自分の欠点は直そうとせず、受け入れることで「強み」となる
あなたは「欠点は悪い」と思っているだろうか。
そして欠点を否定して直そうとして生きてきただろうか。
私の場合、「弱さ」「臆病さ」「意気地の無さ」「無知さ」「間抜けさ」「ダサさ」「無神経さ」「醜さ」「無能さ」など自分の欠点と言われるものは全て否定して乗り越えようと必死に努力と頑張りで変えようと生きてきた。
上記で書いたように、あらゆる欠点と言われるものを全て否定し生きてきたが、その反面得られたものも多くある。
ただし、今まで自分が得てきたものをどれほど積み重ねてきても、結局は欠点は消えないままではないだろうか?
私の場合、上の欠点に関して自分の内面の中では「ある」こととして存在している。
これは数十年間消えたことがなく、ずっと持っているままのものである。
そしてどれだけ直そうと必死こいて足掻いても、ずっとこの欠点たちは居残り続けている。
この欠点の数々をどれだけこねくり回そうと変わらないのであれば、むしろ「在っていい」ものとして受け入れてみてはどうだろうか。
そしてこの欠点は何のために今もなおずっと自分の中に残り続けているのか、その目的を考えてみてもよいかもしれない。
先ほどの例を見てみよう。
→この「肉体・精神を強くしようとした」という部分は「目的」ではなく「手段」であることが見えてくる。
ということは、まだ先の目的がある。
私の場合はこのような目的があった。
そしてさらに目的を達成した後に欲しい現実がある。
ここまできたらもうお分かりになるだろう。
「弱さ」を否定することで、「周囲と幸福に満ちた豊かな時間を過ごす」という現実が欲しかったのだ。
このように考えてみると、「弱さ」という自分の欠点を否定することは、自分の理想を叶えようとするための働きだったんだなと受け入れられた。
そして求めている「周囲と幸福に満ちた豊かな時間を過ごす」という現実を手に入れるために、この「弱さ」をどのように活用できるのかも考えてみるた。
例えば、自分の弱さを曝け出して人に話し、相手には安心感や笑いを提供することができるかもしれない。
自分の過去の恥ずかしい失敗体験もネタにしてみることで、周囲との豊かな関係を築けたり、自分の周りに人が集まってきたり、その結果、周囲の人から見て自分が「頼れる存在」になっていることもあるだろうと。
このように、自分の欠点は直そうとしなくてもよいのだ。
むしろその欠点を受け入れ、自分が本来求めている現実を叶えるためにどのように使うかに意識を傾けてみることで、自分の「強み」となっていく。
本日はここまで。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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