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選手からの質問を「生意気」と感じてしまう指導者

こんにちは、守屋です。

あるサッカー部の指導者はトレーニングのメニューを選手に伝えていました。選手はメニューに対して疑問に思ったのか、

「このダッシュ20本とは、どういう意図なんですか?」

と聞いていました。すると指導者は、

「走る意味は自分達で考えろ。お前らが試合で走れないのは自分達が分かっているんじゃないのか。それとももっと増やした方が良いか?」

と答えると選手は黙って練習メニューであるダッシュ20本を消化していました。

教える立場の人間、教わる立場の人間。

学校という場所では先生と生徒という役割がはっきりしています。また会社においても上司と部下という立場がハッキリしている場合があります。

分からないことを「分からない」と聞くのは教わる側の大事な役割です。なぜなら分からないことを教わり、学ぶことで成長するからです。

逆に教える立場の人間は、分からないことを「教える」ことが役割です。そのため教わる側からの「分からない」には答える義務があります。

今の時代、教える側の惰性が伝わるとその意味を直接聞かずとも、教わる側はネットを通じて世の中に問題提起することを知っています。

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一部の指導者はネットで自らの指導方法や発言を拡散されるのを恐れているのではないだろうか。自分の指導方法が論理的でなく、根性論を振りかざす不透明な指導であると世間に暴かれてしまう可能性があるからだ。根性論を武器にする指導者は、弱者である選手に「なぜ」「どうして」を考えさせない。
古い根性論、体罰による指導を受けても、選手は「なぜ」「どうしてなのか」を指導者に聞くことさえ許されない環境にあったが、今ではネット上の有識者や経験者、広く世間に意見を求め、指導の本質はどこにあるのか問うことが可能だ。

教える側の人間が、昔ながらの根性論で教わる側を制圧しようとする。ロジック無き「とにかくやれ」「まずやってみろ」という言葉は信頼関係の構築どころか、主従関係の構築だけを考えているようにも感じます。

サッカーに限らず、スポーツ全般。組織における上司と部下の関係。すべてに意味を持たせることは難しいかも知れません。それでも教える側の立場の人間は、教わる側の「どうしてですか?」という問いかけに答えられるだけのロジックを持っておくべきではないでしょうか。

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