
元カノの親友に精子提供した話
元カノの親友に精子提供した話
あなたが勇気を出して
初めて電話をくれた
あの夜の私と何が違うんだろう
どれだけ離れていても
どんなに会えなくても
気持ちが変わらないから ここにいるのに
車内のBGMは五月雨に晒されテンポを乱していた。
多湿の時期とはうらはらに
俺は底冷えした手先を軽く握る。
いくらスピードを上げても付き纏う曇天の眼差しからは逃れらずにいる。
この状況は俺たちの温度感をそのまま表すものか。
隣に座る女が小さく息を吸い込み
俺に語り掛けた。
「私この曲好きなんだ。」
「最近初めて聴いたの。」
「他のはあんまりって感じだったけど、この曲はすごく好きになった。」
へえ
俺は少し遅れて返事を返す
「女々しい曲ばっかり歌ってるよね、この人たち。」
今日初めて発した言葉
喉のチューニングは間に合わず
声は弱々しく掠れ、
「俺もこの歌好きだな。あと花束とクリスマスソングも好き。」
フロントガラスの向こうを流れる景色に委ねるように、
中身のない二人の会話は置き去りに後方へ追いやられた。
これが最期の逢瀬
できるもできないも俺の管轄ではない
ただ願わくばハッピーエンドで終わらせて
何年経っても
この曲がお気に入りだと言えるように。
「ハッピーエンド」
彼女とはいくつもの景色を撮りに行った。
小さなカメラをぶら下げて
陽に晒されては舞い上がり
肩まで伸びた黒髪が
風を透かしきらりと流れる
空を見上げれば雲を写し
地に目を伏せば花を視る
でも彼女は柔らかく細めた瞳の奥に
いつも鈍色の憂いを携えていて
俺へ向けられた愛や優しさすらも
精巧なイミテーションなのではと
そう感じてしまうのはどうしてか
こんなにも綺麗なのに
こんなにも愛おしいのに
作り作られた矯飾が
底抜けの笑顔にぴったり寄り添う姿が見えていた。
俺たちはいつも車の中で子作りをした
彼女の排卵日が近づくと連絡がきて会いに来て
夜中近所の人気ない道端に車を停めて
シートを手前に押しやり後部座席に移動する
タオルをカーテンのように引っ掛けて外からはなるべく見えないように
いつも彼女はすぐさまズボンを剥ぎ取り俺を咥える
外界から遮断された車内の静寂が
濫りがましい息遣いと水音を後押しする
狭い車内では身動きが限られるが
背徳感と罪悪感とが一脈の良識をかき消し
到達まではさほど時間を必要としなかった
互いがじっとりと肌を潤ませ
曇りガラスに囲まれ事後の余韻を貪る
妖しく湿った体臭と渇ききった口臭とが入り混じり
乱れた性が感覚を刺激した
一滴も零さないよう俺の尻をぐいと押さえつけ
彼女の最奥がごくりと音を立て白濁を飲み込む
そんな
まるで作り話のような何ヶ月かが流れた
彼女は俺の子供を
正確には俺の精子を欲しがっていた。
夫婦でもなければ恋人でもない
俺たちのこの関係を
いったいなんと形容すればいいんだろう
長らくの友人と、
どうしてこうなってしまったんだろう
別れた恋人の親友と、
俺は子作りをした。
百夜のオーロラハニー
「アラスカにオーロラ見に行ってきた。」
脈絡がなく
彼女はこういう人だった
連絡が途絶え
関係も終わったかと思っていた数十日間
彼女は一人アラスカへ
オーロラを見に行っていたらしい。
現地で撮った風景やホスト家族との写真
幸運にも出現のタイミングに立ち会えたオーロラの
美しい写真を見せてもらった。
「お土産だよ。」
そう言って彼女は更になにやら瓶を取り出す。
そこには純白の蜜が詰められていた。
「オーロラハニーっていうの。」
「ありがとう。
綺麗だねすごく。」
オーロラハニーについては後々知った。
アラスカの夏はとても短くて
その終わりのたったの数日間だけ
たったひとつの種類の花からだけ採蜜できる
雪のように真っ白な蜂蜜
それをオーロラハニーというらしい。
この輝きは彼女そのもので
だから胸がぎゅっと苦しくなったんだ。
「たったの数週間だったけど」
「お母さんにしてくれてありがとう」
純一無雑な彼女の色は白妙
真っ白に光り輝いて
何れ見えなくなった。
彼女を取り巻く鈍色の正体は
くぐもった俺の瞳のフィルタ
彼女は最後まで、
俺を真っ白に愛してくれていた。
人の生涯とはいったいなんなのだろうか
俺は考えた
会者定離
そうさなあ
2000年も前に説かれたこの世の定理だ
それが答えだ
さよならだけが人生か
そうさなあ
花発けば、風雨多し
人生別離足る
それが答えだ
何がなんだって言ったって
人生は楽しくて悲しいよ
答えなぞおいそれと出るもんか
低空に輪郭をぼやかし広がるは凍雲
蜜吸いの小さな蜂は健気に踊り
極光の瞬き実態は在らず
かくも翠緑のうねりを焼き付ける