世の中のドラッグについて考えてみた
久々の更新です
SNSアプリを削除し、投稿するときはブラウザからという生活に変えてみた。
というのも、もう30歳も目前になり、職場も変わるので生活を少し変えてみようと思ったのと、デジタル・ミニマリストの考え方に共感したからということがある。
なんだかんだ20代はSNSに時間を取られてた10年間だったと思う。
19歳で浪人して、当時のmixiなどを封印したことは一度だけあるが、それ以降は大学に入ってからSNS使い倒した生活だった。
2010年代はtwitterやインスタグラム、facebookが世の中に蔓延し、思えばそれ以降からだんだん記憶力の低下が始まったのではないかと感じる。
脳みその容量がたわいもない他人の活動報告やそれほど重要でない情報に占められ、本当に必要な情報が自分の中に定着しなくなったと思う。
タイトルにあるドラッグはこのSNSにおける「いいね」を気にしてしまう他人との矮小な関わり合いへの依存のことを指している。
他に広い意味で依存性のあるドラッグってなんだろうなと考えたとき、もう一つには間食や余計な食事が挙げられるのではないか。
なんとなく食べたくなるチョコ、ついつい無料と言われて大盛りにしてしまう定食。
これらは、SNSの「いいね」と同様の、必要最小限の幸福には必要ない余計な幸福だと思う。
カル・ニューポートの書いた「デジタル・ミニマリスト」の中では、SNSの研究で、確かに「いいね」は人々に対して幸福をもたらすが、実際にやりとりすることでの幸福には届かないことがわかる。と記述されている。
それと同様に、余分な食事をとることは瞬間的な小さい幸福は得られると思うが、長期的に考えるとそれによって及ぼされる肥満や病気といった不幸につながり人生での絶対的な幸福は減っているのではないかと思う。
今、ある程度の人たちは満足した暮らしができるようになった日本ではもう一度、自分の生活にどれだけ小さい幸福を得られる依存性のあるドラッグがあふれていてそれをなくすことでどれだけ大きな幸福が得られるか考えなければならないのではないかと思う。
今日は雨かと思ったのに昼間は晴れていたので午前中に根津神社のツツジ祭りに行った。
ツツジって小学生の頃チューチュー吸ってたやつ
75mmでツツジを切り取る
近所の藤の花も咲いてきた。最近、本を読みながら歩いていると顔にぶつかる。
昔はこういうものを見に行く意味をあまり見いだせていなかったけど、
ツツジの種類があることや、名前を知ること、今まで見たことなかった色のツツジを発見するなど世の中を知ることに対して楽しさを感じるようになってきた。
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