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知らなくてもいいかもしれない曖昧なはなし3


世界と宇宙は誰かが実験室で作ったものかもしれません

 物質のすべては光である、あるいは、すべては量子でできている。どちらも正しいような気がします。

 個人的には、ゲームの中に作られたような仮想現実である、という話がおもしろいと感じますが、もしかしたら「フェッセンデンの宇宙」を読み直したからかもしれません。ただし「フェッセンデンの宇宙」は仮想現実のお話ではありません。

それでは、かりにこの世界が物でできているとしたら、それはどのようなものなのか。
 原子なのだろうか。しかし、原子がもっと小さな粒子で構成されていることはすでにわかっている。
 だったら素粒子なのか。だが素粒子は、束の間の場の揺らぎでしかないことがすでにわかっている。
 それでは量子場なのか。
 しかし量子場は、相互作用や出来事について語るための言語規範にすぎないことがすでに明らかになっている。物理世界が物、つまり実体で構成されているとは思えない。それではうまくいかないのだ。

時間は存在しない カルロ・ロヴェッリ 冨永 星訳

あなたとわたし、わたしとあなた

 私たちが外国語、特に英語を学習するときに日記をつけるように、と言われると思います。そこで毎日の出来事を書こうとすると、ひたすら文頭にI(私は、私が)と書く必要があることに気づき、主語の使用頻度の多さにちょっと違和感を感じないでしょうか。
 日本語の主語は西欧言語と比べるとかなり変わっています。
私、俺、自分など、英語に訳すとIになる言葉がたくさんあり、さらに奇妙なのことに、「自分」はIを意味することと、youを意味することもあるのです。このIとyouの両義性というか、柔軟性というか、主客が逆転する様はとても日本語(人)的ではないでしょうか。
 つまり、私はあなたであり、あなたは私なのです。

過去と現在の区別

 沈黙のなかでわたしたちが耳を澄ます時の流れとは、いったい何なのか。
アリストテレスは『自然学』という著書で、「暗闇では、わたしたちの身体は何も経験しない」と述べている。

時間は存在しない カルロ・ロヴェッリ 冨永 星訳

 私たちは、何も物音のしない暗闇のなかでもなんとなく時の経過を感じています。それは自身の中で起きている動きや変化を感じているのでしょう。私たちが何も経験しない状態はおそらくないのではないかと思います。なぜなら五感とそして五感以外の古い感覚器官は絶えずなにかを感じており、意識がなくても働きを止めることはないからです。
 感覚器官がとらえるのは外部と物理的な自身の内部の動きだけではなく、こころの動き、その日の体験の反復と反省(もしもあのときこうだったら、という仮定で様々に分岐して起こりえたはずのシュミレーション)や、過去の想起を無意識に夢のなかで経験する、といったことも含まれていると思います。


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