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続けているから、わかること

いや、ほんと、毎日コツコツとやってるからこそ分かることってあるんですよ。

大したことじゃないんですけど、一応、書きますね。

まず「波」みたいなものってあるな、ってことなんです。
これがね、ほんと、ずっと続けてると、わかってくるんです。

ああ、波があるなーって。

一番顕著なのは「書くこと」ですかね。

毎日「書く」ってことをずっと続けている。

日々の記録とか、読書のメモとか、映画の感想とか、短歌とか、原稿の一部とか、企画のメモとか、パソコンで書くもの、スマホで打つもの、手書きで殴り書くもの、いろいろあるけど、
とにかく、毎日必ず書いてる。無理矢理にでも書いてる。

で、こうやって本当にコンスタントに、毎日ずっとやってると、めちゃくちゃ波があるのがわかる。

ときどきめちゃ調子がいいときがある。
noteの投稿にしてもすらすらと書ける。
映画感想を書いてるはてなブログもするっと書ける。
「こんなこと書こう」と思ってテーマを決めて書きはじめたら、すらすら言葉が出てくるし、もう頭の中にあること以上に文字を吐き出してる感じで、単純に書いてて気持ちよくて、「もう、何でも書けるんじゃない」みたいな気になる。

そういうモードに入る時がある。
で、少しそういう時期が続くんだけど…

ある日、突然書けなくなる。

ほんと、いきなり書けなくなる。

「こういうこと書こう」って決めてもまったく言葉が出てこない。
もうびっくりするくらい書けない。

「やった!何でも書ける」って、
調子よくやってると、次にいきなりこの「書けない」モードがくる。

もうそうすると書けない。
何も書けないし、
だいたい書きたくない、キツイってなる。

で、いま、その「書けない」モードです。

先週のnoteあたりから、ちょっとそんなモードに入ってる。

先週は日曜に下書きしたnoteがあまりにもしっくりこなくて、月曜日にテーマも変えて書き直した。

当初は別のことを書こうとしてたけど、頭の中で考えてるときはいい感じで書けそうな気がして、なんとなく考えはまとまっているのに、いざ書き出してみると、まったく思ったように書けない。
手直しすればするほど嘘っぽい文章になる。
だからもうその文章は捨てて新しいテーマで書いた方が早いって思い直して、結局ゼロから書き直した。
修正にやたら時間がかかった上に書き直し…。
仕事の合間にやるには負担が大きすぎた。
先週あたりから毎日書いてる映画のブログもやたら時間がかかっている。
30分で書くと決めてるのに1時間以上かかったりする。

こういうときの対処方は「とりあえずあがく」しかなくて、ふできだろうが何だろうが、自分でそれなりの合格点が出せるところまでは時間がかかってもいいからやるしかない。

noteの投稿もブログの投稿も、強制されてるわけでもないし、
そんなにキツければ「今回はお休み」でもいいんじゃないかなと思うんだけど…
それでも「やる」。
そこにはきちんと意味がある、と思ってる。

毎日書く習慣の中に「短歌」というのもある。
2年近く淡々と1日1個、必ず作ってるんだけど、
これも書ける日と書けない日がはっきりある。

毎日同じタイミングでやるからわかるんですよね。
ああ、すっと言葉が出てくるなーって日と、
もう何も出てこない考えられない日があるのが。

確実に波がある。

書けるにしても、いろいろあって、
当たり前のことを違う角度から書けたなと思えるときと、
当たり前のことを当たり前にしか書けない日もあったり、
いいこと言おうとしてる自己啓発っぽい短歌ばかり書いてる時期があったり、
そうかと思うとシュールなことばかり書いている時期とか、
半分くらいはそのとき読んでる短歌の歌集に影響はされていると思うけど、
それ以上にやっぱり心のバロメーターが反映されてるなと思う。

短歌を毎日つくる。
ただ自分でルールを決めたからやってるだけだけど、無理矢理でも続けていると、少なくとも自分の「波」は確実にキャッチできるものにはなっている。
うまくなってるかどうかは知らないけど、確実に「変化」はわかるようになる。

「ああ、このときは余裕がなさ過ぎて、こんな当たり前しか書けなかったんだ」
があとでわかるだけでも、やってる価値があるように自分では思っている。

だいたいわたしがやっていることは、どれもこれも、「やってて意味あるの?」ってことばっかりなんだけど、「やる」と決めて、できふでき関係なく「やる」ことには、やはりきちんと一定の意味はあるとは思っている。

最近読んだ本で、「#100日チャレンジ」って本があって、
これはある大学生がChatGPTを使ってプログラミングして100日間、毎日アプリを作ってSNSに投稿し続けるというチャレンジを書籍化したもの。
これがめちゃくちゃ面白かった。
そもそもが手抜き目的でAIを使いはじめて、たまたまアプリを作ったのが面白かったから「100日やってみよう」って軽いのりで始めた。
毎日どんなアプリを作るか考えて、必ずそれを作って発表する。
やってみたらそれはもう大変で、全然思うようにいかない。
やりながらこんな手抜きで不出来なアプリを投稿して意味あるの?って悩んだりする。
それでも1日も休まずやるんですよね。
「こんなの全然ダメじゃん」「意味あるの?」そんな自問自答しながらやってる。そして1日目に作ったアプリを50日目に見直すんです。
何も成長もしてないと思ってたら、50日前の自分が作ったものがいかにダメかわかるようになってる。見えてる世界が変わってる。
そして1日目のアプリの改良版を50日目に作る。
何の成長もしてないと思ってたら50日目には全く別の自分になってたことに気づくんですよね。そしてそのままそれを100日続ける。
100日目に何を作るのか、そこから見えている世界はどうなっているか…という本なんですが…
いやー面白かった!
そして、これ、まさに「続ける思考」じゃん!だったんですよね。

「全然ダメ」「意味がない」日々そう感じていることの積み重ねを、それでもやめずにどれだけ続けられるか。

これを努力と呼ぶのか?はわからない。
この本の著者も
「努力が苦行という感覚ではまず続かない」
というようなことを書いてました。

きちんと「努力」するという感覚ではなくて、
ダメでもとにかく「続ける」ことなんですよね。

そのためにあるのが
「自分で決めたルールを曲げずにやる」
なんだと思うんですよね。

必ず毎週月曜に投稿するnoteにしても
「今週は忙しい」とか「今回は書けない」からパスしようを許さないのはそのためなんですよね。
別にストイックだからやってるわけじゃない。
むしろ逆で、自分に厳しくしたくないから、完成度を追究するより「不完全でも確実にやる」を選んでいるだけな話なんです。
完成度とか完璧さとか求めるより、そっちの方が楽じゃんってだけのことです。

それにしてもこの著者の方、100日で世界を変えてる。
「成長の早い人は100日でいいんだ!」って、純粋に尊敬しました。

わたしはずいぶんゆっくりモードなので、何年も何十年もやって、いまだに成長してるのかどうなのかよくわからないんですが、いまさら「波がある」なんて小さな気づきを書きながら、ぼんやりいまの「書けない」の波に向き合ってます。

そうやって続けていけば、いつか何か変わるんですよ、きっと。
取るに足らないすんごい小さくな変化かもしれないけど。

そんなふうに改めて「続ける」を考えたりしています。
それが「習慣家」の特性なんだと思います。


この本とても面白かった!


似たようなことを話している「続いてるラジオ」です。



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