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マスク依存症の小学生・克服までの道のり①

小学4年生から少しづつ少しづつマスクが手放せなくなった娘。

給食が食べられなくなり
水泳授業が受けられなくなり
集合写真は一人だけマスク

笛も吹けない
外出先のフードコートでの食事もダメ

とうとう給食は別室で一人で食べるということになった・・・(本人の意思を尊重して)

完全にマスク依存症という名の精神疾患になってしまった。

機能不全家族の子供の行く末とはこういうことなんだと絶望的になった。

小学4年生

息子が不登校になり、夫婦不和が一番ひどかった時期。夫婦喧嘩頻発。
息子の荒れ具合もピークで、今にもまして、ボロッボロな家庭環境だった。

それに加えて、男性担任もクラスも娘にとってはよくなかった。
毎日のように、男子が喧嘩ばっかりで嫌だと聞かされていた。過敏な気質だから,人一倍気になっていたのだろう。

担任は、クラス運営に疲弊していた。
児童のキャラクターをみるとある程度は理解できる部分もあったが、娘の言葉を聞いてゾッとした。

担任は教室ではしないが体育館に行ったらすごく大声で怒鳴る。
いうこと聞かない子は引きずって倉庫に連れて行く、、、
などなど

明らかに行き過ぎた指導が感じられた(これは私と娘が作戦会議して、娘が学校の管理者に自ら伝えたエピソードがある。私ものちに教頭と話し合った)

(過去に特別支援クラスの担任だったこの教師。私がたまたま何かの用事で不意に学校へ訪れた事があった。その時、いうことをきかない発達特性ある子を羽交締めしていた現場を私は見てしまった。すごくすごく気まずくなった過去もあった。担任だけを責めたかった訳ではなく、チーム学校として、大変なクラスはフォローしあって環境を整えて欲しかった。発達特性の子供が辛くなるのは耐えられなかった。だから学校と話し合った)

家庭も学校も荒れに荒れていて、娘には何処にも安心して過ごせる居場所がなかった。

今振り返っても胸が苦しくなる。
私は夫と息子の言動に振り回されてばかりで、
娘の悲痛な叫びに気づくことができなかった。

自分を守ることに精一杯だったのかもしれない。

何回も何回も娘の前で泣いていた。
不安にさせてしまった、、、

でもね、それに気づけた。
娘を不安にさせたらいけない。
娘の心を守らないと。

私は絶対に娘の前では夫と言い争いはしない。
泣かないって決めて(泣くのは車の中だけ)
そして今まで実践してきた。


(つづく)
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