ひとつの言葉、いくつもの思い出。〜川上弘美さん『わたしの好きな季語』〜
こんにちは。桜小路いをりです。
先日、川上弘美さんのエッセイ集『わたしの好きな季語』を読み終えました。
96個の季語に纏わる思い出を綴ったエッセイが、96編。
各エッセイで、その季語を使った有名な俳句も紹介されています。
趣き深い季語、川上さんの素敵なエッセイ、そして名句がぎゅっと詰め込まれた、宝箱のような1冊です。
しなやかで繊細で、ちょっとお茶目な川上さんの文章は、読み進めるたびに心地よくて、つい一気読みしてしまいました。
優しい手触りのコットンのお洋服みたいな。
気取らなくて、素朴で、あったかい感じがする文章です。
私は川上さんと親子以上に年が離れているので、私の世代では知識としては知っているけれど、実感としては知らない、というアレコレがたくさん綴られていたのも、とても印象的でした。
個人的に、特に印象に残っているのは、「絵踏」と「探梅」、「時雨」、「蝋梅」のエッセイです。
特に「絵踏」は、季語であることを初めて知りました。
小学生の頃、教科書で初めて「踏絵」の写真を見たとき、「絵踏」をする人の絵を見たとき、なんとも言えない想いを懐いたことが、このエッセイを読んでよみがえってきました。
歴史の中の重く苦しい出来事のひとつではあるけれど、そんな歴史の上に現在があることを、忘れずにいたい。
そんなふうにも思います。
もうひとつ、「蝋梅」は、川上さんの、ちょっと切なくてほろ苦い記憶を綴ったエッセイでした。(こちらはネタバレなしで、ぜひまっさらな状態で読んでいただきたいです。)
私自身、「蝋梅」はとても好きなお花のひとつなので、96個の季語の中に入っていて嬉しかったです。
私もいつか、「蝋梅」を使った俳句を詠んでみたいな、と思います。
「季語」といえば、俳句。
自分の俳句に「これ!」という季語をはめたときの、あの高揚感。
あの、なんとも言えない嬉しさとワクワク。
この文章を読んだとき、あの想いを、ピタリとハマる的確な言葉で、表してもらったような気がしました。
あれは、ガラスケースの中に収められたものが、自分の手の上に厳かにのっているような気持ちだったんだな、と。
自分の俳句に使った季語って、ちょっと特別に見えてくる気がします。
今日まで脈々と受け継がれてきた言葉が、自分の傍にそっと近寄ってきてくれるような。
そんなウキウキとした気持ちを、ときめきを、思い出させてくれました。
なんだか、久しぶりに、俳句が詠みたくなってきます。
そういえば、この前「お~いお茶」の新俳句大賞に応募してから、詠んでいなかったな、なんて。
納得のいくひとつが出来上がったら、noteに載せようと思います。
また、この本を読んで「どんな言葉にも、誰かのかけがえのない思い出があるのかも」とも感じました。
「思い入れ」の強さに差はあれど、「思い出」に差はないから。
私も、「季語」に纏わるエッセイを書いてみたいです。とっても楽しそう。考えていたら、なんだかワクワクしてきました。
(こんなに心躍る言葉をたくさん生み出した日本の先人は、本当にすごいです。)
そういえば、この本を読んでいて思い出した小説があるので、併せてご紹介します。
ほしおさなえさんの『言葉の園のお菓子番』という本です。
連句会を舞台に、言葉と、四季折々のお菓子が織り成す、「つながり」の物語。
私はまだ1巻目しか読めていないのですが、言葉の美しさや温かさをしみじみと感じる、優しくて素敵なお話です。
『わたしの好きな季語』と併せて、未読の方はぜひお手に取ってみてください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
『わたしの好きな季語』、持っているだけで絵になる素敵な装丁なので、大切な方へのプレゼントにもおすすめです。
私なら、プレゼントする相手のイメージに合ったお花の刺繍の栞とか、ブックカバーと一緒にプレゼントしたいな。
そんな妄想がふくらむのも、書籍の素敵な魅力のひとつです。