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暑中見舞いとクリスマス・グリーティング ~それは〝渇いた喉に冷たい水〟
今年も暑中見舞いの季節になりました。EメールやSNSが普及して、ハガキや手紙を出す機会が減った現代ですが、私は暑中見舞いとクリスマス・グリーティングを、いまもハガキで出しています。数はそんなに多くはないので、手間ではありません。
私はクリスチャンなので、クリスマス・グリーティングは年賀状のかわりです。「メリークリスマス&ハッピーニューイヤー」のハガキをクリスマスまでに届くように出しています。
使うのは市販の絵ハガキです。異なる柄の絵ハガキを、気がついたときに購入し、ストックするようにしています。それを1枚1枚眺めながら、「あの人にはどの柄の絵ハガキがいいかなあ」と選ぶひとときがけっこう好きです。
相手の顔を思い浮かべて、その人との間に起こった出来事などをふり返り、どんなメッセージを書こうかな、と考えます。その時間も好きです。
メッセージは肉筆で、表面の宛名も手書きします。
ふだんは仕事で一日じゅうパソコンを使っていて、効率を重視するほうですが、年に2回の挨拶ハガキは、昔からアナログ派。あえて手書きするのは気持ちをこめるとか、そういうことではなくて、単に自分が楽しいからだと思います。
恩師である作家の高田宏先生とは、亡くなるすこし前まで、年2回のハガキのやり取りが続いていました。私がクリスマス・グリーティングのハガキを出すと、先生から年賀ハガキが届きます。私がたてこんでいて出せなかったときも、先生からは届きました。そこで恐縮しながら寒中見舞いを返したり。
暑中見舞いもそんな感じで、年によっては残暑見舞いになったりしながらやり取りが続きました。
お互いに、短い文章で近況を伝えるだけでした。それでも、近況がわかるというのはありがたいことだなと思いました。キリスト教の洗礼を受けた報告や、結婚の報告をしたときなどは、とても喜んでくださいました。
先生からいただいたハガキは、いまも捨てずにとってあります。そういえば高田先生も、メッセージと宛名は手書きでした。年賀状の場合はさらに、その年の干支の漢字が朱書きされているのが定番でした。
先生の手のぬくもりが、伝わってくるようでした。
特段の用事はないけれど、ご縁が切れているわけでもない。お目にかかる機会はなくても、お互いの近況をなんとなく伝え合える。季節の便りっていいものだなあと思います。
そんな、なんてことのない1枚のハガキが、ときには寂しさや孤独のなかでの励ましになることも。
むしろ私はとってつけた感のある挨拶は苦手。ハガキ1枚でさりげなく互いを気遣える、季節の便りを大切にしていきたいと思っています。
渇いた喉に冷たい水、遠い地からの良い便り。
(箴言25:25 聖書新共同訳)
◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、Angie-BXLさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。
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