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単調な運動の意味はあるのか?

おはようございます。こんにちは。こんばんは。鹿嶋です。

『単調な運動の意味はあるのか?』というお話。
運動と聞くと、皆さん何をイメージされますか?
一般的には、ランニングや筋トレをイメージされる方が多いのではないでしょうか?
まぁそこは人それぞれですが、運動にはたくさんの種類がありますよね。

どれもエネルギーを使ってカラダの機能を働かせていると考えると、なんでも運動と言えます。
歩く、走る、立つ、座る、持ち上げるなどの基本的な生き物としての動きは当たり前ですが、それらの土台となる呼吸、姿勢維持も運動してることになります。
生きていることにも、エネルギーを使っているということですね。

そんな運動には『単調な運動と複雑な運動』があり、単調と複雑にはインプットとアウトプットの多さが関係しています。

例えば、、、
①座ってバンザイする
②立ってバンザイする
③片脚で立ってバンザイする
④バランスボールの上で立ってバンザイをする

①〜④で、カラダに入ってくる情報とそれを処理して実行する仕事量がどんどん多くなっているのがわかります。
① → ④につれて単調→複雑になっています。

ここを理解すると、何かの目的を持って運動する時に、どんな目的なのか?によって選ぶものが変わってきますよね。
ようは、太ももを上げ下げする機能として股関節1箇所にアプローチをするリハビリのような運動と、歩いている時に太ももが上がるようにする運動は別ということになります。
ここには求める状況別での情報処理に違いがあるわけです。

太ももを上げる機能と
タイミングに合わせてバランスを取りながら、体重移動をしながら前に脚を出すために正しいフォームで太ももを上げるという機能は
明らかに違いますよね?

僕らは普段、たくさんの情報を処理しながら、生活しています。つまり日常的に行う運動として単調なものほど非日常になります。
人による価値観はあれど、こと多種にわたって使えるカラダ(健康なカラダ)を作るためには、たくさんの情報処理を同時進行しながら動いていくことは大切です。

複雑なトレーニングはスポーツ現場だけでなく、一般の方を対象とした日常生活のパフォーマンスにおいても必要不可欠と言えるでしょう。

またダラダラと長くなってしまいましたが、今日はここまでにします。

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