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全力疾走 3

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 休日の昼間。一人暮らしの真澄は実家に帰ってきていた。地元で懐かしい男性と再会する。

「久しぶりやな、戸高」
「お久しぶりです……山形さん」

 会釈する真澄。彼は高校の頃、男子陸上部のコーチをしていた山形やまがた。服装はあの頃と変わらず、ジャージ姿でリュックを背負っていた。
 山形はまだコーチを続けているのだろうかと、真澄の脳内に浮かぶ。同時に過去の事故がフラッシュバックする。
 軽くお互いの近況報告をした後、山形は真澄にコーチをしないかと提案してきた。もちろんボランティアだが、また陸上に携わることができる。毎日するわけではなく、休日だけでも大丈夫と山形は告げる。

「一旦、考えさせてもらっていいですか」
「いい返事待っている」

 真澄はありがとうございますと、山形と別れて実家に戻る。
 家を出た真澄の部屋を、両親は何も手をつけずに残してくれていた。部屋で山形からのコーチの誘いを考えている真澄。自分は誰かに教えたりするのが苦手な方であるとわかっている。それは学生時代からで、後輩に教えるなどは掛川たち他の部員がやっていた。
 壁に掛けてあるコルクボードに視線を向ける。そこには高校時代の思い出の写真が貼ってあった。複数ある写真のうち、真澄は高校三年最後の大会時に撮った写真を手にする。今でも覚えている。あの時に交わした男子陸上部の一人との会話を。

「あと一歩だったな、戸高」

 男子女子関係なく、記念撮影で三年生の部員は写真を撮った。その後、男子陸上部の同期が声をかけて来た。入賞を逃してしまった真澄は悔しさを押し殺していたが、バレていたらしい。

「全国はやっぱレベルが桁違いだよな」

 彼の言葉に頷く真澄。

「戸高はあいつの為にも頑張ってたんだろ」

 いつも前を走る男子の背中が鮮明に頭に浮かび上がる。彼は真澄の前から姿を消した。何もなければ、彼はこの場にいたはずだ。

「私は自分の為に走っていた――速水の為じゃない。速水は勝手に諦めただけ」

 真澄は声をかけて来た男子から離れた。

 休日明けの出勤日。休憩所で真澄は山形と会ったことを掛川に話す。ついでにコーチの誘いを受けたことも。

「もしかして、受けるの?」

 掛川の表情が曇る。山形が起こした過去の問題は全国に知れ渡るほどで、今もコーチを続けていることが信じられなかった。関わることは避けた方がいいと助言する掛川。

「私は話を受けるつもり」
「なんだ。もう真澄の中で完結してんじゃん」

 彼女の言うとおりだった。一晩、自分の中で考えた末に出た答えはコーチを受けるだった。高校生最後の夏、悔しい思いは残ったままだった。自分が選手として出場するわけではないが、もう一度挑戦する。山形が教えている今の選手たちに頂の景色を見せてあげたい。

 休日。指定された競技場に訪れる真澄。入口で山形が待っていた。彼は誘いを受けてくれたことに感謝した。真澄はよろしくお願いしますと、丁寧に頭を下げた。
 競技場の中に入ると、すでに陸上部の中学生たちが練習に取り組んでいた。山形と真澄の姿を確認すると一斉に駆けつけてくる。

「こんにちわ!」

 元気の良い挨拶が響き渡る。この部活感を懐かしく思う。

「なあ戸高。みんなに走りを見せてやってくれ。100メートル」
「私、長距離ですよ」
「いつも走ってるんやろ」

 中学生たちの注目を浴びる真澄。断ることはできず、すぐに準備する。
 白線を前に屈む真澄。クラウチングスタートからゴールを目指し、彼女は走り出した。

[終]

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