今ドキにネットで調べても絶対に見つからないコトがある??!
1. あなたも「気づき」のプレゼントを贈ってみない??
みなさんこんにちは!!
白鷗大学 下村健一ゼミナールです○
突然ですが ご報告です
私の推し(下村健一先生)が
メガネを変えた模様です
気づけたことに嬉しすぎて
心で満足していた のんちゃんは
本人に言わなかったんですよ
そしたらこの前のゼミで 下村先生が
「ボクメガネ変えたのに
あまり気づいてもらえなくてさ〜😅」
と話され…
ゼミ生のみんなは
ちらほら気づいていたり
気づいていなかったり…
気づいていたのんは
抑えきれず
「もちろん気づきましたよ!」
と元気よく返答!
・・・
でもね
のんが髪の毛を切ったこと
下村先生は
気づいてくれなかった
(先生こそ気づいてないじゃないですか〜!
としっかりその後話しましたよ○)
女の子は小さな変化に
気づいてほしいんだ〜(男子も?)
2.白鷗大学の始まった跡地が誰も分からない??!
いよいよ本題!
私達4年下村ゼミナールの
ひとつ下の代は「地域メディア実践演習」
を行っており
足利市で発行されていた「両毛新聞」の
一部記事の制作に携わっておりました
※現在両毛新聞は休刊となっています
読者のみなさんが読んだあとも楽しめるように
新聞の書き出し1文字目を活かし
「足利カルタ」を作ることに!
後輩ちゃんの先駆けとして
第1回目となる記事 「あ」
を担当するために
下村ゼミ4年有志「両毛新聞班」
が結成されました!
「学校法人白鷗大学」は100年以上の
長い歴史を経て
現在の栃木県の小山に
所在を置いています
当初は足利市の巴町で誕生し
「足利裁縫女学校」という
たった17人の学生だけで始まりました
当時の記事を書くために
跡地の現在がどうなっているのか
実際に見に行こうとして
白鴎大学の歴史に関する書籍や
ネット上を探りまくるも
足利市巴町…の先となる番地が
無い!無い!無い!
見つからない!
…え?
このプロジェクト始まったばっかなんだが??
今ドキ ネットに頼っても
わからないことがあるの?😅😅😅
それより 学校の歴史に関する書籍にも
情報がないってどういうことだ!!
大学がどこの土地で始まったか
誰も分からないですって??!
第1回目の記事だし 白鴎大学始まりの地を
盛大に書いてやろうと 気合十分に始まった
両毛新聞班はあっけなく立ち止まってしまいました
ん〜分からないなら 仕方ない…よね
あきらめて 他の内容を…書くか…
とはなりませんよ!
“巴町”内にあったということ
大正5年から15年の“10年間”に
学校が存在していたことは
学校記録の書籍にて把握済みだ!
現地取材や学校外の書類を探すなど
あらゆる方法で行動に移すのみ!
学校の跡地がわからないだって?
私達が見つけてやる!!
…と我らが「学校法人白鷗大学」106年史の
1ページ目を塗り替えるべく
足利市巴町 X番地を探す旅が始まりました
いくつもの驚く展開を迎え
発見に至るのは約8ヶ月後の話
白鴎大学の跡地発見までの
私達の学びと 感動のストーリーを
今後3回ほどに分けて連載していきます!
既にいい話の予感ダァ…
3.たまにはこんな日があっても良い
6月23日 ゼミの日に誕生日を迎え
ゼミに愛された男玄米くんが 22歳を迎えましたァ!
おめでと〜!
誕生日にゼミにかぶったなら
おめでたサプライズするしか無い!
ということで 誕生日ケーキのサプライズを!
一瞬だけ マスクを外して記念写真を○
普段から距離をしっかり確保し
窓全開で活動を行っております!
真ん中のイケメン(?)が玄米です
…それはておき 来週の予告を!
「ネットトラブルを防ぐ」ために
『小中学生はスマホ所持禁止』と方針が
固められているので…
「SNS利用のアンケートには協力できない??」
「スマホ所持が禁止」だから
学校内でSNSを取り扱うこともタブーなのか
子供にとって貴重な学ぶ環境を
大人の理由で奪ってしまっていないか…と
ゼミ生が疑問に思いました
現在の小中学生スマホ事情の
実態について書いていきます!
そして 「白鴎大学の跡地が誰も分からない??!」第2話
も書いていきます!
…この前下村先生やゼミ生から(急)
1回1回のnote チョット長い〜!
と助言をいただきました 笑
確認してみると前回は なんと約3300文字
これじゃ大学のレポート課題より長い
もっと気軽に読んでいただけるように
長すぎず わかりやすく 書けるように
がんばります!
また 次回の記事を
お楽しみに○
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