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理想の本の部屋と、本を手放すこと。
50年近くの人生にないくらい、色々な物を捨てている。
両親の家から出る時すら、こんなにも自分の物を捨てなかった。
これほど余多の不要な物たちと一緒に暮らしてきたのか……という思いが半分、今のわたしにとって不要になったにすぎず、これまでは必要と感じてたんだから仕方ないとの思いも半分。
断捨離が乗ると、片付いてきた気分の良さをはっきり感じる。
物がなくなり、整理整頓できて空間に余裕ができたクローゼットを眺める快感。
物の出し入れがスムーズでストレスフリーの快感。
壁際に積まれていた荷物がクローゼットに収まり、部屋がわずかでも広く見えるようになった快感。
とにかく、気持ちいいことずくめ。
人は快楽を味わうと、さらに求めて止まない。
もっと捨てるものはないかとさらなる食指が勝手に動く。
なかなか処分しきれない物もある分、手をつけやすい分野がどんどんスリムアップしている。
*
ところで、大昔の若かりし頃の夢は、家族共用の本の部屋を家の中に作ることだった。
ひとつの部屋の壁一面を本棚でびっしり埋めて、そこにみんなの本を並べる。
自分の本、結婚した相手の本、そして子供が生まれたら子供のために選んだ絵本や子供のお気に入りの図鑑など。
どんな本も、それまでの自分を造り上げてきた栄養素みたいなもの。
漫画も雑誌も含めて、手元に残っているあらゆる本をその部屋に並べておきたい。
そんな強い願望があった。
自分の、そして家族ひとりひとりの要素となっているかもしれない本たちは、きっと家族と同じくらいに愛しく思えるはず。
扉のないオープンな棚にある本。
お互いにお互いの本を自由に手に取れる。
夫婦なら、自分の知らない本を読むことで相手が知ってる世界を共有することができる。
それなりに文字が読めるようになった子供は、親が読んだ本のうち興味を持ったものを何となく眺めて、自分の世界を広げてゆく。
親は子に、その本で知ったこと、感じたことを話したりして、やさしいコミュニケーションが生まれる。
フローリングの上に、ごろ寝できるふかふかのラグやい草が薫る置き畳を敷いて、あとは座り心地のいい一人掛けのソファがふたつ、座り心地抜群の二人掛けのソファがひとつ。
その部屋で、思いのままの姿勢で本を読んだり、親が一人掛けソファに座って子供を膝に乗せながら絵本を読んだり。
子供が寝た後は、夫婦で二人掛けソファに体を預けてお酒なんて飲みながら、美しい画集や写真集を静かに眺める。
───── ああ、そんな家族、そんな暮らし、すごく素敵。
想像しながら書いてるだけで、ドキドキしてくる。
*
と、本当にそう書いてるだけの今のわたしは、そんな家族の肖像とは程遠い姿で暮らしながら、手元の本を次々と処分している。
本という形ある物は、言ってしまうと場所を取る。
以前から、物が増えて困った時に処分したのは、結局のところ本だった。
本という形がイイ、この形だからイイ。
……… 確かにそうなんだけど、現実問題として、物理的な空間に制約のある暮らしになってしまった以上、本の処分はやむをえなかった。
どうしてもどうしてもまた読みたければ、お金はかかるけど、近所のレンタルショップで借りるなり電子版を購入すればいい。
主に、コミックの類いから手放し始めた。
子供の頃、漫画は頭が悪くなるという母の偏見かつ堅苦しい方針により、コミックの類いをなかなか買ってもらえなかった。
その反動なのか、エッセイ漫画も含めて、気になるものは自分のお給料で全巻一気に買ってしまう大人になってしまった。
そんなふうに手にした漫画本たち。
それらは、わたしを造り上げたというより、仕事を含む日々のストレス解消のための娯楽だった。
物理的な制約がなければ、本棚にずらっと並べておきたいのが本音なのだ。
残したい。
でも、本当に必要なのか。
残すという行為そのものに、満足しているだけなんじゃないか?
自問自答しながら、あきらめて処分した。
大半がもう傍らに無くても平気なものだった。
気付いたら、本の処分への抵抗が薄れていた。
コミックを捨てることに慣れてしまったら、文字の本に手を出すようになった。
あんなに大好きだった作家さんの本も、1冊残せばいいかという境地に達した。
その1冊も、やがて「結局読み返すことはない」と悟ってしまった日が来たら、きっと処分するのだろう。
物騒だけど、想像だけど、人を殺めてしまった感覚に似ているのかもしれない。
一冊に手をつけてしまったら、あとはもう何冊でも……、という麻痺したような感覚。
後ろ髪ひかれつつも、処分の言い訳の言葉を自分で並べて、手は本を紐でくくっているのだ。
そうして、本に関しては、昔描いた理想とはまったく異なるステージに至ってしまった。
*
捨て続けていたら、図書室のような部屋を家に作りたかった理由が見えてきた。
充実ライフを過ごしたかったのもあるけれど。
読んだ本は、自分の人生の歴史の一部だ。
自分の糧になったもの、娯楽としてひと時のストレス解消に役立ったもの。
何であれ、「この本を読んだ時の自分は何をしていた頃か」とはっきり思い出せる。その頃の自分の隣にいたのが、その本なのだ。
これまで生きてきた自分の時間を、本を捨てることで捨て去ってしまう気がしていた。
記念写真みたいなものかもしれない。
だから、捨てがたくて残したかった。
叶わなかった本の部屋への未練や、本を処分した寂しさと向き合いつつも、今日も処分する本を密かに探している。
捨てる快感に抗えない自分もいる。
本を捨てても自分は変わらず生きているし、ただただ本をとっておくより、まだ読んでない山積みの本を読む方が、間違いなくこれからの人生の糧になるはず。
そんなふうに、自分を諭しながら。
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