「わかりたい」の松明をかかげて相手を照らす
「わかってくれて当然」じゃなく、
「わからなくて当然」がスタート地点だ。
他人だから。私はあの人ではないから。あの人は私ではないから。
できることは「聴く」という根気のいる姿勢、それと
「知恵」「思いやり」「推進力」。
根底に流れる「相手をわかりたい」という率直な願いをかけたぶん、
自分に対して「わかってもらえた」と感じたときに相手の目に宿る光が奇跡みたいにうれしい。
AIならビッグデータを元に「共感ノウハウ」で相手に寄り添うそれらしい行為はできても、「わかりたい」から放たれる熱で繋がりあえる流れは、AIには描けない軌跡ではないだろうか。
見えない「雰囲気」を感じとれる人間に起こせる偶有性のたぐいな気がする。
そういう奇跡を起こせる人は、
「私をわかってほしい」の剣をさやに収めて、
「あなたをわかりたい」の松明をかかげて、相手を照らす。
わかってもらえない孤独の闇に、相手をひとりぼっちにしない。
「ここであなたの話を聴いている」
言葉を超えた「以心伝心」も「あうんの呼吸」も、人事を尽くした果てにおりてくる天命みたいなもの。
そのぶん、思いがけないプレゼントみたいに鳥肌がたつのかもしれない。