
【戦後80年80作】詩:夜の三等車(谷川徹三)
この群像は何に似ているだろう、
上を向いて
口をあけて
眠りこけている女。
両腕を組んで
閉じたまなこで正面きって
怒ったように口を結んでいる男。
眼鏡を落としそうにしながら
幾度もこっくりやっている洋服の紳士。
さもいとしそうに
自分の膝をだいている学生。
ふたりで大阪の親類へゆくという
十一と九つの姉と弟とは、
汽車が出るとすぐ
小さくからだを曲げて寝入っている。
向こうで赤ん坊が泣いている。
しきりにしゃべっていた
顔の見えない老人も
もうだいぶ前から黙ってしまった。
みな眠っているのだろうか。
眠っているとも
目覚めているともない
何か落ちつけぬけはい――
通路一杯に
横になっている
闇商売らしい若者若者若者。
足の踏み場もないその通路を
えんりょえしゃくもなく
便所へ行く人がまたしても通る。
靴でそこいらをふんづける、
クッションの上も
靴ばきだ。
どこかをふんづけられて
眠そうにおき上がる男と女。
赤ん坊はいつまでも泣きやまぬ。
もう二時間は泣きつづけている。
どこかわるいのであろうか。
となりでスッとマッチをすって
たばこに火をつけた。
暗い電燈の下でも
たばこのけむりの
ゆらめくのが見える、
のぼったり渦巻いたり
たゆたったり
美しい曲線をえがいたり――
ふと見ると
向こうから
兵隊靴を片手にもって、
できるだけ寝ている人を起こさぬように、
一歩一歩あき場所をさがしながら、
宙乗りするように
あぶなっかしい足どりで
やってくる若者がある。
便所へ行くたくさんの人のなかで
ああ彼だけがちがっている。
――帰りにも
彼はおなじように、
寝ているみんなに気をつかって、
危なっかしい宙乗りの格好で、
ひじつきでもどこでも
一本の足指の立つあきまをもとめて
渡ってくる。
私の前へ来て
またあきまをもとめて立ちどまった。
彼の眼と私の眼とが会った。
どちらからともなく
にっこりと笑った。
私はとっさに立ち上がって
手をかした――
少しひょろつきながら
彼は黙って私の手をとった――
ごつごつした硬い手。
彼はまた宙乗りの格好で
ふらふらとその座席にもどって行った。
(『婦人公論』1946年8.9月合併号)
以前の論評でも取り上げた谷川徹三(1895-1989)は谷川俊太郎の父親にあたる方です。
谷川俊太郎の詩は、詩に縁遠い人間でもタイトルを聞いたことのあるような有名な作品が多くありますが、お父さんの方の詩作品はあまり見かけることがないので取り上げてみました。
いかがでしたでしょうか?