第8章 2020年5月末 手術直後のリハビリ
麻酔から目を覚ますと私は体の右側を下にして横になって寝ていて、暖かい空気を送るチューブ?とともにブランケットで体を温められていました。私は意識を取り戻してまずシュミッツ先生に、ディスクを固定するためにスクリューを使いましたか、と尋ねました。先生は、「スクリューは使わなかったよ!」とニコニコと返事をしてくれました。直後に、吐き気を催しました。手術はおへその下あたりを数センチ縦に切開し、内臓を避けて脊椎まで到達しそこから人工椎間板を入れるので、内臓の位置をいじられた私は吐き気を催してしまったのです。「吐く、吐く」と横にいた兄に告げるとシュミッツ先生はすぐポリ袋をとってくれました。最初の1日はスープだけ飲めて、2日目からは普通に食べていいよと言われました。一応体を切開されている上、たくさんの痛み止めも投与されているので、私は手術当日は特に何もせず横になったまま1日を終えました。
2日目
腰痛がピークを迎えました。手術する前の腰の痛みよりももっと激しい痛みです。とは言え脊椎を切り刻まれて人工物を入れられているわけですから痛いのは当たり前なのですが腰痛をなくすために手術をしたのにまだ腰が痛いと言うのは正直ちょっとがっかりしました。この日、主治医のシュミッツ先生と理学療法士のコンスタンティンがやってきて手術後初めて立とうということになりました。腰はまだ痛かったですが思いきって膝を伸ばしきると痛みがなくなりました。この様子は動画で確認いただけます。
3日目から4日目
問題が1つありました。排尿です。おしっこしたいのにおしっこが出ないのです。トイレに行ってもおしっこが出ません。そこである看護師とアル=カヤット先生は1つの方法をを提案してくれました。川のせせらぎや水が流れる音など、排尿を想像させる音をひたすら流すんです。冗談に聞こえますがこれが意外と功をするんです。ちょろちょろちょろと言う音が尿意を催すという、一種の催眠術のようなものなんでしょうか。3日目にこれを試しましたがあまりうまくいかず、3日目は結局尿道カテーテルを入れてもらいました。カテーテルを入れてもらった瞬間に膀胱に溜まっていた尿が全て出て行くのを感じました。
4日目にはちょろちょろ作戦が功を奏し、時間こそかかりましたが自力で排尿できるようになりました。
5日目
これがリハビリ期間中最悪の日でした。便秘です。便秘であそこまで苦しむとは思いませんでした。後から知ったのですが、手術後に投与される薬の副作用として便秘があるのです。術後5日間は大のほうは1回も出ませんでした。あまりの便秘の苦しさに看護師に浣腸をしてもらい、トイレで奮闘すること2時間半、やっと出ました。これがかなりのエネルギーを要しました...本当に。術後数日間を通じて発熱や吐き気、貧血や筋肉の痙攣、足のむくみなどさまざまな症状を経験しましたが、便秘が一番辛かったと断言できます。
6日目
6日目まではベッドから起き上がるのには常に誰かの手を借りなければなりませんでしたが、6日目からは1人でも結構動けるようになりました。トイレの大も小も1人ででき、もちろんゆっくりではありますが、病室の中を歩いたり、1人でシャワーを浴びる事などもできました。
6日目以降は、理学療法士と一緒に様々なリハビリをしました。歩き方、足のスイングエクササイズ、階段の上り下りなどです。日を追うごとに歩ける距離も増え、病院のすぐ外の公園まで散歩に出たりしました。ですがあくまでもコロナ禍中なので行動範囲は常に最小限に留めていました。日用品等の買い出しは兄に頼み、兄が買い出しから帰るたびに即手洗いとうがいを徹底し、私は病室でリハビリ(とゲーム)に勤しんでいました。
ドイツに滞在した期間は全部で14日間でした。あっという間に日が経ち、シュミッツ先生の趣味がピアノ演奏と言う事だったので、クリニックを離れる日の前日に、クリニック1階レストラン内のカフェテリアにあるピアノでショパンのノクターンを演奏させていただきました。そこで、お世話になったシュミッツ先生やアル=カヤット先生、看護師のジェシカたちと記念撮影をしました。
そして最終日。我々は早朝にクリニックを後にしましたが、クリニックを後にする前に切開跡の抜糸をする必要がありました。早朝にも関わらずシュミッツ先生が病室にやってきて、糸をちょちょんと切って、じゃ、これから手術があるから!元気でね!またね!と言って手術室へ向かっていきました。シュミッツ先生はとても多忙な方で、1日に手術が4件から5件くらいあることもザラでした。そのような多忙な身であるにもかかわらず、私がクリニックにいる間はほぼ毎日、アル=カヤット先生も含め、毎日私の病室に挨拶しに来てくれて、調子はどうかと聞いてくれたりしました。
思い返すとあっという間の2週間でした。帰りも、同じドライバーにアウトバーンで(超高速で)デュッセルドルフからフランクフルトの空港まで送ってもらえました。私はあくまでも術後2週間の、介助が必要な人間でしたので空港では車椅子を用意され、空港の職員が1人私につきっきりで空港の案内をしてくれましたが、なんと偶然にも彼も腰の手術を昔したことがあることが判明しました。彼は昔L4 L5の椎間板をヘルニアしてしまった時にフランクフルトの大学病院でヘルニアを切除したんだそうです。奇遇なところでヘルニア仲間に会えて面白い気分でした。こうして我々は、フランクフルトから羽田まで飛行機(エコノミークラス。余裕がある人は、術後にフルフラットが欲しいためビジネスクラスを予約したりもする)で帰りました。