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怒りの正当性と将来性。
「私はこんなに酷い目にあったのです。だから怒ってもいいですよね?」と自分の怒りに正当性を求める人が増えた。
インターネットの拡散力が怒りを“可視化“させた。
自分の感情すら、誰かに承認してもらわないと生きられない現代人。
誰かの言葉の一部を切り抜いては“炎上“させる。
被害者意識の共有で、怒りの協賛者を得て、特定の誰かや組織に社会的制裁を与えたいという心が透けて見える。
あちこちに“敵“を作りながら生きている。
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私の怒りが多くの人に共感され、私の怒りを正当化させたい。
果たして怒りは人生を豊かにするのだろうか。
“敵“を多く作る人生にするか
“敵“を無くして無敵の人生にするか
よく怒りや憎しみを“心に傷を負った“とか“頭から離れない“と言う人がいる。
それで良いのだ。
開き直っているのではなく、脳は自分が傷付いた記憶を強烈に留めてくれる。
次に同じことが起きた時、傷つかないように。
それはつまり、怒りが忘れられないのではなく、脳が自分を守ろうと働いてくれているだけなのだ。
「罪を憎んで人を憎まず」
アルツハイマー病を発症する人の共通点に
“怒りやすい“という特徴があるらしい。
私は思った。
やっぱり人は嫌なことを忘れたいんだと。
私は過去の嫌なことは覚えていない。
私は怒りを感じたらJAZZ喫茶にこもる。
感情をノートにひたすら書く。
感情を整理するのだ、忘れる為に。
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何にイラついたの?
何に怒ったの?
自分と深く対話をする。
怒りには興味を持ち、怒らせた人や事を憎むことはしない。変えられるのは自分だけだし、次は自分を守れるからだ。
私の場合は大抵、私の不甲斐なさ、私の至らなさ、私への怒りなのだ。
自分の感情も自分の幸せも
“誰か“のせいにしない。
怒りの原因が分かればスッキリ。
復讐を企むより、自分の幸せを優先する。
明日をどう楽しむか企む。
怒りを集めるより喜びを集めたい
その方がきっと人生は豊かだと思う。
怒りに正当性を求めるより
自分の喜びにフォーカスをする…
未来の私もきっと「無敵」だろう。