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19世紀の異端科学者はかく語る:人の運命(2)
1月7日からカクヨムでスタートした『19世紀の異端科学者はかく語る:人生を楽しむ方法』(原題:The Pleasures of Life)、第二部を始めました。noteでは、訳者の主観で「感想と解説」を投稿しています。
第一部
第二部
人の運命(2)
note編、前回
キケロがいう「老いをみじめにさせる原因」
三つ目までは前回を参照していただくとして、今回は四つ目……死の接近について。
著者のラボック氏いわく、
多くの人の心で、終末の影がつねに存在し、人生の光をすべて覆い隠している。
しかし、私たちは死をそういうものとして考えるべきだろうか。
老いや死(終末)を忌むべきものと考えることに、疑問を投げかけています。
シェリーの美しい文章によれば、ライフ(生命・人生)とは、
「色とりどりのガラスでできたドームのようだ
永遠の白い輝きを汚し、
死がそれを踏みにじって粉々にするまで」
ラボック氏はこれを美しい文章だと称えながらも、「二つの誤り」があると主張します。
命・人生とは、永遠の白い輝きを汚すものではない。
死とは、命や人生を踏みにじって粉々にするとは限らない。
ラボック氏は、「色とりどりのガラスでできた人生」が「汚れなき白一色の人生」より劣っている・汚れているとは思わないと言いたいのでしょう。
死もまた、人生という光を破壊するものではないと。
例として、ゲーテ、モーツァルト、プラトン、ワーグナーなどの臨終エピソードを取り上げています。そして——
魂の不滅を信じている人がいるが、個人の魂はどうだろう。
ここから先は、死後の世界から来世(?)、さらに宇宙の向こうまで話が広がっていきます。
魂は不滅だと認めるとしよう。
だが、「未来の存在状態」では記憶の連続性が途切れて、人は「現在の人生(現世)」を覚えていないことになる。この観点から見ると、記憶の連続性はアイデンティティの重要性に関わるものではないだろうか。
一般論として、「魂は肉体から切り離されても意識のアイデンティティを保ち、眠りから覚めるのと同じように死から目覚める」状態でなければ、(魂は不滅だと)認められないだろう。
目覚めていても眠っていても、「目に見えない」何百万もの霊的な存在が地球を歩いている。
彼らは宇宙のどこか、別の場所に存在している。
星を眺めるとき、私たちの目にはまだ見えなくても、実際にそれを見ているのだ。
著者のジョン・ラボックは19世紀のイギリス人です。
21世紀人から見ても、かなり斬新な思想の持ち主だと言わざるを得ない。
彼は一体何を見ていたのだろうか。
*
noteで紹介している内容はほんの一部です。
詳細は、本編をご参照ください。
\アレクサンドル・デュマ・フィスの未邦訳小説を翻訳しました/
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