喫茶人かく語りき
残しておきたいので、Instagramからの転載です。
川口葉子さんの新刊 "喫茶人かく語りき" ステイホームな日々にぴったりな一冊です。
○○カフェというような、カフェではないものに、カフェという言葉が乱用されて、この数年で初めてカフェの世界の扉を開けた人たちのカフェ観と、私たちのカフェ観には大きなずれが生じています。
"どんな音楽を聴いてる? どこの街に遊びに行く? そんな選択と同じように、「どんなカフェに行くか」は その人の生きかたを表すんだと思う。 そう言う意識でお店を選ぶと、お店との距離がぐっとちかくなる。 お店を愛したぶん、お店もお客さんを愛してくれる。"
32ページ「Lotus」オーナー 山本宇一さんの言葉より引用
カフェが"巡られる対象"となってしまった今の時代、きっと多くのカフェオーナーが心から伝えたいこと、そして啓蒙していかなくてはならないこと。
ご存知のようにクラシックは、選ばれない権利を行使しています。カフェという冠が付けばどんなカフェでもいいという方を、拒みはしませんが遠ざけることに心血を注いでいます。
「クラシックに行く」という行為が、このまちでの生き方の表明であり、関わることはないけれど同じような気持ちで通っている人がいて、社会でははぐれていても、ここには仲間がいるという安心感を得られる場所で在りたいのです。
「snsの効果で、あまりにも色が違うお客さんが沢山押し寄せるようになって、以前から通ってくれていたお客さんの足が遠のいてしまっている気がします」(意訳)と、カフェオーナーたちから聞くことが時々あります。
最近は、評価が最高か最低かに二分され、最低の評価が多いほど芯を持った真っ当なお店であるような気がしています。それは要するに評価をするような人間を相手にしないということ。
大切にしてくれるお客さん、大切にしたいお客さん、そして喫茶文化を守る為、どの足を遠のかせるべきなのか、答えは明白じゃないでしょうか。
最後に、表紙を捲ると現れる「いーはとーぼ店主」今沢裕さんのこの言葉を
はぐれてるやつには喫茶店が必要なんだよ。 たとえ1日に30分だけでも座って、自分をまとめるための場所が
追伸。僭越ながら私の言葉も拾って頂き、掲載されています。その言葉の願いのひとつ、店内に散りばめている星野道夫の著作がその日、その時に与えてくれたり、受け止めてくれたり、そんな瞬間が生まれていたら幸いです。