人を属性で決めつけることによる潜在的なリスクとは..
僕の好みの話で恐縮だが、自身でコントロールできない属性を元に行われる決め付けをする人は嫌いだ。
よくあるのは、
「〇〇なんだから...」
という表現。
男女平等がクローズアップされる世の中だ。
「女なんだからお茶を淹れろ」などという、石器時代の伝説のようなものは廃れてきている(と信じたい)。
僕はこういう話を聞くといつも混乱する。
なぜ「女」=「茶を淹れる」のロジックが成立するのか、全く理解できないからだ。
お茶を淹れるのに必要な要件は、せいぜい一般的な教養と、運動能力に支障がないことくらいだろうか。何お女性に限定する必要はない。
弊社は他社よりも男女平等の取り組みが進んでいると自負しているが、それでも気にかかることはある。
男性から女性へ発信は、それなりに気を遣って行われることが多い。
しかし年長者の女性から男性、それも若い方に言葉を発するときは少し気掛かりだ。
「若いんだから..」
「男の子なんだから..」
こんな言葉が枕詞に使われやすい。
言っている当人にもちろん悪気はない。
それどころか愛情さえ込めて言っている。
そうであっても僕には少し引っかかる部分がある。
「若さ」「男性」どちらも自分で決められる部分ではないし、頑張ったところで変えられるものでもない。
この"変えられない属性"で括った瞬間に発信者の目は曇る。
「この属性の人間はこうであらねばならぬ」
無意識に固定観念に則った評価を始めるので、先入観が入ってくる。
いわゆる"バイアス"に縛られた他者評価。
先の例で言えば「女」=「茶を淹れる」という理解不能な固定観念を持っている人もいる世の中だ。自分の歪んだ理解を人に押し付けて、型に嵌めようとしてしまうのは危険な所作だと言わざるを得ない。
「AはBである(はずだ)」
この考え方自体を否定する気はない。
社会的な背景、自身の経験、そういったものによって培われた認識は、時には効率的な判断基準になったり、リスクを回避できたりする。
人間が成長する上で欠かせない能力のひとつとも言える。
だが対人関係で使われる
「AはBである(はずだ)」
という考え方にはネガティブな面がある。
自分の固定観念への信仰が強すぎると、人の個性を公平な目で見出すことは難しくなる。
バイアスにより無意識に人に期待をぶつけ、勝手に失望したりしないように、冷静な目を失わないようにしておきたいものだ
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