全力疾走 3
休日の昼間。一人暮らしの真澄は実家に帰ってきていた。地元で懐かしい男性と再会する。
「久しぶりやな、戸高」
「お久しぶりです……山形さん」
会釈する真澄。彼は高校の頃、男子陸上部のコーチをしていた山形。服装はあの頃と変わらず、ジャージ姿でリュックを背負っていた。
山形はまだコーチを続けているのだろうかと、真澄の脳内に浮かぶ。同時に過去の事故がフラッシュバックする。
軽くお互いの近況報告をした後、山形は真澄にコーチをしないかと提案してきた。もちろんボランティアだが、また陸上に携わることができる。毎日するわけではなく、休日だけでも大丈夫と山形は告げる。
「一旦、考えさせてもらっていいですか」
「いい返事待っている」
真澄はありがとうございますと、山形と別れて実家に戻る。
家を出た真澄の部屋を、両親は何も手をつけずに残してくれていた。部屋で山形からのコーチの誘いを考えている真澄。自分は誰かに教えたりするのが苦手な方であるとわかっている。それは学生時代からで、後輩に教えるなどは掛川たち他の部員がやっていた。
壁に掛けてあるコルクボードに視線を向ける。そこには高校時代の思い出の写真が貼ってあった。複数ある写真のうち、真澄は高校三年最後の大会時に撮った写真を手にする。今でも覚えている。あの時に交わした男子陸上部の一人との会話を。
※
「あと一歩だったな、戸高」
男子女子関係なく、記念撮影で三年生の部員は写真を撮った。その後、男子陸上部の同期が声をかけて来た。入賞を逃してしまった真澄は悔しさを押し殺していたが、バレていたらしい。
「全国はやっぱレベルが桁違いだよな」
彼の言葉に頷く真澄。
「戸高はあいつの為にも頑張ってたんだろ」
いつも前を走る男子の背中が鮮明に頭に浮かび上がる。彼は真澄の前から姿を消した。何もなければ、彼はこの場にいたはずだ。
「私は自分の為に走っていた――速水の為じゃない。速水は勝手に諦めただけ」
真澄は声をかけて来た男子から離れた。
※
休日明けの出勤日。休憩所で真澄は山形と会ったことを掛川に話す。ついでにコーチの誘いを受けたことも。
「もしかして、受けるの?」
掛川の表情が曇る。山形が起こした過去の問題は全国に知れ渡るほどで、今もコーチを続けていることが信じられなかった。関わることは避けた方がいいと助言する掛川。
「私は話を受けるつもり」
「なんだ。もう真澄の中で完結してんじゃん」
彼女の言うとおりだった。一晩、自分の中で考えた末に出た答えはコーチを受けるだった。高校生最後の夏、悔しい思いは残ったままだった。自分が選手として出場するわけではないが、もう一度挑戦する。山形が教えている今の選手たちに頂の景色を見せてあげたい。
休日。指定された競技場に訪れる真澄。入口で山形が待っていた。彼は誘いを受けてくれたことに感謝した。真澄はよろしくお願いしますと、丁寧に頭を下げた。
競技場の中に入ると、すでに陸上部の中学生たちが練習に取り組んでいた。山形と真澄の姿を確認すると一斉に駆けつけてくる。
「こんにちわ!」
元気の良い挨拶が響き渡る。この部活感を懐かしく思う。
「なあ戸高。みんなに走りを見せてやってくれ。100メートル」
「私、長距離ですよ」
「いつも走ってるんやろ」
中学生たちの注目を浴びる真澄。断ることはできず、すぐに準備する。
白線を前に屈む真澄。クラウチングスタートからゴールを目指し、彼女は走り出した。
[終]
〈目次〉