しょせんお金。しょせん心。 どちらも万能じゃないからどっちも大事。 (新井和宏さんのEMS講義の感想から)

昨秋からEMS(Essential Management School)で学んでいる。
新年最初の講義は「お金の本質について」株式会社 eumo 代表取締役の新井和宏さんが講師としてオンライン登壇された。
ふだん考えないお金の正体について、新井さんや参加者同士を交えて対話を重ね、面白かった。

ライターになって数年。
今まで人のプロフィールを書いたり、人のブログを代行で書いたり、インタビュー記事を書いたり、雑誌の美容記事を書いたり、ゴーストライターしたりと、いろんな「書く仕事」をしてきた。

するとたまにお金が、伸び縮みする妖怪みたいな「得体のしれないモノ」に感じるときがある。

2000字の文章が、10数万の値で売れるときがある。
2000字の文章が、時給1200円だったときもある。
内容は違えど、しょせん文字の羅列なのにこの差はいったい何。

聞いた話によると、ランサーズやクラウドワークスなど業務委託サイトでは
1文字0.1円の単価も珍しくないらしい。(2000文字書いて200円くらい)

このあいだ読んだ『超入門資本論』(木暮太一氏著)で知りたての用語を試しに使ってみる。
【使用価値】としての「文章」は「読むもの」。それ以上でも以下でもない。
そこで【価値】としての「文章」で捉えると「心を動かすもの」「お客さんを増やすもの」「売上につなげるもの」など、光の当たり具合で値段がピンキリに踊りだす。

一時期、一箱4〜5万円で取引されていたマスクの【価値】なんて、まさに踊り狂っていた。値段がぴょんと跳ね上がった↑かと思うと、がたんと崩れ落ちる↓
短期間で乱高下したマスクの異常な値段に思いをはせながら、こんなあいまいな「価値」に振り回される自分がちょっと怖くなる。

☆☆☆

バス車内でぐずる子どもに困り顔のお母さんに断って、子どもにシールをチラッと見せる。知らない人(私)にキラキラ光るスマイル😊シールを見せられた子どもは、泣くのを一瞬忘れる。
子どもの泣き声に焦り、黙らせようとがんばるお母さんに味方だと伝えたい。
世間の視線は怖く冷たいばかりじゃないです大丈夫ですと、勝手にはげましたい。

「eumoで、世界を本当に変えられると思いますか?」

講義中に大学生から質問された新井さんが、こう答えていた。

「社会ぜんぶを取って変えようとしてるわけではないです。
これも『社会実験』です」と。

私が、誰に頼まれたわけでもなく持ち歩くスマイルのシールや、キャラメルや
どこかで出会うかもしれない困った人に渡すための、財布の別ポケットに入れたお金も『社会実験』なのかもしれない。
金額の多寡とわず「知らない誰か」をすこし幸せにできるか?の実験。
ライフハックや時短や効率化の考えとは違い、気の長い実験だ。

「善いことはゆっくり進みます」新井さんの言葉がまた光を放つ。

そういえば、新井さんはこうも言っていた。

「お金の使いかたは、その人が幸せならいいんじゃないですか」

そうか。
私はこういうお金の使いかたで幸せだからいいんじゃないですか。
泣き止んだ子どもがシールを小さな爪に貼り、光に透かして笑う。
お母さんがホッとした表情になる。
それで勝手に私は幸せになる。
偽善がどうのの論点は私の個人的な幸せにじぇんじぇん関係ない。

私が回せる経済はささやかサイズだけれど、自分に不必要なシールを買う「余力」は、稼ぐ行為から得られたエネルギーだ。

お金が役立つときは、お金を使う。
お金が役立たないときは、「お金じゃないもの」を使う。

「お金」が役に立つ場面では、お金を使う。
募金。寄付。クラウドファンディング。
目の前でぐずる子どもにおそるおそるシールをあげる。
そういう場面で、お金(で買ったシール)は役に立つ。 

でも、お金は万能じゃない。
お金が役に立たない場面もある。
そういうときは「優しさ」や「強さ」や「共感」を使う。

誰かが大切な何かを失いぼうぜんとしていたらそばにいる。話を聴く。
そういうときに、現金はたぶん役には立たない。
お金にできない役割は、私たちの心が担える気がする。役割の分担だ。

誰もいない砂漠で、大金はなんの役にも立たない。
猛烈な空腹を、清い心は満たしてくれない。

しょせんお金。しょせん心。
どちらも万能じゃないから、どっちも大事にする。

「しょせん」に、お金や心を軽んじる意味合いはなくて、単にそれぞれの異なる役割があるだけだと思う。
それぞれの役割分担を飛び越えて
「愛こそすべて!」とか
「お金こそ至上!」とか
万能あつかいして過度に期待したとき、たぶんおかしなスイッチが入る。

新井さんが話していた「宝くじで3億当てて不幸になる9割の人たち」は
お金に過度に期待してスイッチが入ってしまったんじゃないだろうか。
当たったことないから想像だけど。

稼ぎたいお金の額は、人それぞれ。
生活費が20万でまかなえる人もいれば、80万でも足りない人はいる。
【足るを知る】の「足る」生活サイズは人それぞれだからだ。

「老後2000万問題」のよくわからない大きな額になんとなく不安でいるよりは、新井さんの名質問『あなたは自分を年収いくらで幸せに出来ますか?』に
金額で答えて逆算して、目標金額を設定したほうが現実的かもしれない。

とはいえ、お金を人生の目的化させない一つの工夫は、お金以外のもの
(優しさ・強さ・共感)もおなじように稼ぐことだと思う。

優しさの経験値も稼ぐ。強さの経験値も稼ぐ。共感の経験値もがっちりと。
かつ、それらだけじゃ食っていけないから、お金「も」稼ぐ。

大切なものを大切にするためにお金を役立てる。
大切にしたい人や大切にしたい価値観を守るために、貯め込みすぎずに使う。
幸せを未来に先送りしないで「今」をちゃんと満たす。

これからの時代は「風の時代」だそうだ。
稼ぐ窓と使う窓、2つの窓を開けてみるといいかもしれない。
稼いで使って、稼いで使って、循環させるうちに、風通しよくなりそうじゃないですか。閉め切った部屋も、対角線上に離れた窓を2箇所開ければ新鮮な風がスッとはいってくる。

今日もお金を稼ぎ、使う。
今日も信頼を得て、使う。
今日も優しさを育み、使う。
使ってなんぼ。

オモテが【優しさ】、ウラが【強さ】。共感という名の金貨を稼いで使う。
そんな夢のような金貨ざくざくのお金持ちに「も」なるのだ。
キラキラァ✨

そういうキレイゴトを言いたい人(私)の主食はカスミじゃないんです。
アーモンドチョコレートとコーヒーと岩盤浴で転寝が好きな俗物です。
理想がつまった身体が求める衣食住を現実的に支えるためと、キレイゴトを言ってかっこつけていたい自分の価値観を大切にするために今日もお金を稼ぎます。

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