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風の時代のアラフィフ書き物つれづれ 【散文】

解せないことだらけの、混濁とした世の中。
漠然とした不安を理由として死にたくなった作家大先生の気持ちがよくわかる。
もちろん、大先生がその言葉に込めたであろう真意とわたしの不安は、まったくの別物ではあるけれど。

見えているものをそのまま信じる性分は、損かもしれない。
明るい未来を信じる力こそ、実は幸せの元かもしれない。
モノの本にもよく書かれている、
願望実現には底抜けに信じる力こそ最たる要素である、と。




僕たちアラフィフ、と括ってしまっていいものか微妙だが、あえて括らせていただこう。

ところで、僕らはどうしてこんなにも苦境な世代として生まれたのだろうか。

若い頃は我慢を強いられ、
色々な意味で上の者には逆らえず、
色々な意味で価値観を固定化され。 


そうやって健気に生きてきて、今、立っている未来というのは、
下の者をとにかく許容し、
時には気を使い、
色々な意味で価値観が奔放すぎて、
そして、それらを受け入れろと時代から強要されて。

しかも、僕らの大半はバブルを机上でしか知らない。
そして、就職氷河期や不毛な30年を通行させられた。
そのうえ、僕らの老後とやらは、100年近く元気でいろいつまでも働けと休むことが許されないらしい。


イイ事なんか無い世代じゃないか、と言いたくなる。
もちろん、個々における幸せはたくさんあるよ?あるよね。

あるけど。

アラフィフという年齢そのものが、ということじゃなくて。
なぜ、この時代のアラフィフになってしまったのだろうか、と。


今のアラフィフ全員が囚われたような人生だとは言わない。
『アラフィフの今が最高』って、SNSでそう叫ぶ方も多いのも知っている。
その人の人生で今が最も「自由」及び「生きるのに困らない経済力」を手にしていると、そう叫びたくなるのだろう。

そうではない人も、もちろんたくさんいる。

時代のせいか、星のエネルギーか、ミッドライフクライシスもあるのか。

わたしの周囲も、それまでとは違った発言をする人が増え始めた。

絶対に一生仕事するって言ってた人が、仕事なんてもう辞めてもいいって気がついた、と笑顔を見せたり。

あたたかい家族に囲まれた自営業の人が、自分はこのままこうして死んでいくの?と疑問を持ち始めたり。


と、散々書いたけど、なぜなぜ言っても仕方がない。
過ぎたことは忘れて置き去りにするのが、風の時代の生き方のひとつだ。

最近ハマったAdoの『エルフ』の歌詞で、イイエこと言ってる。
『忘れたことも忘れてしまえ』と。

わたしはだいたい、受け取った言葉は自分の都合のいいように消化している。



時代の過渡期にいるそんなアラフィフの自分は、いったい何を書きたいのかと最近よく考える。

発信に矜持を持てとよく言われるからだ。

いや、みんながみんな、矜持とかそんなこと気にしなくてもいいのよ。

今の暮らしがそれなりに楽しくて満足。
目の前のこと、例えば続けてる趣味でも、食べ物のことでも、町のことでも、家族のことでも。
大きくてもささやかでも、愛を注げるものに囲まれた日々なら、それを発信してもしなくても満たされる。
発信して満たされてるなら、たいていの場合、それはたくさんの数字(スキともいう。)をもらっているからでしょう。

SNSなんかより、自分が身を置いているリアルな世界が一番心を潤すはず……と書きたいところだけど、メタバースが一番自分を出せるって人もいるし、わたしだって日常よりnote界の方がよっぽど思っていることを言えている。

今の時代、『本当の自分の居場所』は、自分で選べるのだそう。
それが、時として、二次元だったり、0と1の世界だったり、そんなこともある。

とはいえ、それでもやっぱり、生身の身体が生きる世界がしあわせであるべきだと信じてやまない。


話が逸れたけど、

自分の場合は、
何かを変えるためには動かなければならないし、
何かを書かなきゃいけないとひしひしと感じる。

それは、生身の身体が送っている日々のつれづればかりじゃなくて。


『書いたことが誰かに届けばいいな』

誰でもそう願うだろう、それはわたしも同じ。

それで、届いたとして、
それでどうしたいのか。

誰かをほっこりさせるものばかり提供するのは、自分にはしっくり来ないと実感してるし。

誰かが書かない、書けないことを書く方が、自分にはできることだろうとうっすらわかるし。

届いて、それで世の中や世界を変えたいなんて大それたことまでは考えていないし。


正しいことは正しい、
間違ってることは間違ってる。
そう発信するのも大切なんだけど、めちゃくちゃな価値観の中で頑張って何かを正そうと訴えるのは、
うーん、まあ、そうしたいという強い矜持のある人じゃないとこなせない仕事だし。

とにかく、
今の世界って、
今の人間て、
やばくないか?
ということばかり思い浮かぶ。

終わりの始まりってやつだ。
まあ、もうとっくに始まってたんだろうけど。


地球の歴史を考えてほしい。
絶滅した生物はたくさんいるし、
人間だけが大丈夫なんて根拠はないし。
滅びるにしても遠い遠い未来なんだろうし(隕石でも来ない限り)、
だいたい、そういうことばかり心配してても仕方ないし。

だから今、生きてる以上は、
やっぱり、少しでも穏やかに幸せに生きたい。

こんなことが楽しいですよ、
こんなこと考えてますよ、
ってことを聞いて欲しいし、
「それってどうなの?やばくないか?」
ということも言いたいし、
「人間て、本来こうじゃないですか?」
って思うことも言いたい。

それで、わたしの書いたことで、読んでくれた人が何かに気が付いてくれたらいいなって思う。
言ったことをまんま鵜呑みにすることを願ってるわけじゃない。
なんなら、わたしの書いたことを反面教師にしてくれていい。

頼むから、『自分の基準』を持ってほしい。
誰かの言葉にそのまま右往左往するのでなく。
騙されて、無暗にお金を失うのではなく。
そしてまた、誰かを騙すようなことを言ってお金を取るのではなく。

もっと、自分自身で感じることを大切にしてほしい。
もっと、違和感に蓋をせず自分の感覚を信じてほしい。

矛盾するけど、情報を買うこと自体は悪いことじゃない。
けれど、氾濫する情報、出来事の中で、自分にしっくりくるものが何かを自分で把握してほしい。

それができている人、つまり、わたしの言葉が不必要な人だって大勢いるだろう。
でも、かつてのわたしや、まだまだ解放されない部分のわたしも含めて、わたしの言葉で何かに気が付き、何かを変えられる人がいるかもしれない。

そういう願いや祈りをこめて、わたしはわたしの感じることを発信したい。

今までいろいろ書いてみたけど、これから書いてゆきたいことってそういうこと。


長々とした矜持だ。
けど、とりあえず今はこれで悪くないと思う。


ああ、そして、時間切れ。
またね。




写真を油絵風に加工

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紫葉梢《Shiba-Kozue》
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