ひとりであれこれ考えて行き詰ってしまったら、誰かに話しかけてみてください。もしかしたらちょっと不思議なことがおこります。
相談、話しかけてみること
「なにか(わからないことが)あれば、相談してください。」
これは学生でも社会人でもごく当たり前に聞く言葉です。学生の場合、相談する相手は先生が多いと思いますが、頼りになる同級生や先輩がいればよく相談する、といったこともあるでしょう。
社会人、とくに新人の基本は「ほうれんそう」ですので言われるまでもない、と思うかもしれません。
私たちは相談や質問を受けるとき、少しでも役立つ助言やヒントを提供しようとしたり、ときには正鵠(せいこく)を射る意見や指摘をしようとして頑張りますが、誰かに話しかけて相談することの意味は、具体的な解決策が得られることだけではない、と言われると意外に思うかもしれません。
話をしている最中にまとまる
頭を悩ませている問題を誰かに話して、その相手も情報や解決策を持っていないため黙ったままでいるとき、ふと自分のなかで考えがまとまったり、閃いたりして疑念が解消されることはないでしょうか。おそらくこのような経験をしたことがある人がいると思います。
最初はなんだか奇妙に思いながら、問題をかかえる度に良い聞き役をつかまえて話しを聞いてもらう、といったこと繰り返していたのですが、そのうちに話しをすることの効果を確信するようになりました。
話しかけることは「出力」
話しをすること、誰かとコミュニケーションすることによって、私たちの内部でなにかが起こるようです。
それは話す、ということが「出力」であることと関係があるのかもしれません。
養老孟司はこのことについて、「文武両道」と「知行合一」の意味を説明しながら次のように書いています。
私たちは本を読むことと、体を動かすことをまったく関係のない別のものと思い込んでいますが、これはどちらも欠かすことのできないもので、「入力から出力、出力から入力という輪」を繰り返すことが学習であり、それが「文武両道」と「知行合一」の意味ということのようです。
コミュニケーションとはこのように「脳の中で入出力を回す」ことになり、それによって考えがまとまったり、腑に落ちたりするのかもしれません。
話すことの意味が脳の中で「入出力を回す」ことであるとすれば、相談を聞くひとはもしかしたら黙っていてもいいのかもしれません。
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