看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(6)
3月21日(日)
自力だけで介護をするのは大変。公的サービスを使わせていただくことにした。火曜日に練馬区の地域包括センターに介護保険の申請をしてきた。退院までに介護保険を利用できるはずだった。こういうことは先手先手で動かないといけない。
今日は一時外泊の日だ。桜が咲き始めていた。もう少し経つと満開かな、と思った。帰りのタクシーの中で「手術たいへんだったね。」というと、目を閉じて「生きて帰れるとおもわなかった。」と言った。帰ってきてうどんを作って出すと、少しだけ食べた。夜になって僕は笑いながら、「ビール飲む?」と聞くと、父も笑いながら、「やめておくよ」とおかしそうに言った。
今日病院に戻る前に「何か食べたいものある?」と聞くと、「シュークリームが食べたい」というのでシュークリームを何個か買ってきたら、2個食べて、「もう一杯だ」と言った。エンシュアリキッド(栄養剤)を3缶注入した。
3月24日(水)
月曜日がエンシュアリキッド(栄養剤)4缶。火曜日に6缶となった。これから毎日6缶使用することになる。食事はほとんど手を付けなった。水をなるべく飲むように伝えるとわかった、と言った。
今日から抗がん剤治療が開始となった。抗がん剤の副作用について聞いているので、心配だ。主治医の先生が、O先生となった。TS1という飲み薬とシスプラチンという注射を打つことになった。父の顔色はとてもよかったので安心して、帰宅した。
後で電話するとティッシュペーパーがほしいというので、明日もっていくよ、と伝えた。介護保険の調査課のMさんから連絡があって、明日病院に調査に行く、と仰った。
3月31日(水)
シスプラチンの2回目の投与。副作用もあまりないので、「退院も近いですね」とY先生から言われてうれしかった。
土曜日に入院費を払った。約51,000円だった。44,000円以上は控除になるらしい。もっとたくさんかかると思ってたので助かった。
4月5日(月)
金曜に桜が満開で職場で花見があったが、花見に出ずにお見舞いにいった。
治療は順調のようで、土曜の朝に病院から電話があり、8日に退院となった。
お父さんは「もう飽きたな。」「半年くらいで治るのかな。」と言っていた。
病院で出る食事は、ご飯には手をつけず、おかずだけ四割くらい手をつけただけだった。退院して自宅に戻ったら、湯豆腐でも作ってあげようとおもった。
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