【奇妙な旅の果てに自由を得る】映画『哀れなるものたち』感想
エロとグロに彩られたダークファンタジー
この作品を一言で表すならそんなとこだろうか。映画が始まれば性と性にまみれた2時間22分の異世界体験。見たこともない世界へ連れて行かれる。
映画『哀れなるものたち』は『籠の中の乙女』、『ロブスター』などの作品で知られる奇才ヨルゴス・ランティモス監督の新作だ。
主演は『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーン。
『女王陛下のお気に入り』につづいてランティモス監督との2回目のタッグとなる。共演にはウィレム・デフォー、マーク・ラファロなど豪華キャストが名を連ねている。
1月26日からの公開だが19日から一部劇場で始まってる先行上映で鑑賞してきた。
主人公は天才外科医によって胎児の脳を移植され蘇生した女性ベラ。
モチーフこそ「女性版フランケンシュタイン」だが、映画を通して描かれるのは1人の女性が世界を旅しながら自由と自立を獲得していく姿。
美しく魅力的なベラ、彼女の周りにはつねに彼女を「自分のモノ」にしたい男たちが登場する。だが、ベラは誰かの所有物にはならないし支配もされない。その立ち振る舞いはまさに女神のよう。
当初はベラを弄ぼうとしていたダンカンが逆にベラに振り回され破滅していく姿は哀れでもあり滑稽だ。
最初は無邪気さで男たちを振り回していくベラだが、成長することで今度は知識と教養で男たちと互角に渡り合っていく。
ベラのこうした行動の裏には「男性優位の社会と歴史」に対する怒りと皮肉が込められている。
劇中にはいくつもの男性優位の社会を感じさせる場面が登場する。
パーティー会場でダンカンがベラに放つ言葉(必要な言葉は3つだけで良いという下り)にも表れているし、ブレシンドンの一切の自由を与えないという態度もそうだろう。良心的な存在であるゴドウィンやマックスですら彼女の代わりの女性を作ろうとする。
男たちのこうした行動の奥底には「女性は男性の所有物」という男性優勢の歴史が見え隠れする。ベラはそうした価値観に唾棄し強烈なカウンターパンチを放つのだ。
こうしたフェミニズム観は映画オリジナルではなく原作から描かれていることに言及したい。
原作はイギリス・スコットランドの小説家アラスター・グレイが1992年に発表した小説『Poor Things』。ランティモス監督は原作を読んですぐに映画化の許可を得るためにグレイに会いに行ったらしい。
鑑賞前に小説も読んでいたが、ランティモス監督が感銘を受けたということもあり、あらすじは概ね原作通り(ただし、原作は終盤にある仕掛けがあるが映画はそこは完全に省いている)。
1992年にこうした価値観の小説が発表されていたということでグレイの先見性に驚かされる(アラスター・グレイは2019年に死去されている)。
映画の脚本を手掛けたのは『クルエラ』、『女王陛下のお気に入り』など、エマ・ストーン主演の作品の脚本を手掛けてきたトニー・マクナマラ。
両作品とも女性主人公の生き様に焦点を当てて描かれているが、本作もマックス視点で話が進んでいた原作からベラを主人公に置き換えたことで完全に「ベラの物語」としてよりメッセージ性が強いものとなっている。
物語も素晴らしいけど自分が最も心を惹かれたのはそのビジュアル。
退廃的かつ濃厚で悪趣味な世界。
乱暴な例え方をすると可愛さを抜いたようなティムバートン作品のよう。
原作が現実と地続きの世界だったということもあって、小説読んでる時はこんなイメージは全く思い浮かばなかった。あの原作をこんなに鮮やかでファンタジックな肉付けをしていることに驚かされた。
魅惑的なゴドウィンの屋敷、リスボンの幻想的な街並み、船上の青。どの風景も脳裏に焼き付く。
美術を手掛けたのはショーナ・ヒースとジェームズ・プライスとのことだが、映像化と意味では最高なんじゃないだろうか。
