看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(15)
9月1日(水)
栄養剤を変えたのだが、冷たくて胃が痛いようだったので、温めてもらったら痛くなさそうだった。顔色は良い。声のかすれも昨日よりいい。「もう病院は飽きたな」といっていた。
9月2日(木)
抗がん剤の点滴。やはり今度の栄養剤は温めても胃が痛むので、元に戻してほしいといったら、O先生が、明日から違うのを試してみようと言っていた。やはり声がかすれる。
9月3日(金)
新しい栄養剤は粉末を水に溶かすタイプで、胃も痛くない。やり方をいてから僕は帰った。お父さんは、「今日が一番調子がいい」と言っていた。豊島病院のホスピスの話をしたら嫌がっていなかったので、話しを進めることにする。
9月4日(土)
退院。かなり薬があった。タクシーで帰ると4000円くらい、H団地のときより、1000円くらい安い。ケアマネのTさんが来てくれた。そのとき、お父さんが「来年の今頃は治っているか、死んでいるかだろう」と言ったのが気になった。介護ベッドが届いて、喜んでいた。
9月5日(日)
今日は調子が良くないようで、団地を一周散歩しただけだった。
9月6日(月)
声に張りがない。調子は悪そう。
9月7日(火)
今日も声に張りがない。団地を一周だけした。
9月8日(水)
昼に電話した時は、声に張りがあったが、夜になる疲れたようだった。風呂の椅子も届いた。
9月9日(木)
やはり電話の時の声の張りのないのが気になる。
9月10日(金)
昼電話したときは調子は良さそうだったが、夜は調子が悪そうだった。
9月11日(土)
昼車椅子で、お父さんが前働いていた練馬区の駐輪場に行ったとき、Hさんという人がいて少し話しをしていた。じっとしてるとやはり気が滅入るだろう。たまにこういう風に外に連れて行ってあげようと思う。
9月12日(日)
夕方車椅子で商店街を回ってみた。お父さんも少し楽しそうだった。お腹の手術の傷跡がなんか大きくなってきたような気がする。
9月18日(土)
ここしばらくは調子が悪い状態が続いていた。今日はまあまあだったので、前の職場のスーパーと駐輪場にそれぞれ言ってきた。駐輪場の勤務の方はしらない方だったので、話さなかったが、スーパーでは知ってる人がいて少し話した。外に出たからか気分は良さそうだった。
9月19日(日)
僕は昼から飲んでしまい、外に連れて行けなかった。反省。胃ろうの入口の傷が大きくなったようなので、大き目のガーゼを当てがってとめた。
9月20日(月)
僕は墓参りに行ってきた。お父さんは「歩けるようになったらお父さんも行く」と言っていた。帰ってきてから、K町の方を車椅子で回ってきた。体力はかなり落ちていると思う。少し記憶力も落ちたか?ちょっと前のことを忘れてる。
9月21日(火)
K病院に土曜日に予約を入れた。在宅ホスピスの件で相談してくる予定。体調はあまりよくない。
9月22日(水)
T女子医大の日。3クールの1回目。腹水もだいぶ取れている。胃ろうのチューブの根元の傷はにくげというらしくて、ガンとは関係ないとのことで安心した。新しい薬があっているようでよかった。本人も調子がよさそうで、帰りにタクシーの運転手さんとよく話した。
9月23日(木)
秋分の日。晴れていたら車椅子で散歩しようと思ったが、雨だったので、お父さんは一人で団地の廊下を散歩した。涼しくなってきた。過ごしやすくなったと思う。
9月24日(金)
O先生からK病院の紹介状をいただいた。体調は良くない。
9月25日(土)
朝僕一人でK病院に行ってきた。すぐには在宅ホスピスを始められないが、化学療法ができなくなったら、在宅ホスピスに切り替えられるようにお願いしてきた。2時ごろケアマネさんが来てくれて、その辺の話もした。そのあと車椅子でちょっと散歩した。お父さんは仕切りに「悪いねぇ」といったが、お父さん、全然悪くないよ。家族なんだから。
9月26日(日)
昼ごろすごく調子が悪そうだったので、散歩はやめようかと思ったが、いきたそうだったので、ちょっと外に出たら、少し良くなったかも。前の勤め先のスーパーにかつての同僚のNさんがいらしたので、少し話して調子がもどったみたい。
9月27日(月)
昨日よりは少し良さそう。夕方雨あがりに、お父さんは一人で自転車にのって、銀行の住所変更をしてきた。無理したんじゃないかなともおもったが、やはりちょっと夜は疲れたようだった。
9月28日(火)
終末が抗がん剤の副作用がでるような気がする。火曜あたりがその分調子がよいような気もする。雨だったので、一人で団地の廊下を散歩した。
9月29日(水)
3クールの2回目。僕は午後休をもらって昼ごろ病院についたが、2時ごろに点滴も診察も終わった。だいぶ早く終わったので、電車で帰ってきた。今日はとても調子がいい。
9月30日(水)
職場の介護休暇について、予定の書類を提出した。まだどうなるかわからないけれども、年次休暇をすべてとってから、何か月か介護休暇をもらえるようだ。使い切ったら、その時は退職してお父さんのそばにいようと思う。その辺の話はデリケートなので、お父さんには詳しく話しはしてないけれども、介護の休暇をもらえるから心配しなくていいからね、とは伝えておいた。
9月23日(木)
秋分の日。晴れていたら車椅子で散歩しようと思ったが、雨だったので、お父さんは一人で団地の廊下を散歩した。涼しくなってきた。過ごしやすくなったと思う。
9月24日(金)
O先生からK病院の紹介状をいただいた。体調は良くない。
9月25日(土)
朝僕一人でK病院に行ってきた。すぐには在宅ホスピスを始められないが、化学療法ができなくなったら、在宅ホスピスに切り替えられるようにお願いしてきた。2時ごろケアマネさんが来てくれて、その辺の話もした。そのあと車椅子でちょっと散歩した。お父さんは仕切りに「悪いねぇ」といったが、お父さん、全然悪くないよ。家族なんだから。
9月26日(日)
昼ごろすごく調子が悪そうだったので、散歩はやめようかと思ったが、いきたそうだったので、ちょっと外に出たら、少し良くなったかも。前の勤め先のスーパーにかつての同僚のNさんがいらしたので、少し話して調子がもどったみたい。
9月27日(月)
昨日よりは少し良さそう。夕方雨あがりに、お父さんは一人で自転車にのって、銀行の住所変更をしてきた。無理したんじゃないかなともおもったが、やはりちょっと夜は疲れたようだった。
9月28日(火)
終末が抗がん剤の副作用がでるような気がする。火曜あたりがその分調子がよいような気もする。雨だったので、一人で団地の廊下を散歩した。
9月29日(水)
3クールの2回目。僕は午後休をもらって昼ごろ病院についたが、2時ごろに点滴も診察も終わった。だいぶ早く終わったので、電車で帰ってきた。今日はとても調子がいい。
9月30日(水)
職場の介護休暇について、予定の書類を提出した。まだどうなるかわからないけれども、年次休暇をすべてとってから、何か月か介護休暇をもらえるようだ。使い切ったら、その時は退職してお父さんのそばにいようと思う。その辺の話はデリケートなので、お父さんには詳しく話しはしてないけれども、「介護の休暇をもらえるから心配しなくていいからね」とは伝えておいた。
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