睡眠以外の時間は大体12時間以上でしょう。つまり人生の半分。そこで、常に迷い彷徨い、雑多な情報を集めて、自分の興味を醸成し、他者との関係を試したり引き算したり、四苦八苦してきているのです。だから、どんな思いを持ってたどり着いたにせよ、PBLを一度決断したなら、もうその後は手放してみて欲しい。「教育」とは「教える」べきである、という考えこそ、単なる既成概念でしかなく、我々に後天的に刷り込まれただけなのです。「体験・経験」が深く刻まれ、脳内シナプスで拡散して刺激し、そこから醸成されてくる新しい感覚や知、という方が重要だってことを、皆忘れています。

「周りと違って苦労したか」と聞かれれば、苦労しました。ですが、みんな苦労していると思う。さらに、それらの苦労はすべて、私の中ではプロジェクト化された自立的な学習によって吸収されます。受験も大変かもしれませんが、これもプロジェクト化され学習される。苦労するからこそ、自分とは違う価値観や世界にぶつかるからこそ、四苦八苦して腹落ちできる状態を見つけ、そこに新しい知や新しい自分を発見します。そしてそれは揺るぎない自分軸の基礎にまたなっていくのです。だから、苦労させればいい。苦労すれば強くなる。それだけの強さを、PBLを通過したこどもたちは持ってると信じて欲しい。

偽のPBLが存在していて見分けがつかないから悩む親たち

幾人かの方から「槌屋さんが指摘してくださっているPBLや探究についての考え方で、偽のPBLっぽいものとか探究っぽいものがわかるようになった・気づいた」とか「持っていた違和感を言語化してもらえた」という感想をいくつか頂きました。先日子どもの発熱で薬局の待合室でテレビを見ていたら、「子どもが勉強しないからSTEAM」「成績が上がらないからSTEAM」という説明をされているのを見ました。この説明で理解されるのは、まずい・ヤバいと感じ、妙に納得しました。「偽の」「嘘の」と言われるだけあるわー、と。

またさらに、冒頭で上げた「東大生を派遣する事業の人と問答した時」、「自然体験に東大生が指導する形のコースをやってみたけど、結局『調べ物』になってしまった。自然体験学習は受験に役立たない。」という論を展開されました。私自身も元東大生として周りを見てきたので言えますが、東大生の9割は他者の評価に応えるように訓練してきたマシーンのような人たちで、非常に自己肯定感は相当低いです。さらに自立的な学習と自己に対するアセスメントができる人たちは本当に1割以下だと思います。

なので自分軸がなく大学期間中に迷いに迷い、就職を間違え、社会にでてから四苦八苦している人がたくさんいます。その苦しみを終えて自分軸を見つけ出した後の、苦渋を滲ませている元東大生たちに話を聞くなら面白いかもしれません。でも、まさに自分軸がよくわからなくて彷徨い期間中で、東大生だというだけで時給も高くて鼻高々で、とにかく高額バイトだから家庭教師をしている人たちに、そんなコースをやらせても調べ物にしかならないのは当然でしょう、と思いました。別に子どもに教えることに強い意味を見出したり、人生の仕事にしようと思っているわけでもない人たちです。自然に対する強い好奇心や愛があるわけでもない人たちに、自然との向き合い方など体験させてあげられるわけがない。子どもの探究心やその心理や行動科学や脳科学に興味があるわけでもない。

だからそういう人たちが設計するものは「ーーを調べよう」というお題が設定されがちになるはずです。これは「目的採取」と言われるそうですが、確かに上記のような東大生は目的採取のマシーンになるのは楽でしょう。「あれ、とってこい」と言われたら、誰もよりも早く効率的に強く、とってくるかもしれません。

目的性を皆無にして何が生まれるかを見る

でも本当に必要なのは、自分が主語となり目的となる雑多な採取を、自然の中に飛び出して、ずっと続けられることです。それだけの長く続く好奇心とそれを満たすために行動し続ける意欲。自分しか判断軸のない中で自然の中を歩き続けられる胆力。

だから「受験のための勉強がワクワクしてくるからPBL、STEAM」と言ってる人たちがいるのが驚きを禁じ得ませんでした。そして世間一般の理解はそのレベル。そして受験は金になるからそういう流れが強いのです。それを肝に銘じないといけない。

受験やーーができるようになる、などの「目的性」が前面に来すぎているものは、自立的な学習能力や自己アセスメント能力を培うものではないので、最終的にはノウハウが獲得されるだけです。自分の気持ちが移ろうままに、自由でカオスで雑多に、自分の関心を掘り下げていくプロセスがないもの。それに対する忍耐や余白が用意されていないもの。偽のPBLなのかどうかを見分けるには、これを一つの最初のフィルターにしてみてもらうのがいいのではないだろうか、と思います。

PBLの学びに躊躇を感じる大人の多くは、「目的性を持たない状態で、自分軸で判断して、ワクワクを持って没頭して、歩き続ける、調べ続ける、仮説検証し続ける」ということを久しくやってないんじゃないかと思うんです。だから、自分のその時の感覚が取り戻せてなくて、子どもたちの気持ちや感情についていけなくて、理解できなくて怖いだけなのかも。受験が云々は、言い訳でしかないのかも。

PBLの本質はプロジェクト・マネジメントができるようになることじゃなくて、プロジェクトを自分で発想して作り出すことができるようになること。目的化される前の状態を醸成できることだと思います。それってすごいことなんですよ。だから信じて欲しい、と思います。

そして、最後にお伝えしたいこと。PBLの学びの経験で訓練される、忍耐力、しつこく探究する粘り強さ、自分を軸にして模索し続ける胆力、そういったものの方が、受験で培う力よりずっと得がたいものだということです。だから、PBL学習者にとって(または全ての学習者にとって)、受験は簡単、自分軸を作り出すことの方がもっともっと難しい。私たち大人こそが、それを知るべきなのです。

ここまで書いて、また1万字になってきたので、やめることにします。(毎回、8000字とか1万字とかですが、私的にはこれが書ききれる単位みたいです・・・)

今回は受験関係については思うところを描き切ったので、今度は後編・part2に続きます。今度もしっかり書きます!(なるべく早く書きたいと思ってます!笑)ぜひ、気になる方はフォローよろしくお願いします。

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