敷村良子

しきむら・よしこ。物書き。日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会会員。『がんばっていきまっしょい』(幻冬舎文庫)、『明日は明日のカキクケコ』、『坊っちゃん列車かまたき青春記』、エッセイ『ふだん冒険記』『女は野となれ山となれ』、児童文学、絵本、本・演劇・映画紹介など。

敷村良子

しきむら・よしこ。物書き。日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会会員。『がんばっていきまっしょい』(幻冬舎文庫)、『明日は明日のカキクケコ』、『坊っちゃん列車かまたき青春記』、エッセイ『ふだん冒険記』『女は野となれ山となれ』、児童文学、絵本、本・演劇・映画紹介など。

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    ふるさとを離れ気分はやどかり。更新頻度は未定です。

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愛されて26年ー映画「がんばっていきまっしょい」

 実写版映画「がんばっていきまっしょい」が公開されたのが1998年10月10日でした。明日で丸26年になります。その時、私はいい映画にしてもらったと感謝しましたが、まさか四半世紀以上もの長きに渡って上映されるとは思いもよりませんでした。しかも、公開時から今までずーっと見守って下さるファンがおられ、まったく原作者冥利に尽きます。  というのも、公開時からの映画ファンの皆様が、いつの間にかファンどうしで交流されるようになり、「がんば会」を結成されました。上映会があれば、全国各地

    • 原作者の喜びと痛み

       結局、敷村良子名で書いた小説で残っているのは『がんばっていきまっしょい』だけだ。これが、映画、連ドラ、劇場アニメと、かなり間を開けて、3回も映像化され、しかも昭和、平成、令和と時代設定が変わるのも、珍しいかもしれない。  ①女子高校生が主人公、②部活もの、③青春物語で、主人公がいたって普通で、能力的に並み以下なんだけど、ひたむきにがんばる点に、制作者の方々が何かを感じて下さるのだと思う。  オファーは突然来る。どうやって売り込んだんですか、と聞く人もいるが、何もしてない。出

      • まさかのアニメ化

         私の書いた小説「がんばっていきまっしょい」。  松山市主催第4回坊っちゃん文学賞に、ぎりぎりになって応募した。  それが大賞をいただき、間髪入れずアルタミラ・ピクチャーズで劇場映画化され、関西テレビで連続ドラマ化され、今回は松竹で劇場アニメーション映画になる。10月25日公開予定で、制作が大詰めを迎えている。  映画は原作と同時代の昭和、連ドラが平成、アニメは令和。  こんな原作者も珍しい・・ですよね? 運がいいなあ、私は。  しかもなぜかプロデューサーさんやスタッフ、キャ

        • 大人のガチな学び

           写真は高校ボート部のOGで私の代のコーチ、大山直美さんが送ってくれたもの。数年前から始められた趣味である。絵は習ったことがなく、見よう見まねだと聞いたが、送られてくるたびに上手になる。  3月末。私は芸術大学(通信制)の修士課程一年目を終えた。  徹夜とか体力的な無理はせず、ご隠居モードで、楽しみながら、必修科目も含め必要な単位を修得し、4月から無事に修士二年目に進級できることになった。よく読み、よく書き、あっという間の一年だった。実習の小説では、前期に短編を、後期に中編を

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        記事

          弔い上げ

           日本が勇ましかった時代、人々は色々な形で心に深い傷を負って生きていた。向田邦子の『父の詫び状』を読むと私は感情を揺さぶられる。じぶんの父が浮かんでくるのだ。父は五十四才で死んだから、私とは二十三年のつきあいだった。  私は父のことが大嫌いだった。 母の兄嫁にあたる伯母は、父が「あんたを着物のふところに入れて抱いて帰っとったよ」という。そんな優しさ、私はまったく覚えてない。  今では犬や猫にだってダメだが、叩いてしつけるスパルタ教育が、1960年には行われていた。だから、食事

          弔い上げ

          ひさびさの一年生

           毎日きげんよく過ごす。そのために何をしようか。したいこと書き出したら、色々あるが、やはり私は小説を書くことを入れてしまう。では、小説を楽しく書くためにどうするか。  年明けから、そんなことをぼんやり考えていた時、通信制の大学院で文芸コースが開設されると知った。欧米でいうクリエイティブ・ライティングの学部は日本ではまだまだ少ない。しかも完全オンライン。  たまたま軍資金が手に入ったので、受験することにした。軍資金の出どころはまだ言えない。(まっとうなお金です)受かる自信はなか

          ひさびさの一年生

          春はよろこび、ちょっと憂鬱

           春はうれしい。雪の多い土地であればいっそう。カタクリも菜の花も梅も桜もチューリップも一気に咲く。ストラビンスキーの「春の祭典」のように命がいっせいに動きだす。  今年、2023年は、WBC、ワールド・ベースボール・クラシックと重なって、新型ウイルス禍で眠っていた人々のエネルギーが噴き出したような気がする。  私も、久しぶりにプロ野球を見た。飽きっぽい私は、数か月ずっとひとつのチームの勝敗で一喜一憂することができない。見ても日本シリーズだか、最後に真剣に見たのはだいぶ前になる

          春はよろこび、ちょっと憂鬱

          新年に考えたこと

           一年の目標について、昨年の師走から、ぼんやり考えているうちに、明けて2023年。小正月、春節、節分、立春も過ぎた。  大上段に目標と考えるとストレスになる。ラジオ体操でも何でもいい、毎日できそうなことでいいのだけど、ついつい、考えすぎてしまう。還暦を過ぎ、人生の後半戦のスタートを切って一年以上たつ。本格的な老後をどう生きるか、なんて調子で。  でもまあ、大きな目標はすぐに決まった。毎日をきげんよく過ごす。これに尽きる。ということで、行動に落としこんでみる。  そのためには、

