思い切ったことをしてみたくない?

「明日明後日あたりに死ぬ気なら、思い切ったことをしてみたくない?」

思い切ったこととは何だろう。性質的に、私は金銭を使わない遊びをするだろう。

裏山の獣道で寝っ転がってみる?鬱蒼と生茂る雑草に埋もれている自分を描く。すると耳元にあの、プー・・・ンと強弱のついた羽音。蟻が這い回る、爪楊枝で軽く突き回られるような感覚。だめだ、裏山はだめ。

では樹海ではどうか。入り口すら見る機会のなかった、かの有名な青木ヶ原。「入るな帰れ」の看板を視界の端にとらえながら、奥に入る。先客だったであろう人々の時計、鞄、最期のゴミ。枝に下がった不自然な紐。狂うコンパス、帰る道はない。だめだ、先に恐怖で死ぬ。

山は却下、海ではどうか。ゴロゴロと並ぶ石、流木、岸ぎりぎりでようやく見える砂。消波用のテトラポット。波打ち際で遊んでいた子が、合成波に連れ去られて死んだんだっけ。急深で、下に引き込まれる離岸流を知っている地元民は、近づかない。海で思い切った思い出は作れそうもないな、地元新聞の、小さい記事にはなりたくない。

そうだ、パンダの着ぐるみを着たい。バイトの終わり、子供が1人だけ残ったら、パカッと首を持ち上げ、にかっと笑う。その子はどんな顔をするだろう。これは結構良いのではないか、最後に残った子は災難だけど。ウサギでも可だけど、耳が邪魔。パンダが良い。

結局どれもこれも、今日の分の脳細胞と消えるんだろう。凡人は凡人の檻を壊せない、天才の庭を覗くことすら許されない。一度でいいから、天才に妄想をプレゼントされたい。

おやすみ自分、また明日。

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