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突然シャッターが降りるかもしれないから、いつもシャッターを切る

3月に80代の営む喫茶店の灯りが2つ消えた。
ひとりはまだまだやるぞ!と確定申告を出し終えて、家に帰りひと休みで横になったところ、そのまま心臓の鼓動が止まった。

ひとりは痴呆が忍び寄ってきたらしく、身内から強制退場させられてしまった。元気一杯でも、そんな店の終わり方もあるのだと、あまりにも不意打ちだった。

およそ1年前。行きつけの喫茶店が店主の入院の為長期休業となり、喫茶店難民となった。

その時にずっと気になっていた喫茶店のドアをようやく開けた。週1回、通い詰めた。1〜3月まで冬季休業だったので、だいたい36回くらい。

この通い詰めた喫茶店も80代。最後に行ったのは4/16。その次の週、突然シャッターが降り、閉まりっぱなしだ。張り紙などは特に無い。

扉を開けて以来、休みの日は3軒はしごしていて、またいつもの一軒がひと月弱休んでいたので、挨拶できる人が2人減った生活になって、暮らしのリズムが崩れてしまっていた。

一年前には私の暮らしに存在しなかったのに、一年間で暮らしに欠かせないものとなっていた。
いつものお店というのは、生活の基盤なのだと痛感する。

いつの間にやら9年。
クラシックも多少はそういう存在になっていると思う。

20代の頃にやっていたお店の続ける原動力は「この先を見たい」という自分の為だった。

40代を迎える今の原動力は「この先も変わらぬ景色を見続けさせてあげたい」に変わった。

まだまだいつも通りに、ひとりでこの景色を見ていたい。
あの人や、あの人たちともここに来てみたい。
何事もなかったようにシャッターが開くのを待ち望んでいる。

スタンプカードを貯めるように、毎回カメラのシャッターを切っていたのは正解だった。

未だかつて無い変化の大波。
これからの時代、突然シャッターを降ろす店が激増する予感がしている。

何気ない瞬間を切り取った写真が、30年後に貴重な資料になるかもしれない。
どうしても鮮明に思い出せない記憶の補助装置となるかもしれない。

無くなるとは思いもしない、記憶にしっかりと刻み込もうとなんてする訳のない、そんな当たり前の瞬間こそを切り取っておく事をお勧めしたい。

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近藤 伸  /  クラシック(函館)
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