人間性の回復
地上451mから東京を見下ろした。
何かが解って何かが変わる。勝手にそう信じながら。
結論。このうえなく晴天で、遠くに富士山もはっきり見える。
でも、どこか納得しない僕がいた。
天空に最も近い場所に来たら、できる限り宇宙に近づいたら、何かの感覚が目覚めるんじゃないか。
そう期待したのは、たぶん間違いだった。
見下ろした地上には、小さな部品をびっしりとはめこんだ風景。
そりゃあそうだ、451mも高い所にいるんだから、当然だ。
遠くの海は、正午の一番高い太陽から降り注ぐ日差しを照り返す。
美しい、間違いなく美しいよ。
ただ、美しさがお決まりすぎて、心があまり動かない。
進化した人の力があるからこそ、出会える光景。
施工にかかった長い年月、敬うべき技術と尊い情熱があるのを僕は重々知っている。
心行くまで楽しめば、展望にかかる料金3500円の価値は十分だろうし、観光客で賑わうのも納得しかない。
ここにひとりで来たから?
きっとそんなことでもない。
誰かと一緒でも、「すごい」「綺麗だね」「あそこに見えるのは西新宿のビルだろう」なんてありがちな会話しか僕はしない。
不思議なものだ。夏には、京都タワーからの夜景に感激したのに。
何度か来ていて、初めての景色ではないから?
でも、京都タワーだって何度か登っている。
ディスりたいわけでも斜に構えたいのでもない。
ただただ、どうして僕はこんなにも絶景に対して哀しいくらい傍観者なのだろう。
心が疲れているから?
錆びついて不感症なのか?
確かに、今年は特に、
魂が傷つく環境にいる。
肌と耳に染みわたるのは、人が作り出した超高層展望空間の人いきれと飛び交う会話の雑音。
元気な時なら、人智が産み出した場所での溢れる活気は、プラスのエネルギーになる。
けれど、今の僕が求めるのはこういうことじゃないんだろうなと魂が答える。
*
葦が四方八方に茂る夕暮れの川辺。
橋梁の向こうに、夕暮れが黄金色の雲を描く。
遠くには、さっきまでいた僕がいたスカイツリー。
あそこからここは、全然見えなかったはずだ。
かたたん、かたたん、と電車の音。
車内の電灯が、葦の隙間を縫って遠くにちらちら光る。
突き抜ける空と、伸びすぎた葦や雑草が主役になって、人工物は風景に溶け込む。
こういう景色が見たかったんだよ
そうつぶやきながら自転車のペダルを漕ぐ。
──── 不思議だ。
ここの方が、天空よりも空を、
宇宙を感じる。
自転車を止める。
スカイツリーからの景色はたいして撮らなかったのに、やたらと立て続けにスマホのシャッターを切った。
カメラを持ってないことに舌打ちまでした。
人間性の回復
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
今の僕を癒せる数少ない場所のひとつが、ここなんだろう。
たぶん、手を伸ばして狂おしく求めてるのは、もっともっと水と緑と空で成り立つ原風景。
ここまで御覧くださった皆様、
貴重なお時間ありがとうございました!