          新年に考えたこと

          雪マークの新潟

           新潟は冬本番。  今年は晩秋になってから割と過ごしやすく、紅葉もきれいだった。そのせいか、師走の声を聞いたとたん、急に冬ざれた印象だった。  例年、勤労感謝の日あたりをさかいに、日本海に面した新潟の雲は灰色がだんだん濃くなってくる。  天気がめまぐるしく変わる。これは通年だけど、この時期は特に変化が激しい。晴れ、曇り、雨、雷、雪、すべての天気マークが必要になる。おかしなもので、小学校で天気の記号を習った時、もっと雪マークがいっぱい使えたらいいのにと、思っていたら、いつの間に

          雪マークの新潟

          憧れの「土喰う生活」

           昨日、映画「土を喰らう十二カ月」を見てきた。それ以来、なんか私は焦っている。小説家の水上勉さんの晩年のエッセイ『土を喰う日々』を元にした物語で、二十四節季に合わせ、若くない小説家の日々が淡々と描かれていた。  水上勉さんの短編集『寺泊』などは私も読んだことがあるが、それほどの強い思い入れもなく、ただ予告編を見て気になったので、何の下準備もせずぼんやりと見ていたのだが、途中から、座禅の警策(きょうさく)で、背中の後ろからバーンと叩かれたような気がした。そして、じりじりじりと焦

          憧れの「土喰う生活」

          ちょこっと自己紹介

           読んでくださって、ありがとうございます。  私は敷村良子、しきむら・よしこと申します。  〝「がんばっていきまっしょい」の原作者〟というのが、かろうじて、みなさんにひっかかってもらえる点かと思います。  私は1961年、昭和36年の夏生まれ。  失敗の多い人生を送ってきました。  上手下手は別にして、読んだり書いたりすることにすがって生きてきました。  還暦を過ぎて、なんとなく、ゴールが見えてきました。すごく遠くに思える時もあるし、すごくはっきり、意識することも

          ちょこっと自己紹介

          前門の虎、後門の狼

           今年、2022年8月4日のこと。ちょっと怖い体験をした。いや、ちょっとどころじゃない。  その前日は長岡花火で、新潟市内を出る時は激しい雨。長岡市内に着いてからも雨だったが、なんとか持ち、花火は予定通り最後まであがった。  4日の朝はゆっくり起き、花火見物に来た妹と姪も起きてきて、顔を洗ったりしていた。  ふと、私は、ふだんはそうやりとりのない東京の知人の「新潟は雨ひどいみたいだけど、そちらはだいじょうぶですか?」というメッセージに気がついた。確かに雨は降っている。その時、

          前門の虎、後門の狼

          ありがとう、曽田文子さん

           曽田文子著『さいごのスケッチBook』(自費出版、非売品)ができあがり、文子さんから指定された方々への配送が終わった。国会図書館への納本、新潟と愛媛の公立図書館への寄贈も受けていただけ、大きな宿題を終えた気分だ。  自費出版だからこそ、できる本がある。価値のある一冊だと私は思う。  できあがってみると厚みが一センチほどの薄い本だが、曽田文子さんの人生がぎゅっと詰まっている。生前の文子さんを知る方にとっては、文子さんを偲ぶ大切な一冊になったと思う。  63ページ、30あまりの

          ありがとう、曽田文子さん

          文子さんと私

          いつかくる別れの日を覚悟していた。突然ではなかった。じゅうぶんに別れを惜しむことができたのに、永遠の別れは、辛い。 亡くなってから、いっそう親しくなる人もいる。私にとって、曽田文子さんがそうだった。 文子さんと私は、出会ってからも、たまにお会いする仲だったけど、会えば何も説明しなくても心が通じた。同じ愛媛県松山市で生まれ、理由は違うが、同じ日本とはいえ、気候も人の気風も違う土地で暮らす私たちには、共感するものがあった。でも、こんな特別なつきあいになるとは思いもよらなかった

          文子さんと私

          メッセージ

          このあいだの―、正確には6月5日の、尾崎亜美のコンサートは忘れられないものになった。 長年のファンでもない私が、わざわざ他の市まで高速を車で走って出かけたのか。今も不思議に思う。 私より四才年上の尾崎亜美。数日前から体調がどうにも悪く、声も出にくいようで、不調を押してのステージだった。 ゆっくり、じぶんのことばで、体調が悪いこと、そして、長らくお母さんの介護をしてきて、数年前、調べたら2019年らしいが、そのお母さんを見送ったあと、何も創作できなくなった時期があったこと

          メッセージ

          ないものを見る

          ゆっくりと、確実に、私の住む町にも公演が戻ってきつつある。 日本の伝統芸能は、舞台にないものを見る。 しみじみと思うのはこのことである。 先回、宝生流の上演を拝見した時、能楽師の川瀬隆士さんが上演前の解説に立たれた。 「みなさんは夕日を見たことがありますか」「満開の桜を見たことがありますか」などと、観客に問いかけた。 そう聞かれて、パッと頭の中に光景が浮かばない人はいない。 それが、仕舞「春日龍神」、「網之段」の背景なのだった。 能舞台には限られた道具しか置かれ

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