大人のガチな学び
写真は高校ボート部のOGで私の代のコーチ、大山直美さんが送ってくれたもの。数年前から始められた趣味である。絵は習ったことがなく、見よう見まねだと聞いたが、送られてくるたびに上手になる。
3月末。私は芸術大学(通信制)の修士課程一年目を終えた。
徹夜とか体力的な無理はせず、ご隠居モードで、楽しみながら、必修科目も含め必要な単位を修得し、4月から無事に修士二年目に進級できることになった。よく読み、よく書き、あっという間の一年だった。実習の小説では、前期に短編を、後期に中編を完成することができ、この達成感がいちばんの成果だった。やろうと思えば、年齢に関係なく、学ぶことができるものなのだなあ、と思う。いや、むしろ、年を重ねたからこそピンとくることが多い。夏目漱石の文学論F+fとか、エピファニーとか、言文一致と落語と速記とか。これまでの独学や雑学も含め、人生、無駄な経験は、何ひとつない、ということだろうか。
この一年で学んだ小説のメソッドがあれば、たぶん小説は誰でも書ける。書くか書かないかだけ。ただし完成度の高さは別だけど。
とにかく、私の場合、書いている時がいちばん楽しい。これも確信した。
これまで通った学校で、私が一番好きだったのは保育園。近所の公民館を使った素朴な園で、自由に遊ばせてくれた。私はひとりで教室にこもり、粘土で人型をつくり、洋服や家具を作り、じぶんの世界に籠るのが好きだった。結局、今も同じことをやっている。
黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』(講談社)を読むと、小学校の窓から、チンドン屋さ~ん、こっちに来て何かやってちょうだい、みたいなことをしていたそうだ。現在の「徹子の部屋」も、世界中のおもしろい人に来てもらって、何か話してもらっている。
だから、子どもに何か無理に教えこむよりも、その子が好きでやっていることを好きなようにやらせてあげることが大事なんじゃないかと、私は思う。
そりゃ黒柳徹子さんみたいに評価されたら素晴らしいけど、結果はどうあれ、その人にとって、幸せな時間、やっていてあっという間に時がすぎること、それがその人の能力に合っていること。
私も基本的には保育園でやっていたことが今も好きなんだなあ。
かれこれエンジンがかかるのが遅くなったが、楽しみながら、学び、読み、書いていこうと思う。
誰でも創作系の作業に没頭しているとあっという間に時間が過ぎる。
朝、起きて、さあ、今日はあれとあれをして、と、取り組むことがあるのも、うれしいことだ。
しかしまあ、ひとつ学ぶと、十も二十も知らないことが増える。学びとはそういうものらしい。
世の中はおもしろいテーマであふれている。歴史も科学も日々研究が進んでいて、驚くことばかりだ。
60代は色々と興味の幅を広げて、そして筋力もつけて、身体の悪いところは直す、本格的なシニア時代へのウォーミング・アップの期間だ。
明るく楽しい70代のために。
また報告します。