SF、時代劇と作品ごとに新しい側面を見せてくれるランティモス監督だがシュールな作風は健在。特に「本人たちは至って真剣だけど傍から見たら滑稽に見える」シーンは笑いを誘う。
船の上でダンカンが婦人を突き落とそうとする場面もシュールだし(引きの映像でコントみたいになってる)、娼館での父親と子供の下りは『ロブスター』を思い出す。
いずれの場面も原作では描かれていない。やはりこうしたシュールさこそランティモス監督の持ち味なんだろう。
俳優陣の演技もいずれも素晴らしい。
今作で俳優だけだなくプロデューサーも兼任しているエマ・ストーンは見れば分かる主演女優賞も納得の圧巻の演技。
「体を張ってる」なんて言葉で済ませられないくらい命を削ってるんじゃないだろうかというくらいの熱量を感じる凄まじさ。特に『ラ・ラ・ランド』に匹敵するくらい素晴らしいダンスシーンは是非観て欲しい。
ダンカン、小説を読んだ時はいけ好かない人物で映画もそうなんだけど、マーク・ラファロが演じてるお陰がどこか憎みきれないキャラクターになっていた。ゴドウィンを演じたウィレム・デフォーもさすがの安定感で素晴らしかった。
後、本作は余韻が素晴らしい。
次の日、違う映画を観に行こうと思っていたんだけど、この映画の余韻が残っててそれを消したくなくて結局、映画を観に行くのをやめたほど。2日経った今も余韻が続いている。
ということで『哀れなるものたち』。
1月26日から公開(既に一部劇場では先行上映中)。気になった方は是非ともチェックして欲しい(ただしR18指定だけあって性描写は多いので初デートなどで観る映画ではないからそこは注意!)。
※ランティモス監督の長編3作目の『アルプス』の感想。こちらも興味ある方は。
【1/27追記:2回目の鑑賞をして】
1月27日の土曜日、ミッドランドシネマ名古屋空港にて2回目の鑑賞をしてきた。ちなみに朝の8時25分の回ということもあってか客は15~20人程度。
朝イチから観るにはパンチが効いた作品だったが、ダークで倒錯した世界観はやはり癖になる…以下は2回目観て改めて思ったことを残しておきます。
※これより以下は作品の具体的な内容に触れています。未見の方はご注意ください。
今回、モノクロからカラーへ切り替わるタイミング(それまでにも序盤では回想場面はカラー)を意識して観ていたが、ベラがダンカンと駆け落ちした次の場面、騎乗位でのベッドシーンから切り替わるので笑ってしまった。
強烈だし悪趣味さもある。
ただ本作は「女性の性」が題材の1つでもあるので、この場面がカラーになってるということは、本作の方向性を分かり易く示してるともいえる。
2回目観て思ったのはマーク・ラファロ演じるダンカンはコメディ・リリーフ的な存在感。ダンカンってキザで嫌な奴なのだが、マーク・ラファロが演じてるお陰でシリアスな雰囲気になりすぎていない。
後、ランティモス監督の持ち味でもある「本人たちは至って真剣だけど傍から見たら滑稽に見える」シーンのほとんどはダンカンの場面がほとんど。エマ・ストーンが凄いのは当然なんだけど、ダンカンの素晴らしさにも気付かされた。
で、2回目観て改めて思ったのは、ストーリーも素晴らしいんだけど自分はこの作品の世界観がたまらなく好きということ。
奔放な性描写もあれば人体解剖シーンもあるので間違いなく人を選ぶだろうし、正直この世界観は悪趣味だと思う。だけどこうした美醜が混じったものが好きなんだよなぁ…
※エマ・ストーンの衣装も素晴らしかった。
GINZAの衣装を担当したホリー・ワディントンへのインタビューによると、1970年代の素材を使用しながら、1960~1970年代の未来的ファッションも参考にしたとのこと。
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