『ウェルギリウスの死/ヘルマン・ブロッホ』“Der Tod des Vergil/Hermann Broch”(2019年特に印象に残った本④)【1439字】
1)第Ⅰ部 水ー到着
運命の道のかたちづくる円環は無の深淵を囲繞している。我々は皆、神の被造物であり、借り物の名で生きる仮初めの存在である。
人間の行動、性質全て神に授けられたものであり、与えられたものを消化して死ぬだけの存在だ。
生まれ死ぬ人生の円環、その中心にある無の深淵の中に、人は何かを見出すことができるのだろうか────。
2)第Ⅱ部 火ー下降
渦巻きめぐる問いはいつも地上の存在のうちにのみ、その終着点を見いだす。
一切の認識と行為と存在を包括して奇跡と化した偶然、運命の超克。
死。──存在の終末。
死の予感。──深淵の孤独 逃れ得ぬ自己対峙。
別離の中間領域たる詩。
認識の統一たる死。
己の営み、慰めと確信。
地上における認識統一の必然性。
美。──認識の義務。
哄笑。──創造以前の言語
創造と遺棄。
無何有郷を拒み求めたもの。
未だ無名の存在。
寂滅の劫火の渇望。
果ての残滓。──深淵の光。
愛。──感覚の再生。
3)第Ⅲ部 地ー期待
生のうちに死をとらえよ、死が汝の生をかがやかさんがために。
目前に迫る死 果たされなかったもの 使命
現実での奉仕 詩の営み 認識の美の創造
己への無限の悔恨 現実とは愛 誠実さ
深淵に感じるもの これまでの全て
真実の愛を知らぬ己への絶望
故郷の現実 現実の根源性
言語の世界からの脱却
終末と発端の統一
生と死の認識
真実の認識
真実の鎖
不調和
統合
光
4)第Ⅳ部 灝気ー帰郷
はかり知れぬ知覚の不安のうちに眼に見えずかがやきながら、わきあがる中心の泉。
極限の到達点。
圧倒的なカタルシス。
これは人間の……文学の到達点。
人間存在の内奥で渦巻いている混沌に、一つの答えを与えてくれる最終部。圧倒的な想像力の終着点。
5)まとめ
死に瀕したウェルギリウスの、己の言葉の営みへの限りない懐疑と絶望、その極限の苦痛が荘厳美麗な比喩の叢林を成し、言葉の創造と破壊が繰り返されていく。その夥しいほどの言葉の流れは、意味を越えた力を持って読む者を押し流す。その力は圧巻の一言。
過去の作品もしくは自然、真実の模倣としての己の詩、それは何一つ新しいものを生み出すことはなく、もはや取り返しのつかなくなってしまった人生。全てが無駄だったのではないかという、絶望的な苦悩を前にして彼はひたすらに言葉を紡ぐ。その言葉はあまりにも切実で、美しく幻想的な心象世界の数々を生み出し続ける。
だが、「現実の死」という絶対的な真実を前に、あらゆる言葉は次々に打ち砕かれてしまう。それは誰に何を言われても変わることはなく、全ての意味を否定しつつ、それでもなお彼は言葉を連ねる。
言葉を諦めながら言葉に縋るしかなかった彼だったが、無限に続くかに思われた絶望の渦の中に仄かな光を知覚する。
ひとつの円環の中、無意味に思われる発端と終末の苦しみを、言葉によって繰り返し廻ることで漸く感じられた存在、己の根源。言葉では決して語りえぬ存在をさらに追い求めた果て、彼の知覚した窮極のナニカが、まざまざと心に雪崩れ込んでくるのを感じた。
ここに書かれた美しい言葉の数々は、明らかに言葉以上の力を持っていると断言できる。これは私が言葉によって実現できると思っていた地点を悠々と越えた言葉の集大成であり、言葉を用いて到達できるものとして、窮極の完成形であることは間違いない。
まさに偉大なる到達点と言える素晴らしい傑作。皆さん、是非とも読んでみてください────。
〈完〉
────Thank You For Reading────.