昭和的価値観をアップデートする
「家庭に問題がある」は本当?──無意識の偏見が子どもたちに与える影響
ある会議で年配の男性からこんな言葉をかけられました。
「最近の不登校の原因はいじめではなく、家庭の問題が多いらしいですね。」
その方は、私が不登校の子どもを持つ保護者を支援していることをご存じだったようですが、特に悪意なく、ただ聞いたことをそのまま伝えてきたようでした。
「どちらでそのようなことをお聴きになられたのでしょうか?」と私が尋ねると、その方は「学校の先生が話していました」とおっしゃいました。
そこで私はこう返しました。
「家庭に問題があるという点ですが、私はそうは思いません。もし先生がそのような考えをお持ちなら、それは子どもたちにとって非常に気の毒なことだと思います。」
この返答に、その方はキョトンとした表情を浮かべました。おそらく私の意図が伝わっていなかったのでしょう。そこで、もう少し具体的に話を続けました。
「家庭に問題がある」とはどういうことか
「例えば、学校に無理やり連れていくことをやめ、子どもの声を尊重して登校しない選択を親が受け入れた場合、それも家庭に問題があるということでしょうか?」と尋ねました。
するとその方はこうおっしゃいました。
「学校は行くべき場所です。行かないことを親が認めるなんて、子どもの将来が不安じゃないですか?親が諦めてしまったらだめだと思います。」
確かに、この意見はごもっともなのかもしれません。多くの人が「学校に行くことが当たり前」という価値観を共有しています。しかし、それは本当に正しいことなのでしょうか?
昭和の価値観と親への影響
このような考えは、不登校の子どもたちの祖父母世代や周囲の大人たちからもよく聞かれます。「母親の育て方が悪いから」「父親がもっと厳しくしないから」といった指摘も同様です。
こうした意見は、いわば昭和的な価値観に基づいています。その価値観の根底には「努力は美徳」「とにかく頑張れ」という精神論があります。しかし、その結果として、親は周囲から責められるだけでなく、そのプレッシャーが子どもに向かう場合もあります。
子どもを取り巻く環境にいる大人たちの価値観や固定観念をアップデートしなければなりません。現代の不登校問題は、昭和の頃とは異なる背景や要因が複雑に絡んでいます。それを「家庭に問題がある」という一言で片付けてしまうのは、あまりにも短絡的です。
無意識の偏見──アンコンシャス・バイアス
前述の年配の男性に悪気があったわけではありません。その方は、学校の先生から聞いた話をそのまま信じ、「そういうものだ」と思い込んでいただけなのです。このような「無意識の偏見」は、私たち誰しもが持ち得るものです。
だからこそ、私はこれまでさまざまな年代や立場の方々に向けて、講演や研修において、「アンコンシャス・バイアス=無意識の偏見」についてお話しする機会をいただいてきました。そして、これからもこのテーマに取り組んでいきたいと思っています。
無意識の偏見を一つひとつ解きほぐしていくことが、子どもたちの未来をより良いものにする第一歩につながると信じています。
子どもたちの声に耳を傾け、大人自身の価値観を見直す。
その積み重ねが、子どもたちが自由に自分らしく生きられる社会をつくるのではないでしょうか。