病名に意識が向かうとき「〇〇が辛い」
心理的問題とラベリングの影響
近年、SNSやメッセージアプリを通じて、多くの人が自分のメンタルヘルスについて語る場面が増えてきました。
とくに、うつ病や不安障害といった精神的な病気についての情報が広がる中で、共感を得ることや情報を共有することが、同じ悩みを持つ人々にとって支えになっています。
しかし、その過程で新たな問題も見えてきます。ある自助サークルで見られた、病名に意識が強く向かう現象について考えてみたいと思います。
仕事が辛いから「うつ病が辛い」へ
ある自助サークルに参加していた一人の方は、当初「仕事の人間関係が辛い」「休みがなくて疲れた」と訴えていました。
しかし、医師から「うつ病」という診断を受けた後、今度は「うつ病が辛い」と語るようになりました。
診断を受ける前は、具体的なストレスの原因(仕事や休息不足)について語っていたのに対し、診断を受けた後は、病名そのものが彼らの苦しみの対象となったようです。
このようなケースでは、診断を受けたことで自分の問題を「うつ病」というラベルに結びつけ、その病名が自分のアイデンティティの一部になる現象が見られます。
結果的に、仕事のストレスから離れたかのように見える一方で、今度は「うつ病」としての自分をどのように受け入れるかが新たな悩みの中心となってしまいます。
「不安を感じやすい」から「不安障害が辛い」へ
別の例では、「不安を感じやすい」と日常の不安に悩んでいた方が、医師の診断を受けた後、「不安障害が辛い」と話すようになりました。
もともと漠然と感じていた不安が、「不安障害」という病名によって明確化されたことで、今度はその病名に対する意識が強まり、より自分を制限するようになってしまうケースです。
このような現象は、診断を受けることで一時的に安心感を得る一方で、そのラベルが新たな不安要素となることもあります。
「自分は不安障害の人間だ」という認識が、症状から抜け出すことを難しくさせてしまうのです。
カウンセリングの難しさと病名ラベリングの影響
こういったケースに対して、カウンセリングや心理療法では、その人が抱える根本的なストレスや感情に目を向ける必要がありそうです。病名を受け入れることで一時的に楽になる場合もありますが、その病名が「自分のすべて」となり、問題の根本に向き合う意欲を奪うことになりかねない。
特に自助サークルでは、同じ病名や症状を持つ人同士が共感し合うことで安心感を得られますが、その共感が「病気を共有することが自分たちの絆」となるリスクもあります。
結果として、病気からの回復よりも「病気であること」に固執してしまうこともあるため、コミュニティのあり方、共感の仕方は大変難しいのだなと感じます。
病名に縛られない
病名は、症状を理解し治療方針を立てるうえで重要な指標です。しかし、そこに縛られることなく、苦しみの本当の原因や自分自身の感じ方と向き合うことが大切。
診断を受けることで得られる安心感を大切にしつつも、その病名にとらわれることなく前向きに回復を目指したいところ。
「病名に囚われない生き方」、これを心に留めておきたい。